無常性と向き合うこと
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。 淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。 世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。
- 鴨⻑明 『方丈記』
日本の哲学者、詩人である鴨長明が「方丈記」に記したこの一節は、存在が恒久不変ではなく、絶えず変化し続けるという「無常」の思想そのものです。すべての現象は常に変わり続け、一定不変の状態では決してありません。
同じ瞬間は二度と訪れません。
この原則は物質的なものだけでなく、精神的なものや感情、社会的な状況など、全ての存在するものに適用されます。
また、無常性はデザインに深く影響する考え方でもあります。
どうすれば常に変化する状況や価値観に適応できるのか、普遍的とは何か、美しさの源泉とは何か、その瞬間で最高の体験を提供できるよう設計するためにはどうするのかなど、本質的な問いと向き合う多くの機会を提供してくれます。
この考え方はデザインがただ形や機能にとどまらず、文化的・哲学的な側面を含むより深い思考を要求することを示しています。
デザインは常に変化する人々の生活に寄り添うものであり、その変化を理解し、受け入れる能力こそが優れたデザインを生み出すために求められると考えています。
私たちの基盤、指針となる方向性
私たちのサービスは正しくブランドを形成するために背景に明確化し、正しく届け、文化を紡ぐことを念頭に設計されます。
これらのフローは「川」からインスピレーションを得ています。
サービスにおける構成要素には「本質的であること」「淀みなく自然に流れていること」「正しく堆積すること」が求められます。
そのため上流、中流、下流全ての流域で淀みを発生させないことを意識します。
また、良い原則は万人に万能であろうとはしません。
私たちの原則は、
- 深さ
- 静けさ
- 美しさ
の順序で適応されます。
美しさは重要ですが、意味や一貫性が優先されなければなりません。まず優先されるのは常に「深く」あることです。
深さは「意味があること」を、静けさは「必要以上でないこと」を、美しさは「それらが満たされていること」をそれぞれ要求します。
サービスにおける上流から下流までをどのように規定するか
川は空から山へ降ってきた雨水の「最初の一滴」から始まります。この一滴が川となり、山を流れて、海へと至り、海が雨となりまた山に降り注ぎます。
私たちの役割は「最初の一滴」を正しく、より良い流れに乗せ、豊かな海に運ぶことです。
上流「分水嶺と流れ」
山へ降り注いだ雨を美しい川とするため、私たちのメンバーのプロジェクトにおける最初の役割は「分水嶺」として正常に機能することです。
流れの始点を誤ると予期せぬ終点へ流れてしまい、途中で正しい流れへ転換することは時として困難になります。川は幹線となる川の他に、いくつもの支流を持つためです。
源流は「点」ではなく「面」で捉える必要がります。
適切な流れを辿り、正しい方向に辿り着けるよう、まずは「どこへ流れるべきか」「どうすればそこに流れることができるのか」を正しく示します。
そのためにブランドのらしさ、ありたい姿を明確にするために丁寧な対話を行います。
中流「資源の顕在化、堆積」
川が上流から運んできた土砂などは川の流速が低下することで、中流に独自性ある地形を生み出します。
これは中流で初めて起きる現象であり、堆積作用がこのような地形を形成するために発生します。
私たちは堆積という文脈を使用する時は「クライアントの独自性をいかにして資源とするか」という前提が含まれています。
正しい流れは良質な堆積物を生み出し、良質な堆積物は文化を育む資源へと形を変えます。
必要とされる堆積物を生み出す堆積作用を創出するために、「どうすれば良質な堆積物を生み出せるか」「良質な堆積物とは何か」を模索します。
そのためにどのような設計が要求されるのか、どのようなアウトプットが適切なのかなど、より具体的な絵図を描きます。
下流「届け、関係し、繋ぐ」
上流、中流よりも緩やかな流れの下流の特徴の一つは、人々との生活との関わりが色濃くなること。
豊かで美しい川は人々の生活を見守り、支えます。
海へ辿り着いた川は蒸発し、また雨水となって山に降り注ぎ、次の物語が始まります。
旅を共にしてきた堆積物は海へと運ばれ、有用な資源として受け継がれます。良質な堆積物を海へと運ぶことは、良質なコンテンツやデザインをユーザーに届けることに似ています。
ユーザーにとって大切な資源を淀みなく、美しい形で届け、より良く活用してもらうこと。ユーザーの声は雨となり山に降り注ぎ、次の新しい川が流れます。
ブランドの資産を形成するために成果物の品質を磨き上げ、ユーザーとの関係性を構築します。
底流を忘れた文脈
川とは空から山へ降ってきた雨水の「最初の一滴」が最終地点である海へと至るまでの旅であり、その旅路の間を結ぶ流れそのものです。
陸上の川は最終的に、深く安定した海溝でその旅を静かに終えます。川の流れよって運ばれた土砂は海溝に堆積し、その中に含まれている有機物が変質を始めます。
それは人類にとって有用な資源へと変化し、次の世代へ受け継がれます。海へ注いだ川は蒸発して雨となり、山へと降り注ぎ、また新たな川として流れます。
どんな川も最初は水の一滴から始まり、それは例外なく小さく、浅いものでした。年月を経て土を削り、支流を増やし、未生の紋様を描きながら川は大きく深くなります。
しかし最初の川は一体いつどこから始まったのか、どこへ向かって流れていたのか。その川の起こりや底流はいつしか忘れられてしまいます。
人や会社、それらが紡ぐ文化の底流、文脈に光が当たらない表層的な社会。人の何かを傷つけるような崩壊した表現。そんな表現が静かに堆積していく社会。
このような社会に私たちは淀みを感じ、悲しさを感じます。人を感動させるもの、次世代に繋ぐべきものはその会社や人の水源であり、その底流であると私たちは信じています。
文脈に流れる底流には言葉が折り重なっています。私たちは対話によって底流を眺め、正しい表現を探します。
そっと流れに寄り添えるように、また、流れを支えられるように、「優しく美しいこと」を探します。