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春のにぎわいを映す落語四席

春の落語には、花見や行楽をきっかけに人が浮かれ、そこから騒動が広がっていく噺が多くあります。

桜の下で見栄を張ったり、儲け話のつもりが自分たちで酒を飲み干してしまったり、遊びの最中に思わぬ大騒ぎになったり。春らしいにぎわいの中で、人の欲や間の抜けたやりとりがそのまま笑いになるところが、この季節の落語のおもしろさです。

今回取り上げるのは、にぎやかさ、間の抜けた可笑しさ、土地の空気感といった点から、「長屋の花見」「花見酒」「愛宕山」「王子の狐」の四席を紹介します。

長屋の花見:貧乏長屋のにぎやかさがにじむ春の一席

春の落語としてまず挙げたくなるのが「長屋の花見」です。

貧乏長屋を舞台にしたこの噺は、大家が「景気づけに上野で花見をしよう」と声をかけるところから始まります。もっとも、豪勢な花見といっても用意されるのは本物のごちそうではありません。

酒は薄めた番茶、かまぼこは大根、玉子焼きはたくあんという具合で、見立てばかりの花見になってしまいます。こうした設定自体に、この噺らしい面白みがあります。

それでも長屋の面々は、半ばやけくそになりながら花見へ出かけます。上野の山は花が満開で、人出も多く、春らしいにぎわいに包まれていますが、肝心の花見の中身はなかなか景気よく進みません。大家が場を盛り上げようとしても、長屋の住人たちはひねくれた返しばかりで、どこか締まらない。その噛み合わなさが、かえってこの噺の面白さになっています。

花見酒:春の浮かれ気分が生む、だらしなくも可笑しい一席

「花見酒」もまた、春を語るうえで外せない演目です。

この噺に登場するのは、花見で一杯やりたいのに先立つものがない酒好きの二人です。そこで兄貴分が思いつくのが、酒を花見客に売って儲け、その売り上げで自分たちも飲もうという、いかにも調子のいい算段でした。二人は酒屋から3升の酒を借り、向島へ向かいますが、この出だしの時点ですでに、どこかうまくいかなさそうな空気が漂っています。

この噺の面白さは、商売をするつもりで出かけたはずなのに、その商売道具である酒を自分たちで飲みはじめてしまうところにあります。弟分が釣り銭の10銭で兄貴分から一杯買うと、それを見た兄貴分も同じ10銭で自分の酒を飲みたくなってしまう。そうしてひとつの10銭をやり取りしながら交互に飲み続け、向島に着くころには酒樽は空っぽになってしまいます。

結局、手元に残ったのは酒を売ったはずなのに10銭だけ。そこで二人は、なぜ売り上げが増えないのかを酔った頭で考え込み、ようやく自分たちが全部飲んでしまったことに気づきます。この、どうしようもないのにどこか憎めない感覚が、花見酒らしさにつながっています。

大きな事件が起こるわけではありませんが、春の陽気に気が緩み、目先の楽しさに流されてしまう人間のだらしなさが、じわじわと笑いになっていきます。

愛宕山:春の遊山が大騒動へ転がる、上方らしい一席

「愛宕山」は、京都の旦那衆や舞妓、幇間たちが連れ立って春の野遊びに出かける噺です。舞台となるのは京都の愛宕山。祇園町で働く幇間の一八と繁八も一行に加わり、にぎやかな空気のなか山頂を目指します。

この噺のおもしろさは、のんびりした遊山の空気が、そのままでは終わらないところです。山頂の茶店で旦那たちが皿投げを楽しんだあと、今度は遊び半分で小判を谷へ投げはじめます。すると一八は、その小判をどうしても手に入れたくなり、谷へ飛び降りようと企てます。ところが、自分で決心しきれずにいるうち、繁八が旦那に命じられて背中を押し、一八は本当に谷底へ落ちてしまいます。

さらに見どころになるのが、谷底に落ちた一八の立ち回りです。旦那に「それはみんなお前にやるぞ」と声をかけられ、小判を拾い集めたあと、今度は自力で上へ戻る方法を考えなければなりません。着物を裂いて縄をより、竹の反動を使って戻ってくるくだりには、ばかばかしさとたくましさが同居しています。

陽気な場に出ると、人は少し大胆になります。花見そのものを描く噺ではありませんが、春の外遊びのにぎわいと浮き立つ気分を味わえる演目として、季節感のある楽しみ方ができる噺です。

王子の狐:王子の土地の気配が楽しい、化かし合いの一席

「王子の狐」は、王子稲荷のあたりを舞台に人と狐の化かし合いが描かれる噺です。

王子稲荷にお参りに来た熊五郎は、帰り道で、狐が葉を頭にのせて若い女に化ける場面を目にします。誰かを化かそうとしているのだろうと見ていたところ、どうやら狙われているのは自分らしい。そこで熊五郎は、逆にこちらから狐をだましてやろうと考え、知り合いの女に会ったふりをして声をかけます。

熊五郎は女に化けた狐を、王子の料理茶屋「扇屋」へ連れて行きます。そこで酒や料理をどんどん頼み、狐にも無理に酒を勧めて酔いつぶしてしまいます。熊五郎は狐が寝た隙に店を抜け出し、勘定は連れから取ってくれと言い残して帰ってしまう。やがて店の者が様子を見に行くと、二階で寝ていたのは女ではなく狐で、店じゅうが大騒ぎに。

さらにこの噺は、それで終わりません。熊五郎は狐をだまして得意になりますが、友人から「狐はお稲荷さんの使いだから祟りがあるかもしれない」と言われ、急に心細くなります。翌日、牡丹餅を持って狐の穴を探し、親狐に謝ってくれと子狐に土産を渡すものの、親狐はそれを見て「それはきっと馬の糞よ」と疑ってしまう。最後まで人と狐の化かし合いが尾を引くところに、この噺らしい可笑しみがあります。

結びに

春の落語には、花見や行楽のにぎわいを背景に人の欲や見栄、間の抜けたやりとりがそのまま笑いになるおもしろさがあります。長屋の花見の見立てだらけの花見、花見酒のどうしようもない算段、愛宕山の大騒動、王子の狐の化かし合い。どの噺にも、春の外の空気と人が少し浮き立つ季節ならではの面白みがありました。

春の落語は、桜を描いた噺だけに限りません。遊山の高揚感や町歩きの楽しさまで含めて見ていくと、この季節の演目の味わい方はさらに広がります。春の明るさのなかで、登場人物たちの人間くさいやりとりを楽しめることも、この季節の落語の魅力といえそうです。

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Kazuya Nakagawa