2023年の夏、家族とともに静岡への旅に出かけました。
以前の徳島、高知での旅とはやや趣が異なり、悠久の歴史と豊かな自然に身を委ねるような、静かな旅となりました。
十国峠 – 文人たちの見た風景
まずは十国峠へ。
ケーブルカーで山頂を目指します。
開放的な車窓からの景色と心地よい揺れを楽しむうちに、およそ3分の道のりはあっという間に過ぎ、山頂駅に到着しました。
十国峠の名前は、昔の国名で「伊豆」「駿河」「遠江」「甲斐」「信濃」「相模」「武蔵」「上総」「下総」「安房」の十の国がここから見渡せたことに由来しているそうです。
富士山から南アルプスへ、駿河湾から房総半島、三浦半島まで。360度の視界に広がる景色は、まさに絶景という言葉がふさわしいものでした。2016年3月、この眺めは国の登録記念物として認められましたが、その価値はずっと昔から変わることなく在り続けていたのでしょう。
鎌倉幕府第三代将軍、源実朝。
わずか12歳で将軍の座に就いた彼は、この峠を幾度となく越えています。箱根権現と伊豆山権現への参詣の道すがら、彼の目に映った景色は今も変わらず私たちの前に広がっています。
「箱根路を わが越えくれば 伊豆の海や 沖の小島に波の寄る見ゆ」
万葉集に収められたこの歌は、22歳の実朝が初島に寄せて詠んだもの。今も山頂の広場に建つ歌碑が、800年の時を超えて私たちに語りかけています。
十国峠は古くから景勝地としても有名です。作家や歌人などの文学者が訪れ、数多くの作品に描かれてきました。今から200年以上前の江戸時代に、この素晴らしい景色を後世に伝えようと山頂に建てられた「十国碑」がその歴史の深さを物語っています。
文学者たちが筆を執り、詩人たちが詩を詠み、画家たちが絵筆を走らせた。この場所には、そんな数え切れないほどの人々の想いが積み重なっているように感じられました。
來宮神社 – 二千年の大楠と共に
十国峠の絶景を見た後は車で10分ほどの距離にある歴史の深い神社、來宮(きのみや)神社へ向かいます。古くから來宮大神と称されているそうです。
熱海の街を見守り続けてきたこの神社、社号の「來宮(きのみや)」という響きにはどこか神秘的な趣があります。古くから「來宮大神」と称され、この地の守り神として人々の信仰を集めてきました。境内には、三柱の御祭神が鎮座されています。
武勇と決断の神・日本武尊(やまとたけるのみこと)、樹木と自然を守る神・五十猛命(いたけるのみこと)」、そして商売繁盛と健康を司る神・大己貴命(おおなもちのみこと)。それぞれの神様が、訪れる人々の願いに耳を傾けているようでした。
平安の世、坂上田村麻呂がここで戦勝を祈願したという故事も伝わります。全国44カ所に分霊を祀ったという事実が、この神社の持つ深い精神性を物語っているのでしょう。
京都から遥々勧請された稲荷神社の佇まいも印象的でした。大きな鳥居をくぐると、左手に連なる小さな朱色の鳥居群が、どこか親しみやすい雰囲気を醸し出していたことも印象的でした。
そして、境内の主役とも言える樹齢2100年の大楠。その幹周り23.9メートルという数字以上に、圧倒的な存在感でした。幾多の時代を見つめてきたその姿は、まるで生きた歴史そのもののように感じられます。
池でゆったりと泳ぐ鯉に、不思議と目を奪われたことが印象深かったです。
カフェで涼を取っている中、妻が商売繁盛のお守りを買ってくれました。私の鞄の中で、いつも日々の仕事を見守ってくれています。
松川遊歩道 – 時を忘れる路地裏
次は松川遊歩道へ。
温泉街の路地に足を踏み入れた瞬間、時計の針がゆっくりと逆回りを始めたような感覚に包まれます。
この場所は大正という時代の記憶を優しく湛えているようでした。
古い温泉宿の軒先を過ぎるたび、どこからともなく漂う情緒。それはまるで街の息遣いのように感じられます。ここでは時間さえもが、ゆったりとした歩調で流れているようでした。
重岡健治氏の彫刻作品が、そっと路地の影に佇んでいます。木下杢太郎の詩と絵画も、往時の面影を今に伝えるように、静かに存在を主張していました。
松川遊歩道から少し離れた広場では「夕涼みわくわく市」の準備に追われる人々の姿が。椅子を並べる音や、時に威勢の良い掛け声が、どこか懐かしい夏の夕暮れに溶けていきます。
時間があれば夕涼みわくわく市に参加してみたかったなと思います。
さて、宿へと向かい、ぐっすり眠る息子を眺めながらこの日は体を休めることにします。
川奈ステンドグラス美術館 – 失われた音色、栄華の記憶
2日目は川奈ステンドグラス美術館へ向かいます。
今回の静岡の旅で私が最も印象に残ったのがこの場所でした。
この美術館は1800年代のヨーロッパの記憶を静かに紡ぐ場所でした。
約300点のアンティークステンドグラスや、一般的な3ミリのガラスではなく、25ミリもの厚みを持つダル・ド・ヴェールなども展示されていました。その贅を尽くした輝きは、かつての貴族たちの美意識を今に伝えているようです。
美術館の教会に足を踏み入れると、そこにもまたステンドグラスが。教会のステンドグラスは文字の読めない人々に聖書の教えを伝える役割を担っていたそうです。
この協会では1922年にイギリスで製作され、スコットランドで使用されてきたパイプオルガンによる讃美歌の演奏を楽しむこともできます。あまりの荘厳な音に思わず涙腺が緩んだことを記憶しています。
その後オルガン奏者の方が「ディスク式オルゴール」というものを紹介してくれました。その方によればドイツ・ポリフォン社製のものとロッホマン社製の2つがあり、いずれも100年以上前のアンティーク品だそうです。
大きな振り子時計のような筐体で、中の銀盤ディスクには無数の突起があり、それが櫛歯を弾いて音が出る仕組みとなっています。中世のジュークボックスの役割を果たしていたそうです。
その中にレコードのような銀盤ディスクを入れれば、くるみ割人形、花のワルツ、アメージンググレースなどが美しく響きます。
興味深かったのは時計とオルゴールの話でした。
1796年、スイスの時計職人アントワーヌ・ファーブルは懐中時計に複雑な音楽を鳴らす機能を組み込むために小型の音楽再生機器を発明しますが、これがオルゴールの起源だとも言われているようです。
懐中時計に音楽機能を組み込もうとした試みが、新たな芸術を生み出したことを初めて知ります。
まさか時計と音楽が繋がっていたとは思いもよりませんでした。
当時オルゴールはスイスの職人集団が作る高級品だったそうです。貴族や富裕層に需要があったようで、現在でもスイスに高級時計メーカーが多いのもなんだか頷けます。
しかし時代は容赦無く進み、オルゴールは衰退していってしまうようです。
1895年、エジソンが最初のジュークボックスを世に送り出し、1900年には円盤形レコードの大量生産が始まりました。アメリカのオーディオ産業が台頭し、1920年頃には多くのオルゴールメーカーが姿を消していきました。
蓄音機、ラジオ、映画、自動演奏楽器。20世紀の技術革新は、音楽をより身近なものにしていきました。その流れの中で、ディスク式オルゴールは静かに歴史の幕を下ろしていったのです。
音楽再生機器としてのオルゴールの歴史は終わりを告げたことで、ディスク式オルゴールに出会う機会はなかなか多くないでしょう。川奈ステンドグラス美術館でこのオルゴールに出会えたことはまさに幸運でした。
この美術館で出会った音色は、技術革新がもたらした栄華と衰退の物語を、美しく、そして少し寂しく語りかけているようでした。
華麗ながらも退廃的な歴史から時の流れの残酷さと美しさを突きつけられた、そんな時間でした。
浄蓮の滝 – 静寂に囲まれた秘瀑
川奈ステンドグラス美術館の衝撃冷めやまぬ中、歌手・石川さゆりさんの名曲「天城越え」に登場することでも知られる浄蓮の滝へと、私たちは足を運びました。
その名は、かつてこの地にあった浄蓮寺に由来すると聞きます。
約200段の階段を降りていく間、徐々に聞こえてくる水音が期待を膨らませます。
木々の間から突如として現れた水のカーテン。高さ25メートル、幅7メートルの滝は、15メートルの深い滝壺へと豪快に落ち込んでいきました。
浄蓮の滝は、遥か1万7000年前の噴火がもたらした自然の造形美でした。溶岩が冷える過程で生まれた柱状の割れ目が、滝の姿をより神秘的なものに仕立て上げています。
ここは明治の終わり頃まで、この滝は人知れず佇む秘境だったそうです。安藤藤右衛門という人物が私財を投じて遊歩道を切り開くまで、断崖と鬱蒼とした自然に阻まれ、人々の目に触れることはほとんどなかったのでしょう。
その神秘性は、今もなお滝の周りに漂っているような気がします。
轟音と共に流れ落ちる水、霧となって舞う白い飛沫、そして肌を撫でる清涼な空気。
息子は圧倒されたように立ち尽くしていました。
幼い息子にとって滝までの道のりはさぞかし大変だったことでしょう。200段もの階段を下り、登る。大人でも大変です。
しかし、彼の小さな足は最後まで歩み続けました。その姿に、たくましさと健気さを感じずにはいられませんでした。
韮山反射炉 – 時間の流れを感じながら帰路へ
静岡の旅の終わりに、私たちは韮山反射炉を訪れました。
江川英龍の進言で築かれた大砲鋳造炉はアーチ型の天井に熱を反射させ、千数百度という高温を生み出すその技術が用いられています。
国内にかつて十数基あった反射炉のうち、今も形を留めているのはわずか3基。萩と薩摩、そして私たちの目の前にそびえる韮山反射炉。その中でも韮山のそれは、実際に稼働した記録を持つ唯一の遺構として知られます。2015年7月の世界文化遺産登録は、その価値を国際的に認められた証でもあるのでしょう。
時間に追われ、内部を見学できなかったことは確かに心残りでした。しかしその代わりに私たちは外観の静謐な佇まいをじっくりと目に焼き付けることができました。
川奈ステンドグラス美術館で見た、技術革新がもたらした栄光と衰退の物語。そして今、目の前にある反射炉。これらは、時代の流れの中で光り輝き、やがて移ろいゆくものの美しさ、儚さを静かに語りかけているように思えました。
静岡での旅は、そんな時の流れをゆっくりと感じられる贅沢な時間となりました。帰路、夕陽に染まる車窓から空を眺めながら、そんなことを考えていたのを覚えています。