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空の瓶を眺めて

人間が五感を経由して受け取る情報の中でも、とりわけ「嗅覚」と「記憶」は結びつきやすいと言われています。嗅覚情報は、記憶や感情を司る大脳辺縁系へと直接送られるためです。

大切な人との掛け替えのない思い出も、仕事で躓いた時の辛く悲しい気持ちも、もしその瞬間「香り」が側で寄り添っていたならば、この先の長い人生において意図せず香りが記憶のトリガーとなるかもしれません。

時の経過が癒やしてくれたはずの思い出したくない気持ちが、その当時のまま色褪せることなく蘇ることもあるでしょう。私は、使い終わった香水の空き瓶を見ると「自分がこの香水を肌につけていた時の中で、最も印象的だった出来事」を懐うことがあります。

DS・DUARGA(ディ・エス・ダーガ)の「SIR」は、自分の人生においてターニングポイントとも言える時間を共にした香りです。

誰に聞かれたわけでもないのに、少しだけ自分の話をします。大学卒業後、電子部品や半導体系のOEM関連のサービスを提供する会社に就職した私は、自分の思い描いた社会と現実のギャップに苦しむ無力な新社会人の1人でした。

当時はあまり深く考えてはいませんでしたが、従来の自分の好みとは大きく異なる、レザーや樹脂を主軸とした力強く壮年的な芳香を肌に乗せることで、自らを鼓舞する意味合いもあったのかもしれません。

不安に押し潰されそうになりながら営業活動に奔走する日々が始まってから程なくして、私の新卒一年目は会社の倒産と共に呆気なくその幕を下ろします。社会人経験と呼ぶにはあまりに短く、心許ない半年間だったように思えます。

自分の思い描いた「理想の自分」と大きくかけ離れた現状を悲観するあまり、しばらくの間、この香水を肌に乗せることはできませんでした。香りを嗅ぐだけで、苦い思い出が蘇ってくるのが耐え難かったためです。

自分語りが過ぎるのも冴えないので、結論をお話しすると、新卒一年目という人生における節目で大きな挫折を経験した非力な私を拾ってくれたのが今の会社の代表でした。数年経ても非力で愚直な私ではありますが、新卒一年目の当時に比べれば、今の方が僅かながら自信を持てているような気がします。

一時は瓶を見ることすら憚られた香水を、今は自然と肌に乗せることができます。この香水に相応しい社会人になれたのか、それとも時間の経過が傷を癒してくれただけなのかは分かりません。

会社も3期目を迎え、より堅牢で優しい組織を目指して。今までの自分とは少しだけ違った香水を手に取ってみる時期が訪れたようにも思えます。

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Ryota Kobayashi