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家族と歩いたフォロン展 – 思い出の絵画「ひとり」との再会

幼い頃、家の本棚に佇んでいた一冊の画集との出会い。

それがジャン=ミッシェル・フォロンの世界への扉を開けた最初の瞬間でした。

おぼろげな色彩は温もりと冷たさが不思議な均衡を保ち、そしてどこか癒しがたい孤独を優しく映し出す。そんな世界にすぐに魅了されました。また、世界のどこともわからない場所を旅する「リトルハットマン」と呼ばれるフォロン作品の象徴的なキャラクターも、深く心に刻まれています。

その一方、驚くほど鮮明な輪郭で描かれる暴力的な表現が不意に目の前に現れることも。ゾッとするほどの硬質な孤独感、発達する文明の中で自我を失った人間たち、巨大な街の中での孤立、そして平然と行われる抗い難い暴力。

優しさと狂気。そんな相反するさまざまな要素が不思議と溶け合い、独特の世界観を形作っていく。その魅力的な世界に引き込まれるように、幾度となく画集のページをめくっていたことを、今でも鮮明に覚えています。

特に心に深く刻まれているのは、自室に飾っていた「ひとり」という作品のレプリカです。

柔らかな色彩で彩られた広大な世界に向かって一人歩みを進める人物の姿。その背中は時に私に勇気を与え、また時に深い慰めをもたらしてくれました。

本当に大好きな絵でした。

フォロン展が30年ぶりに日本で開催されるという記事に出会った時、心が大きく揺れ動きました。幼き日々に魅了された作品たちを見てみたい、そして何より「ひとり」との再会が叶うかもしれない。その期待に胸を膨らませながら、迷いなく家族を誘い、名古屋まで足を運びました。昨年の東京展を見逃してしまった後悔が、かえって今回の旅への切実な思いを強めていたのかもしれません。

対面したフォロンの作品の数々。

穏やかな色調の中に漂う孤独感。

それは今でも、あの頃と変わらない深い余韻を残してくれました。

フォロン作品群との出会い、社会への眼差し

名古屋駅から美術館へと向かう道すがら、フォロン展の看板が目に入った瞬間、心が小さく震えました。初めて出会う作品たちへの期待が、どこか懐かしい余韻とともに胸の中で膨らんでいきます。

美術館に一歩足を踏み入れると、そこには幼い頃から親しんだ作品たちと、初めて出会う作品たちが静かに私を迎えてくれました。どの作品との出会いも新鮮で、深い感動に満ちていました。

幼い日々に抱いていたフォロン作品への印象は、優しさと儚さが混ざり合い、どこか遠い場所への憧れを感じさせるものでした。しかし、時を経て大人になった目で見るフォロンは、まったく異なる表情を見せてくれます。

優しげな世界観だけを描くアーティストではないことは理解していたつもりでした。孤独や暴力など、社会の痛みを描き出す一面もあるアーティストだということも。

けれど、幼い私は作品の「意図」を深くは理解していませんでした。

仕事を引き受けるのは「自身が本当に何かを感じるものがあるテーマのみ」という仕事への向き合い方にも驚かされましたが、最も心を揺さぶられたのは、この世界に向けられた彼の眼差しの鋭さです。

無数の矢印が特定の人物を指し示す作品。均質な群衆の中でただ一人だけ異なる姿をした人物。ミサイルが連なるカートリッジを加えている鳥。空を埋め尽くすミサイルの群れ。

核実験反対運動から始まった環境保護団体グリーンピースとの仕事、森林破壊を描いた作品、戦争をテーマにした作品、社会における人間の孤独を映し出すような作品。

それらは争いの不毛さを静かに、しかし強く訴えかけてきます。

ちょうどジョージ・オーウェルの「1984」を読み終えたばかりだったこともあり、ディストピア的な現実への感受性が高まっていたのかもしれません。フォロンの描く世界には、現代社会への静かな警鐘が鳴り響いているように感じられました。

恥ずかしながらアーティストとしてのフォロンを深く理解していなかった私の目に映ったのは、柔らかな筆致で描かれたこの世界の悲しみでした。

そこには私たちへの深い問いかけが、まるで透明な影のように漂っていました。

「ひとり」との対面

空間を埋めるフォロンの作品たち。絵画、写真、彫刻、ポスター。

異なるメディアを通して、多彩な感覚が私の中で揺れ動きます。優しさと暴力性、愛らしさと不気味さ。かつて画集の中で出会った思い出の作品たちが、今、現実の光の中で息づいていることの感動。

記憶の中の作品たちと一つずつ再会を果たしていきます。

「あぁ、この作品はこんな色合いだったのか」「この絵ってこんな質感だったんだな」。そんな感慨に浸りながらも、どこか落ち着かない気持ちが募ります。

「ひとり」との再会がまだ果たせないからです。

そして、最後の展示室。

そこに、待ち焦がれた「ひとり」が静かに佇んでいました。

これまでの作品群とは異なる、予想をはるかに超える大きさで。

温かみと冷たさが交錯する色彩は、ぼんやりとした境界線を描きながら、確かな存在感を放っています。幼い日々、毎朝目覚めるたびに眺めていたあの世界が、今、まさに目の前に広がっています。

見渡すかぎり果てしない風景の中を、たったひとりで歩み続ける人物。その静かな決意に、孤独に、どれほど励まされたことか。

今、私は家族とともにこの「ひとり」という作品の前に立っているのか、そう思うと目頭が熱くなるのを感じました。まるで長い旅を終えて、懐かしい故郷に帰り着いたような、私はそんな深い安堵感に包まれていました。

「ひとり」を眺めながら

長い時を経て「ひとり」との再会を果たした余韻に浸りながらも、ゆっくりと展示室を後にします。

出口に設けられたミュージアムショップは、フォロンの世界を日常へと運んでくれる品々が所狭しと並びます。

普段であれば慎ましやかに選ぶところですが、今日ばかりは違います。

画集、書籍、雑貨、衣服、ポストカード。思い出とともに、次々とショッピングバッグの中へ納まっていきました。

そしてポストカードの列の中に、ふと「ひとり」を見つけます。もちろん迷いなく手に取りました。

フォロン展で購入した「ひとり」のポストカード

フォロン展で購入した「ひとり」のポストカード

果てしない風景の中をたったひとりで歩み続ける人物。彼は小さな額に収まって、私の机の上で静かにその歩みを続けています。

幼い日々の机を見守ってくれた思い出の絵が、30年の時を経て再び私の日常に寄り添ってくれることに本当に深い喜びを感じています。

私の人生の重要な場面でいつも励ましてくれた、私の人生をいつも支えてくれた一枚の絵画への感謝を胸に。

いつかまた、どこかの美術館でフォロンの足跡と出会える日を夢見ながら、今日は筆を置くことにします。

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Kentaro Matsuoka