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「優位性」と「有意性」について。どうして事業に有意性が必要なんだろう?

先日、経営戦略の授業を受けている中で、「優位性」と「有意性」という言葉が出てきました。

“著名な方が日本の企業に対し「優位性はあるが優位性はない」といった趣旨の発言をした”的なお話しだったのですが、肝心のお名前を失念してしまいました…

すいません。

競争優位性という言葉自体は、これまで何度も目にしてきましたし、ポジショニングや差別化といった文脈で語られることにもなんとなく慣れています。

一方で「有意性」という言葉には、なんとなく引っかかりを覚えました。聞き慣れないというよりも、ビジネスの文脈ではあまり正面から語られてこなかった概念のように感じたからです。

ただ、この二つの言葉を並べて考えてみたとき「これからの事業づくりにおいて、本当に問われるのはどちらなのか?」そんな問いが頭によぎったんですね。

競争に勝っているかどうか以前にその事業は意味を持てているか。誰にとって、なぜ存在していると言えるのか。

授業内でこの二つが厳密に整理されたわけではありません。

そのため、今回の内容はあくまで私なりの解釈になりますし、統計学的な観点における「有意差」の話とも距離を置いた話になります(そのあたりはどうかご容赦ください)。

今回は「優位性」と「有意性」という二つの言葉を手がかりに、これからの事業設計について考えてみました。

「優位性」と「有意性」それぞれの意味

まず言葉の整理から入っておきたいと思います。

優位性とは何だろう

優位性とは、端的に言えば「他者より有利な位置を取れている状態」だと理解しています。要はポジショニングのお話しですね。

価格、品質、スピード、立地、規模、技術。どの軸であれ、「比較したときに勝っている」ことが優位性です。

ここで重要なのは、優位性は必ず相対評価だという点です。

そのため、

  • 競合が変われば、優位性も変わる
  • 市場環境が変われば優位性も陳腐化する
  • ルールが変われば一気に意味を失うこともある

つまり優位性とは、戦場依存・時間依存の概念なのかもしれません。だからこそポジショニングや競争戦略が必要になるのでしょう。

有意性とは何だろう

一方で、有意性という言葉は少し性質が異なります。

「有意」という言葉を私の手元にある辞典で調べると「意味のあること」「意義のあること」と書いてありました。

これを事業に当てはめるなら「なぜこの事業はどんな意味があるか、この事業はどんな意義があるかが明文化されている状態」と言い換えられると思っています。

ここでのポイントは、有意性は必ずしも比較から生まれないということだと思うんです。

一番安くなくてもいいし、一番速くなくてもいいし、一番シェアが高くなくてもいいんです(多分)。

それでも「ここがいい」「あなたから買いたい」そう言われる理由が成立しているかどうかの方が重要です。

有意性とは、選ばれる理由の根拠であり、事業と社会、あるいは事業と個人とのあいだに生まれる「意味の接続」だと思っています。

なんで「有意性」が必要なんだろう

私が「有意性」が重要だと感じた理由は、ひとことで言えば模倣困難性にあります。

これまでのビジネスは、どうすれば競合より有利なポジションを取れるか、という問いに多くの時間を使ってきました。

価格、機能、スピード、規模。どれも重要ですが、同時にそれらは原理的にだいたい真似ができます。時間や資本をかければ追いつかれるし、大資本が参入すれば一気にひっくり返ることも珍しくありません。

優位性は「勝っている状態」ではありますが、同時にとても不安定な状態でもあります。

外部環境が変われば昨日までの強みは簡単に意味を失ってしまいますが、その脆さを補うために必要なのが有意性なのではないかと思っています。

創業の動機や、その人たちがなぜそれをやっているのかという理由、積み重ねてきた失敗や遠回り、言葉にしきれない美意識や癖。

こうしたものは理屈の上では再現できそうに見えても、実際にはほとんど模倣されません。同じ時間を生き、同じ痛みを引き受ける必要があるからです。全く同じ人生がないのと一緒ですね。

AIの進化によって、合理性や効率性、最適解を出す力はこれからもっと均質化していくでしょう。

これは社会にとっては良い変化ですが、その一方で「正しいことができる」だけでは選ばれにくくなっていくんじゃないかと。

そうなると最後に残るのは、誰がやっているのか、なぜそれをやっているのかという、人の部分です。

人の視点や偏り、信念が滲み出たプロダクトやコンテンツには、どこか嘘のつけない重みがあります。単純にコピーしようとすると、どうしても薄くなる。そしてその「人が発信してきた総量の差」こそが、有意性なのだと思います。

だからこそ有意性は、「真似できない」こと以上に、「真似したくない」領域に近い概念だとも思うんですよね。例えば異常な量のコンテンツを作ってアップすることは多くの人にとって真似したくないものでしょう。でもそれがある種の勝ち筋なのかなとも感じています。

そして重要なのは、有意性は優位性と対立するものではないという点です。

順番が違うだけで、有意性がしっかり立ち上がっている事業は、時間をかけて共感を集め、結果として選ばれ続ける状態をつくります。

それは数値上の差というより、関係性の差に近いものなはずです。

だから私は、優位性から考えるよりも先に、有意性を問い直すことが、これからの事業づくりには必要なのではないかなあと思っています。

「有意性」が伝わることで、どんなにいいことがあるのか

優位性だけを追い求めると「勝てるけど、なぜやっているのか分からない事業」になってしまうかもしれません。

しかし有意性だけを語ると「意味はありそうだけど、持続しない事業」になってしまうかもしれません。

だから本来は両方必要なんですが、これまでのビジネスは優位性に寄りすぎていたんじゃないかなと、そんな違和感を持っています。

さて、有意性について考えていると、多くの企業は「語るものを持っていない」のではなく「良さが伝わっていない」だけなのではないかと思うんです。

創業の背景も、続けてきた理由も、譲れない美意識も、実はほとんどの会社の中にすでに存在してはいるはずなんですよね。ただ、それが外に向けて語られていなかったり、あるいは語る必要がないものとして扱われているような気がしてなりません。

その結果、外から見る「何をしている会社なのかは分かるけど、なぜそれをしているのかは分からない」という状態になってしまんじゃないかなと。

有意性が伝わらない事業は、どうしても条件比較の土俵に乗せられます。価格、機能、実績、規模などがそれです。どれかで負けた瞬間に、選ばれなくなってしまうかもしれません。

一方で、有意性がきちんと伝わっていると、選ばれ方そのものが変わってきます。

多少高くても、多少不便でも「それでもここがいい」と言ってもらえることもあります。比較検討の対象ではなく、指名される存在になっていくんですね。

なんだかマーケティングやブランディング的な話に聞こえますが、もっと言えば「関係性の設計」の話だと思っています。

有意性ってどう設計すべきなんだろうか

「有意性の設計」というと大げさに聞こえるかもしれませんが、「自分たちの魅力をどう外に届けるか」という話に尽きると思っています。

しかし、有意性は市場から逆算して無理につくるものではないと思うんですね。市場や競合を分析し、そこに自分たちを合わせにいくというアプローチは、優位性をつくるうえではとても有効です。

が、その一方で有意性をつくろうとして誰かと同じことをするとどうしても体重が乗らない。

ということで、有意性は「外から内」ではなく、「内から外」の設計が必要だと思っています。

簡単に言えば、まず自分たちの内側をきちんと見ることでしょうね。

どんな思いで事業を始めたのか、どこで躓き、何を大事にしてきたのか。なぜ続けているのか、そしてこれからどこへ向かいたいのか。そうした「偏り」こそが、他と入れ替えの効かない要素になります。

こうした問いは、すぐに売上につながるものではありません。だから後回しにされがちですが、有意性の核になるのはいつもこの部分です。

それらを言葉にし、形にし、外に差し出すことで初めて、市場との接点が生まれていくのでしょう。内側から立ち上げた意味を、どこに接続すれば届くのか。どの文脈で語れば、誤解なく伝わるのか。

「彼を知り己を知れば百戦危うからず」という言葉がありますが、多くの企業は「彼を知る」努力に偏りがちだと感じています。

競合や市場はよく見ているけれど、自分たちが何者なのかについては意外と考えられていないんですよね。不思議なものです。

有意性の設計とは「己を知る」ことを避けずに考えることなんじゃないかなと思うんです。

少し、というかだいぶ面倒で、時間もかかります。

でも、そのプロセスを経た言葉だけが、他にはない意味として外に届いていくのだと思います。

「競合優位性」も大事だけど、「競合有意性」もすごく大事

優位性は戦略である程度補強できるかもしれませんが、有意性は時間をかけて育てていくものです。

だからこそ、一度きちんと伝わり始めると簡単には失われない強さになってくれます。

もちろん、競合優位性は今後もとても重要です。

価格、機能、商品魅力などはどれも事業を成立させるうえで当たり前に欠かせない要素ですし、それらを無視して成長できるほど市場は甘くありません。

しかし、そもそもなぜその事業が選ばれるのかという問いには、優位性だけでは答えきれない気がしています。

唯一無二のはずの有意性が、戦略や施策の話の中でいつの間にか脇に追いやられてしまうことは本当にもったいないことです。その結果「正しいことをしているが、記憶には残らない」、そんな事業になってしまう。

究極の競合有意性とは「競合と比べて何が勝っているかではなく、競合と比べなくてもここを選ぶ理由が成立している状態」だと私は考えています。

優位性は奪われることがありますが、有意性は簡単には奪われません。なぜならそれは、事業そのものというより、人と時間の積層だからです。

もしこれから事業の強さを考えるなら、「どこで勝つか」と同じくらい、「なぜ自分たちはここにいるのか」を問い続けることが必要なのかもしれませんね。

優位性を磨く前に、有意性を見つめ直す。

その順番を変えるだけで、事業の輪郭はずいぶん違って見えてくる気がしています。

様々なお客様の有意性をよりよく伝えるために、これからも頑張っていこうと思います。

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Kentaro Matsuoka