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  • Ryota Kobayashi

戦後80年特集展示「平和であることへの、控えめななにごとかを」から、戦争と美術について考える

先日、横浜美術館で開催されている戦後80年特集展示「平和であることへの、控えめななにごとかを」を鑑賞してきました。

戦争と平和という文脈では強烈な言葉が使われることが多い中、なぜ「控えめななにごとか」という表現を選んだのが、純粋に気になってしまったのが足を運んだきっかけです。

さまざまな写真家、芸術家たちの遺した小さな断片から感じ取った第二次世界大戦前後の空気感、そして当時の彼らが抱いていたであろう感情とその発露である作品について、純粋な感想を記したいと思います。

戦争が作品に刻んだ痕跡

展示の冒頭には、第一次世界大戦から第二次世界大戦にかけて生まれた前衛芸術が紹介されていました。

無差別の殺戮と価値観の崩壊を前に、アーティストたちは既存の美や形式を信じられなくなり、ダダやシュルレアリスムといった運動へと進みます。

その中で特に印象に残ったのが、ジョアン・ミロの黒と赤のシリーズです。

赤と黒という強烈な色面がぶつかり合い、その間を点や線が漂う構成。赤は血や怒りを、黒は死や喪失を表しているのでしょう。社会情勢とはあまり関係のない作品を残してきたミロですが、その当時の凄惨な状況は、嫌が上にも作品に影響を与えていたのだと思います。

怒りや恐怖から生まれた作品は「本来」か

展示を見ながら、一つの疑問が生まれました。

怒りや恐怖から生まれた作品は、その人にとって「本来の創作」と言えるのか。もし戦争がなければ、もっと自由な色や形を追っていたのではないか。そう考えずにはいられませんでした。

しかし同時に、極限状況だからこそ、表現せずにはいられなかったものがあるのも事実です。戦火を前にしても筆を取り、カメラを構え続けた芸術家たちは、ジャーナリストのような存在だったのかもしれません。

自らの怒り、憎しみ、悲しみといった感情をアウトプットし、「忘れないための証」を残すという意志がそこにありました。

ロバート・キャパのノルマンディー上陸作戦の写真はその象徴だと思います。多数のフィルムが事故で失われ、残った数枚だけが世界に伝わったというエピソード。ピントも露出も不完全ですが、かえってその不安定さが現場の緊迫を伝えていました。

「完璧な記録」ではなく「残ってしまった証」が、歴史を動かすこともあるのだと実感しています。

「美術文化」が示す皮肉

特に考えさせられたのは日本の前衛芸術家の団体「美術文化協会」の刊行物、『美術文化』です。

そこには「内的精神の表現」を掲げつつも、外的状況から逃れられない現実がにじんでいました。

芸術は本来、内面を掘り下げる営みであるはずです。しかし純粋な内面など存在せず、私たちの思考や感情は時代や社会と切り離すことができません。結果として、作品はどうしてもその時代の痕跡を帯びてしまうのです。

この「内を表そうとするほど外が透ける」という皮肉は、痛ましくもあり、人間の表現の真実を突いていました。

だからこそ今を生きる私たちは、作家が紙面や画面に残した痕跡を通じて、その時代の空気感を感じ取ることができるのだと思います。

考え続けること

戦後80年という節目にあわせた今回の展示は、過去を一方的に振り返る場ではありませんでした。

作品に触れることで、戦争が芸術を変えた事実だけでなく、その芸術を通じて私たちがどう現代を見つめ直すかが問われていたように思います。

力強く告発する作品もあれば、わずかな線や沈黙のような表現で見る者を立ち止まらせる作品もありました。どちらも一面的に「答え」を示すのではなく、考え続けるための余地を残していました。

「平和であることへの、控えめななにごとかを」。この言葉は、展示を見終えたあと「私自身はどんな小さなことを積み重ねられるのか」と考えるきっかけになりました。

大きな行動や声ではなくても、忘れないように目を向けること、日常の中でふと立ち止まること。それ自体が、次の世代へ渡せる小さな証になるのかもしれません。

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Ryota Kobayashi