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「読書録」風姿花伝 – 散らぬ花のために

今回手に取ったのは、世阿弥の約20にも及ぶ能楽論の中でも特に初期の著作である「風姿花伝」。

本書は能について書かれた本ではありますが、現代に通じる普遍的な価値を持つ戦略書としても読み解くことができると感じます。

室町の世に「能」を大成した世阿弥はどうやら単なる芸能者ではなかったようです。世阿弥は当時としては極めて稀有な理論家でもあったのでしょう。芸能の理論体系すら存在しなかったであろう時代に、これほどの作品を作り上げた事はことには本当に驚かされます。

この書は一見して能における技術書のように思われるかもしれませんが、単なる能役者のための演技指南書ではありません。

芸能という舞台でいかに生き残り、いかに勝利を掴むのか。風姿花伝は、個別具体的な技術を取りまとめた技術論ではなく、どちらかと言えば芸能、芸術という名の生存競争を生き抜くための戦略論です。

能役者としての技術論を超え、芸術家として、そして何より一人の人間として芸能という荒海をどう泳ぎ切るのか。世阿弥は、その術を静かに、しかし力強く語りかけています。

この稀代の芸術家が遺した名著「風姿花伝」から、私が学んだことや気づきを綴っていきたいと思います。

風姿花伝について

およそ1363年から1443年頃を生きた世阿弥。室町の世に生を受けた世阿弥は、能役者としてこの世界に計り知れない遺産、功績を残してくれました。

まずは数多くの能作品を書き残したこと。

今日演じられている能のほとんどが世阿弥自身の手によるものか、あるいは彼から一、二世代後の作品であるようです。現在上演されている落語の多くは当時書かれた作品であるということですね。この事実は彼の残した作品の偉大さを物語っているように感じます。

さらに世阿弥は舞台の上での芸のみならず、能役者たちに向けてある重要な示唆を残しています。

それは芸の記録と伝承の重要性です。

世阿弥は、能の本を書くことが能役者において非常に大事なことである、と書き残しています。

「能楽の道においてただ芸の面だけで優れているだけではいけない。その芸の本質を書き記しておかなければその芸はしばらくの間は伝わっても、長く後世に伝えることはできない」と。

優れた能役者であるためには、舞台で演じるだけでなく、能の理論や思想を深く理解し、それを文章化することが重要であると考えていたようです。そのためには自ら筆を執り、後世に残すべき書物を著す必要があると説きます。

今回手に取った風姿花伝は、世阿弥が37歳の時に、自分たちの芸を子孫に伝えるための秘伝書として執筆されました。

拙訳ですが、ざっくり言うと次のような文章が出てきます。

「風姿花伝は多くの人々に見せるためではなく、子孫への教えとして書いた。最近の能役者たちは稽古もいい加減で、その場限りの評価を気にしている。これでは芸の道が廃れてしまう。しっかり稽古をし、芸を大事にすれば成果は必ず出る。また、伝統を継ぐだけではなく、自分自身で工夫した芸もあり、それらは言語化しにくい。言葉にできないものでも伝統を背景にし、心より心に伝えようとするものだから、風姿花伝と名付けた。」

どうやら執筆の背景にはこのような動機があったようです。当時の能役者たちへの危機感が、世阿弥を執筆へと駆り立てました。場当たり的な評価に走り、本質的な稽古を怠る風潮。一時の喝采だけを追い求める者たちを前に、能の道が廃れゆくことへの危機感を感じていたのでしょう。

風姿花伝は今でこそ本屋さんで手に入る古典の一つとして著名ですが、当初は広く世に問うためではなく、あくまでも自分の身内に能楽師として生き抜くための戦略と叡智を、血脈として伝えようとする試みだったようです。本書は37歳から44歳で主要部分を著し、50代でさらなる考察を加えていったとされています。

2025年1月現在この文章を書いている私が36歳。風姿花伝の執筆に向き合った世阿弥とほぼ同い年です。こんなにも思考の深さ、密度が違うのか思うとなんだか悲しくなってきますね。

様々な芸能を吸収し、昇華させ、総合芸術としての能を確立した彼の思索の軌跡。そしてそれをどう次世代に伝えていくのかという考察。

その内容からは非常に多くの示唆がありました。

世阿弥が行った統合

今日私たちが目にする「能らしさ」の多くは、世阿弥とその父観阿弥によって確立されたものです。しかし彼らは、決してゼロから新しいものを作り出したわけではありませんでした。むしろ彼らの功績は、当時存在していた多様な芸能の精華を巧みに組み合わせた点にあります。

彼らが後世に遺した能は、創造的な結合の技術が生み出した傑作だったといえるでしょう。

例えば、近江猿楽から幽玄で美しい「天女舞」を導入したこと。また歌と舞を併せ持つ曲舞芸を猿楽(能の直前の母体)に採り入れたことも挙げられます。物語の中で役者が謡いながら表現を繰り広げる、そんな能特有の様式を生み出したことは功績というほかありません。複式夢幻能に代表される物語の新システムの構築なども極めて革新的だったはずです。

同時代に人々の心を捉えていた様々な芸能の手法を丹念に集め、新しい形にフィットするようアレンジし、「能」という一つの様式の中に昇華させていく。この創造的な統合の所作、キュレーションの感覚こそが世阿弥の真髄だったのでしょう。

この「既存の要素同士を組み合わせて新しい価値を生む」という創造の方法論は現代でも頻繁に耳にしますね。

既存の価値を見出し、それらを新たな文脈で再構築するという手法は、約600年を経た今日でも創造的な営みの本質として認識されています。革新とは必ずしも無から有を生むことではなく、むしろ存在するものの新たな組み合わせにこそ宿るということを改めて考えさせられます。

花、「新しいこと」「珍しいこと」

世阿弥の説く「花」という概念。風姿花伝で語られる「花」。その意味するところは「新しいこと」「珍しいこと」にあるようです。

ざっくり言うと次のような文章が出てきます(拙訳ですがご容赦ください)。

「花には四季折々の花がある。季節が変わって咲く花であるからこそ、その花は珍しい。だからこそ人々も喜ぶ。能も同様だ。人にとって珍しく新しいものであるからこそ、おもしろいと感じる。つまり『花』と、『おもしろさ』『珍しさ』は同じことだ。」

四季折々の花が、その季節ならではの珍しさゆえに人々の心を打つように、能もまた常に新鮮さを持ち続けなければならない。「花」と「おもしろさ」と「珍しさ」は同義であり、それこそが観客の心を捉える本質である、と世阿弥は説きました。

これは人気に左右される芸能の世界で生き残るため、世阿弥が到達した核心だったのでしょう。

毎回同じ演目を演じていては、観客は飽きてしまいます。当然のことですね。観客は今まで目にしたことがないものを見に訪れますが、その観客にとって一番大きな珍しさに該当するのは「新作」に他なりません。だからこそ世阿弥は、自ら作品をつくることが大事だと説いたのかもしれません。

いわゆるスタンダードナンバーのような、ある種定型化した演目に対して新しい観点を試し続けるのは容易ではありません。しかし世阿弥の時代ですらそれをしなければ勝てなかったのでしょう。

コンテンツを提供する側が常に「新しきが花」「珍しきが花」という気持ちを持っていなければ、観客に感動を与えることはできません。

たとえ繰り返し演じられるような演目でも「いつもと何か違うぞ」と感じさせる要素を常に模索する姿勢。それは世阿弥の時代から、芸能者の生命線だったのです。

そしてこの教えは現代においても鋭い指針となるはずです。

同じような会議、同じような成果物、一度うまくいった方法の漫然とした踏襲。日々の仕事において、よく目にする光景です。そこに潜む危うさを、世阿弥の言葉は指摘しているのではないでしょうか。

思い当たる節が多すぎて、身が引き締まる思いです。

「新しきが花」「珍しきが花」という世阿弥の洞察は、創造的な営みの本質を突いています。それは芸能の世界に限らず、あらゆる表現活動、ビジネス活動において、今なお色褪せることのない真理なのだと感じます。

得意な芸への安住、その危険性

世阿弥は「一つの場所に安住しないことが大事である」という重要な教えを残しています。

これは成功という罠への深い洞察だと捉えました。一度の好評や、得意とする芸への安住。これは実は衰退の始まりだと説いたのです。

現代でも「現状維持は衰退である」としばしば言われます。

これまでの方法で成果が出ているのであればそれ以上の工夫は不要だという思考。世阿弥はこの危うさを鋭く指摘しました。一時の成功が、むしろ次なる革新への障壁となり得ることを気づかせてくれます。

成功は往々にして硬直を招き、その硬直こそが失敗の種となります。新しいものを取り入れようとする姿勢は、時として「これまでの成功」との決別を意味するかもしれません。時としてそれは非常に苦しい決断を伴うでしょう。

これは個人にも、組織にも等しく当てはまるものです。

世阿弥が他の芸能のスタイルを積極的に取り入れていったのも、このような深い認識があったからなのではないかと感じます。個人も組織も、そして芸術も、自己を破壊し再構築していく勇気なくして、次なる高みには辿り着けないのかもしれません。そして、それができなければ必然的に衰退の道を辿ることになるのでしょう。

発展し続けるために必要なのは、現状の自己保身ではなく果敢な自己更新です。自己更新無くして真の成長はないと、改めて自らに言い聞かせたいと思います。

場における波、「男時」「女時」

世阿弥は勝負の場における「波」の存在をも鋭く捉えます。刻々と変化する舞台の「場」「機」を捉えることの大切さ。世阿弥はこれを独自の造語「男時(おどき)」「女時(めどき)」として説明しています。

勝負には必ず「波」があります。

向こうに勢いがある時もあれば、こちらに勢いがある時もある。世阿弥は、こちらに勢いがある時を「男時」、向こうに勢いがある時を「女時」と表現しました。

かつて能は「立合(たちあい)」という競技形式で演じられ、複数の役者が技を競い合ったそうです。複数の役者が舞台で芸を披露し、見栄えや観客の人気を争います。世阿弥はこの「勝負事」に触れていたからこそ「勝負における時間の流れ」について深く言及することができたのでしょう。

また拙訳を。

「勢いの波が相手にあると思う時は、小さな勝負ではあまり力を入れない。そこで負けてもあまり気にすることなく、大きな勝負に備えなさい。女時の時に無理に勝ちを狙っても、決して勝つことはできないから。男時を待つ。そこで自分の得意な芸を出し、観客を驚かせて一気に勝ちにいきなさい。」

これが世阿弥の説く戦略でした。まるで孫子のようです。

しかし、これは単なる時流への追従を説いたものではありません。

いつか必ず訪れる男時を待つ間、女時を漫然と過ごすのではなく、その時期にこそ次なる飛躍のための準備を整える。新しい技法の習得や、知識の蓄積、新作の創造、提案の準備。男時で仕掛ける準備をしていなければ、たとえ男時が来てもチャンスをつかむことはできないでしょう。

現代では、SNSなどを通じて「画一的な成功」に見える「男時的な」情報が溢れているように思えます。しかし「準備」や「蓄積」の時期、すなわち「女時的な」情報について語られることは極めて少ない。

だからこそ、「女時に何をすべきか」という問いは現代を生きる私たちにとって非常に重要な意味を持つと感じます。

常に変化する「場」と「機」を読み取り、その波に応じた最適な行動を選択する。世阿弥が説く時の戦略は、単なる処世術を超えた深い示唆を含んでいるように思えます。

秘すれば花

秘すれば花なり、秘せずは花なるべからず。

美しく、広く知られた言葉です。

女時に準備をし、男時にその準備を持って勝負に出る。この人知れず準備を進めた一手が勝利をもたらす。これについて世阿弥は「秘すれば花」という言葉を残しました。

またまたざっくりとした拙訳で恐縮ですが、世阿弥がこのようなことを言っていたという内容を。

「『秘して隠すこと』が『花』になる。このことを知らなければならない。秘めておくからこそ花であって、秘めずに見せてしまっては花とはならない。多くの芸能分野において秘伝とされるものがあるが、それは秘密にすることで初めて効果を発揮するから秘伝とされる。秘伝の技、秘密の芸があれば、いざという時にそれで勝負に勝つことができる。それは明かしてしまえばたいしたものでなくてもいい。秘しておくことこそが大事だ」

秘伝の芸を頻繁に披露してしまっては「花」ではなくなってしまいます。秘めておくことでこそ「花」となり、安易に明かしてしまえばその価値は失われる。

秘伝の技は、それが必ずしも驚くべき内容でなくとも、秘することによって特別な力を持ちます。世阿弥はこの「秘すること」自体の価値を見抜いていました。人々の知らない「花」、すなわち「新しさ」「珍しさ」こそが心を捉える力を持つと説いたのです。

周囲が知らない「新しい」「珍しい」内容であるからこそ「花」となり、観客や顧客の心を掴むことができる、ないしは勝負に勝つことができる。この智慧は、歴史上の戦いや、現代のスポーツ、ビジネスの世界でも繰り返し証明されています。

明らかに不利な状況にもかかわらず、思いもよらない方法で強敵に勝利する。そんな歴史の話や、スポーツの試合に出会うことは珍しくありません。負けた方からすれば意外性や奇抜性に出し抜かれたと感じるかもしれません。しかしこれこそが、あらゆる物事における勝負の道理なのでしょう。

そこには練り上げられた「秘された花」の存在があります。

しかし、一度使用した秘策は往々にして「花」としての力を失います。だからこそ、常に新しい「花」を作り続けることが求められるのです。世阿弥が新作の創造を重視したのも、この必要性を理解していたからでしょう。

「秘すれば花」の本質は、単なる秘密主義ではありません。

それは創造的な価値を生み出し続けるための方法論であり、時機を見極めた効果的な演出論でもあったのだと思います。この循環を維持することこそが、持続的な成功への鍵となることを、世阿弥は教えてくれているのかもしれません。

自らの花とは

現代、私たちの周りには常に新しい概念や技術が漂っています。耳触りの良い言葉が次々と現れては消えていく中で、本質的な価値創造への道筋を見失いがちです。

どのような態度で仕事に向き合うべきなのか、正直私は迷いを抱えていました。しかし、約600年前に世阿弥が残した言葉は驚くほど明快な指針を示してくれました。

永く人々を感動させ続けるために、常に新しいものを模索し、常に流れを見、常に来たるべき時のために準備を重ね、常に技を磨く。

このシンプルでありながら力強いメッセージは、私の心に強く響きました。これは芸能の世界に限らずあらゆる生き方に通じる心理なのだと思います。

風姿花伝が書かれた室町時代から、人が表現や創造と向き合う本質は、実はほとんど変わっていないのでしょう。技術や環境は大きく変化しても、新しい価値を生み出そうとする人間の営みの核心は、驚くほど変わらないのだと感じます。

今回触れた内容は、風姿花伝のごく一部に過ぎません。しかし、そこに込められた深い洞察は、現代においても実に新鮮な気づきを与えてくれます。

「自らの花とは何か」。

この問いから始めてみようと思います。何かを表現する者として、何かを創造する者として、この問いが絶え間ない道を追求していくための確かな道標となるのではないかと思うのです。

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Kentaro Matsuoka