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「正論」と「正解」。大切なのはお互いの正解を模索する意識

仕事をしていても、プライベートでも「言っていることはわかるんだけどさ…」と感じる場面に出会うことがけっこうあります。

理屈としては理解できるんですが、なんか納得しきれないな的な空気って結構ありませんか?

そんな時によく思うのが「それは正論だけれど、その場における正解ではないのかもしれないな」ということでして。

プロジェクトを進める場面でも、この違いはとても大きいと思っています。

論理的に間違っていないものの、なぜか前に進まなかったり、チームの足並みが揃わなかったり。

正論は正しいんですが、それだけでは物事は動かないことが多いようです。

人が動くときに「強固な論理」も重要ですが、必要なのは「みんなが納得できる正解」であり、「そこに至るまでの筋道」なのかなと思うんですね。

僕自身、この「正論と正解は違う」という感覚は普段からかなり意識しています。

今日はそんなことを考えてみました。

人は正論ではなく正解のための道筋を欲する

ただ正論を突きつけられても、人は納得感を持って動けません。

僕だけかもとも思ったんですが、そんなことはないはず。

もちろん、正しいことを言うのは大事です。

でも正しさだけで納得できるかというと、そうでもありません。

少なくとも僕はそう感じることが多いです。

その理由は、おそらく文脈が共有されていないからだと思うんですね。

正論というのは、多くの場合「結論的なもの」だけが強めに提示されています。

でも人が知りたいのは、そこに至るまでの道筋なんじゃないでしょうか。どうしてその結論になるの?とか、その選択は何と比べて選ばれたの?とか、あの人の立場から見ても同じ判断になるの?とか。色々な見方があります。

そうした多面的な部分を考慮したプロセスが見えないまま「ある点だけの正論」をポンと提示されると、人はどこか置いていかれたような感覚になるのかもしれません。

その場にいる人たちにとっての正解を一緒に探そうとするのが、本来のコミュニケーションの役割なのではないでしょうか。

自分は論理的に正しいことを言っているのだから従うべきだ!という姿勢が前面に出てしまうと、人は案外すぐに「えー」となってしまいます。

だから、正論をぶつけることはコミュニケーションの怠慢なのではないかと思うことがあります。

人は案外「一緒に正解を探そうよ」という態度を敏感に感じ取っているのかもしれません。

「正解の範囲」を意識する。同じ結論になったとしても議論することは重要

「正解の範囲」についても考えることが多いんですが、これ、プロジェクトの進め方を考えるときによく意識したりしています。

例えば、Aさん・Bさん・Cさんの3人で議論している場面があるとしましょう。

議論が始まってすぐに、Aさんが「プラン1でいきましょうや!」と結論を提示したとします。

その結論がどれだけよく考え抜かれているかどうかはさておき、BさんとCさんからすると少し驚いてしまうはずです。

「まあ、Aさんが言うならいいんだけどさ、それでいいのかもしれないけれど、本当にそれでいいのかな…」

みたいな違和感が残りそうです。

結果としてプラン1が正解だったとしても、そこに至るまでのプロセスが共有されていなければチーム全体としての正解だったとは言い切れません。

全体最適という観点で見れば、結論そのものだけでなく、理解を揃えるためのコミュニケーションも含めて設計する必要があるはずです。なかなか難しいですが。

もし議論をしっかり行わずに結論だけが提示されてしまうと、どこかモヤモヤした状態のままプロジェクトが進みます。

メンバーの中に「これでいいんですかねえ」という種がずっと残っている状態です。これでは主体性やモチベーションにも影響が出てしまうかもしれません。

これ、ある意味でコミュニケーションの怠慢だったと言っていいと思います。ちゃんと話し合っていればこんなことにはならないはず。

一方、最初から話し合いが行われていたらどうでしょうか。

複数の選択肢を検討し、それぞれの視点を持ち寄ったうえで議論を重ね、たまに揉めたりして、最終的に「やはりプラン1だね!」と結論に至ったとしましょう。

そのときの納得感って別物だと思いませんか?

納得しているからこそ自信を持って進められます。自信を持って進められるからこそ、成果の質も変わってくるかもしれません。チームも盛り上がるかもしれませんね。

同じ結論に到達したとしても、その過程にコミュニケーションがあったかどうかでプロジェクトの意味は大きく変わるのだと思います。これはコミュニケーションをサボらなかったが故に生まれた正解だと考えています。

コミュニケーションを怠らないことが「正解」につながる

もちろん、正論を言うこと自体が悪いわけではありません。

場合によってはズバッと正論を言うことが求められるシーンもたくさんあります。正しいことを言うのは大切ですし、それによって前に進める場面も確かにあります。

しかし、正論だけで物事がスムーズに進む場面は、世の中にはそう多くありません。むしろ少ないような気がします。ていうかなんなら正論がきっかけで喧嘩している人の方が多いような気すらします。

正論だけでは埋められない溝を埋め、納得できる「落とし所」を見つけることこそが仕事であり、コミュニケーションの真髄です。

双方が納得したうえで前に進める状態をつくることや、それぞれの立場を踏まえながらいまこの場にとっての正解を探していくことが大事だと思うんです。

そうした姿勢を忘れてしまうと、人は簡単に「ああ、わかってもらえないな」と感じてしまうかもしれません。それでも正論を貫き通したいのであれば、相手の正論ともぶつかります。それはもう小さな戦争と言ってもいいかもしれません。

すぐに結論を導きやすくなった現代。この「みんなの正解を考える」という前提がないと、人は人の心に寄り添うことができなくなってしまうかもしれないなと感じた次第です。

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Kentaro Matsuoka