香水との出会いは、人それぞれに特別な意味を持つものかもしれません。
私にとって大切な一本は、21世紀最後の魔女と呼ばれるアニック・メナルドによって調香されたGIVENCHYの「XERYUS ROUGE(キセリュズ ルージュ)」という香水です。
なんだか呼びにくい名前ですね。
ピエール・ディナンが手がけたこのボトルには、ほろ苦くスパイシーなリキュールを思わせる大人びた香りが収められています。そこにサンダルウッドやシダーウッドの奥深さ、ホワイトムスクの柔らかな甘さが溶け合う、官能的な余韻を残すフレグランスです。
この香水を初めて手に取ったのは高校生のころ。大人びた物事への憧れが芽生え始めた、心が揺れる時期でした。
香水に慣れていなかった私は、その濃密な香りに最初は戸惑いましたが、日を重ねるごとにその不思議な魅力に引き込まれていきました。
寝る前、枕元にそっと忍ばせるように吹きかけたり、休日の静かな部屋にゆるやかに漂わせてルームフレグランスのようにしてみたり。
気がつけば、私の青春はいつもこの香りとともにありました。大人への憧れと、大人になることへの不安が混ざり合うような、そんな日々の隣にそっと寄り添ってくれる伴侶のように。
時の流れは容赦ないものです。10代だった私は気づけば30代になっていました。
慌ただしい日々の中で香水を手に取ることも少なくなり、その存在すら忘れかけていました。けれどある日、不意に青春時代の記憶が香りを思い出し、XERYUS ROUGEを探してみることにしました。
しかし、そこで告げられたのはもう廃盤になってしまったという現実でした。
思い出の香水との永遠の別れ。
それは、過去の時間ごと閉ざされてしまったような感覚でした。あの頃、当たり前のようにそばにあった香りが、もうどこにもない。そう気づいたとき、初めて私は、この香りが自分の人生にどれほど深く刻まれていたのかを、思い知りました。
それは、親しい友人に急に会えなくなったような、ぽっかりとした寂しさでした。
諦めきれず、時折ネットを彷徨い、古い在庫を扱う香水専門店を訪ね歩きます。どこかに一本だけでも残っていないだろうか。そんな執着にも似た思いを抱えていたある日、思いがけず、その「一本」に巡り合うことができたのです。
幸運でした。
未使用のまま、時を超えて残されていた一本。それを手にした瞬間、まるで昔の友人と再会したような、言葉にならない喜びが胸に広がりました。
それが今、私の手元に残る最後のXERYUS ROUGEです。
この一本が本当に最後かもしれない。そう思うと、惜しむように大切に使うようになりました。
時には、ただキャップを開け、そっと香りを確かめるだけで心が満たされることもあります。それだけで記憶の扉がゆっくりと開いていくのを感じるのです。
大人になろうと背伸びした街角の風景、香りに包まれて眠りについた夜、胸を震わせた出来事、今は変わってしまった街並み。そしてもう二度と会えない人々の面影。
懐かしく、ほろ苦い記憶が、ふわりと香りとともに立ち上ってきます。
私にとってXERYUS ROUGEは単なる香水ではないのでしょう。それは、もう戻れない時間をそっと手繰り寄せるための、大切な扉なのかもしれません。