暗く曇った空色と霜時雨は、自分の中の内省的な気持ちを呼び起こします。
私は「今、外で雨が降っているか」どうかを判断する際に、窓ガラスを叩く雨音よりも先に「匂い」から天候を察知しています。雨の匂い、というと詩的な表現のようにも聞こえますが、決してそんなことはありません。
雨に匂いは、自分の育った環境によって大きく変わるものです。
少し無機質で節操ない表現かもしれませんが、私の考える雨の匂いは「わずかに熱を帯びたアスファルトを濡らす雨が、蒸発した時の匂い」。湿った空気と温もりが混ざり合う、くぐもった声のような匂いが、夏の記憶を思い出させます。
乾燥した空気と雲ひとつない晴れが増えてくる季節ほど、ふと雨の香りが恋しくなる日もあります。「MAD et LEN(マドエレン)」の「BOIS D’ ORAGE(ボアドラージュ)」は、雨上がりの「ペトリコール」と呼ばれる現象を表現した香りです。
どうやら私の考える、アスファルトを濡らした雨の蒸発した時の匂いは、ギリシャ語で「ペトリコール」と呼ばれているようです。
さて、アスファルトに染みついた排ガスと雨が混ざり合い、アスファルト自体の持つ熱によって気化したものが「雨の香り」の正体だったようですが、果たしてそんな香りを表現しても大丈夫なものかと些か不安もありました。
ベチパーやパチョリをはじめとした湿り気のある樹脂の芳香と澄んだ檜の香りが、アスファルトの熱で気化した雨の香りを表現しているように思えます。鮮烈な芳香は時雨のように止み、やがてシダーウッドやカラムスの包み込むような静かな香りが広がっていきます。当初の想像よりもずっと、部屋の空気に馴染んでいるように思えました。
かつての歌人たちも、しとしとと降る雨の匂いを詠んだのでしょうか。「若草の匂い」「木の葉の薫り」「露の香(つゆのか)」。雨の匂いの形容もまた時代とともに移り変わっていくのかもしれません。