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ぼんやり歩きながら思い出す、生まれ育った街のこと。

先日、仕事帰りにふと思い立って、子どものころ過ごした街の近くを歩いてみました。これと言って大きな理由があったわけではありませんが、なんとなく足がそちらへ向かってしまったのです。

私の暮らす横浜という街は、静かな住宅地とざわめきの絶えない歓楽街が混ざり合った、不思議な場所です。

幼いころの私はそれを当たり前として受け止めていましたが、大人になって振り返ると、あの環境は思っていた以上に独特だったのだと気づかされます。

散歩の道すがら、かつての記憶や空気が少しずつ蘇ってきました。

今日はそのとき感じたこと、そして読者の誰もが一切関心を寄せることのない私自身の生い立ちについて、少しだけ書き留めてみたいと思います。

かつて歩いた街を、もう一度

仕事帰りの夕方、特に目的もなく足が向いたのは、自分が生まれ育った地域でした。

住宅街と歓楽街が隣り合わせに存在し、昼と夜でまるで表情が変わる場所。

道をひとつ挟むだけで空気がガラッと変わる街は、多くの家庭であれば子どもを近づけたくないような要素もたくさん抱えていました。

それでも幼いころの私は、その全部を“世界とはそういうものだ”と受け止めていたのだと思います。明るく穏やかな住宅地も、少しだけざらついた裏通りの気配も、どちらも日常でした。

大人になって話すと驚かれることもありますが、今も自分にとっては特別なものではありません。

通りを歩きながら、あの頃の匂いや音。思い出すというより、街のほうが勝手に記憶を手繰り寄せてくる、そんな感覚です。

母校が消えて、マンションが建っていた

特に中学時代は、正直に言えばあまり良い思い出はありません。

まるでごくせんのワンシーンのような荒れた雰囲気があり、半グレの先輩たちが校舎にたむろしていました。本当に怖い…怖すぎませんか?

ヤンクミのような教師は残念ながら在籍していなかったため、私はなるべく目立たず、まるで誰にも気づかれない備品の一つのように細々と生活していたように思います。(ほろり)私に気づかないでほしい…どうか放っておいてください。

大人になり随分経ってから、その母校が廃校になったと聞きました。「学校がなくなる」という出来事をそれまで実感として理解していませんでしたし、今でも少しだけ不思議な感覚です。

散歩がてら立ち寄ってみると、母校の跡地に建っていたのは、まだ築浅の大きなマンション。エントランスも非常にゴージャスで、「ここのエントランスなら暮らせるかもしれない」、今年で32歳を迎えた私はそう強く思いました。

かつての学校の面影はもちろんどこにもなく、校庭だった場所も、こぢんまりとした校門のあたりも、完全に形を変えていました。

冷静に考えれば、あまり良い思い出のない場所です。けれど、いざ失われてみると、不思議と胸にひっかかるものがありました。

あそこで過ごした時間を肯定する気持ちはないけれど、確かに自分の“土台の一部”だったのだと、そのとき気づかされたように思います。

清濁併呑の街で暮らして

日本有数の歓楽街、福富町付近

日本有数の歓楽街、福富町付近

この街の特徴は、綺麗なものと生々しいものが隣り合っている点にあります。

一歩進めば客引きが並び、ネオンがまぶしい日本有数の歓楽街。幼少期、純粋な好奇心で指差し母に尋ねた先にあったのは、ピンク映画館。母が困った表情をして別の話題に切り替えた理由も、今ならわかります。なぜなら今私は32歳なので。

でも少し歩けば、山手の洋館、元町の商店街、やたらと栗を渡される中華街など、観光地として知られる風景が広がっています。

世間一般の認識通りのTHE 横浜な空気と、喧しい夜のざわめきがぶつかり合う奇妙な街で育ったことは、自分の感覚の一部を形づくっているのかもしれません。

夜道を歩いていると、小さな頃の記憶がふと押し寄せてきました。

少し汚れたアスファルトも、タバコの吸い殻も、自分から擦り寄ってきたくせに撫でようとするとブチギレる野良猫も、当時はなんとも思わなかったもの一つひとつがなんだか懐かしい。

決して誰かに自慢できるような場所ではないけれど、自分にとっては間違いなくありふれた帰り道の風景だったことを思い出しました。

もう戻れないけれど、確かにここにいたという感覚

街の景色は変わり、人も変わり、住んでいた家も、通っていた学校ももうありません。

けれど、歩きながら思ったのは「なくなってしまったものの中にも、自分が置いてきたものがある」ということでした。

もう一度あの頃の生活に戻りたいわけではありません。というか絶対戻りたくありません。ただ、あの街のざらついた空気や、静けさと喧騒が混ざる独特のバランスには、自分の原点が確かに含まれていたのだと思います。

ひょっとすると、帰る場所というのは“誰かが待っている場所”ではなく、“あの頃の自分がまだどこかに残っている場所”なのかもしれません。

その感覚を思い出させてくれたちょっとノスタルジーなお散歩でした。「で、何?」と言われる前に、お開きにしたいと思います。ありがとうございました。

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Ryota Kobayashi