60年代にカリフォルニア州で誕生し、現在まで愛されているVANS。誕生以来、AUTHENTIC、OLD SKOOL、SK8-HI、SLIP-ONなどをはじめとした数々の名作を生み出してきました。
そんなVANSから発売されるフットウェアは、長年継続して販売されているモデルが大半を占めているのが特徴です。加えて、主力とするプロダクトはシンプルな外観をしていることから、どうしてもコーディネートに取り入れやすい定番スニーカーというイメージが先行してしまいます。
ところが、VANSはスケートボードはもちろんのこと、音楽やファッションなどのカルチャーと密接に関係し、それにより広く普及したという興味深い歴史を持つメーカーです。多くの名作をラインナップしているにも関わらず、定番とされているが故にその歴史や人気となった経緯について触れられることは少なく、現状ではユーザーがその本質的な魅力を容易に理解できる環境とは言えません。
日頃からよく目にするスニーカーなだけに、VANSのこれまでに触れることで魅力に気付き、新たな視点を得ることができるのではないでしょうか。今回はVANSが人気を獲得し、スニーカーの定番としての地位を獲得するに至った経緯を紐解きます。
VANSの誕生、高い耐久性に支えられ長らく愛されるAUTHENTICの登場
VANSのはじまりは1966年3月16日、ポール、ジム・ヴァン・ドーレン兄弟と、ビジネスパートナーのゴードン・リー、セルジュ・デリアの4名によって、カリフォルニア州アナハイムで立ち上げられた「The Van Doren Rubber Company」。そのビジネススタイルは、会社の敷地内でプロダクトを作り、その場で販売するという独自のものでした。
現在では定番のプロダクトを核とし、長年販売を継続するVANSですが、当初はカスタマーの注文を受け生産するオーダーメイドの靴屋でした。スニーカーのオーダーメイドを行う事業は当時他にはなく、VANSはスニーカーオーダーの元祖と言われています。
このオーダー生産の噂が広まり、ピエロが履いていた特殊な靴などの注文も受注していたそうです。当時、マクドナルドのドナルドが履いていた靴がVANS製だったとの噂もあります。
そんな設立当初に発売されていたのが、現在ではAUTHENTICとして知られる#44 DECK SHOESです。60年代後半には、VANSはソールのグリップ力や高い耐久性からスケーターに評価されはじめ、70年代初頭にはカリフォルニアのスケーターを中心に広がっていきます。
それを支える技術が、当時から現代まで続く、ソール部とアッパーを加硫、加熱加圧し、一体化する「バルカナイズ製法」です。近年のソールと比べて経年劣化しにくく、耐久性に優れるメリットがあります。VANSはこのバルカナイズ製法とキャンバス生地により、スケーティングに耐え得るグリップと耐久性を確保したのです。
カスタマーの視点を取り入れたERAを筆頭に名だたる名作を生み出し、今のVANSの基盤を築いた70年代
VANSがスケーターからの指示を集め、カリフォルニアで流行していた当時、スケーターは足首周りのクッションを確保するために履き口に綿入りのパッドを入れ、加工したAUTHENTICを履き始めました。このスケーターの視点を取り入れ、1975年に#95 ERAとしてリリース。
カスタマー、カルチャーに寄り添い、プロダクトに反映できるメーカーは、そうそう多くは存在しません。この出来事は、今日まで柔軟なものづくりを継続してきたVANSのメーカーとしての姿勢を象徴する出来事と言えるでしょう。
それから2年後の1977年には#36 OLD SKOOLが発売されます。お馴染みのサイドストライプは、ポール・ヴァン・ドーレンによる落書きから着想を得てデザインされたもの。当時はジャズストライプと呼ばれ、現在でもジャズとして親しまれています。
OLD SKOOLと同じく、現在まで定番として親しまれている#98 SLIP-ONも、同年にリリースされました。翌年1978年には足首周りにクッションが入ったハイカットモデル#38 SK8-HIが発売。SK8-HIはジャズが施された2つ目のモデルとしても知られています。
多くのスケートボーダーやBMXライダーによって着用されたことにより、カリフォルニアでは話題のスニーカーとしての地位を確立しました。さらに、70年代終わりにはその販路を国外にまで広げます。
この時点で、現在の主力となるモデルの大半はリリースされていました。VANSは70年代で完成していたと言えるでしょう。
80年代、世界進出を成功させるも経営破綻。VANSの再建と現在までの道のり
1982年になると、当時公開されヒットした映画「初体験/リッジモント・ハイ」にて俳優のショーン・ペンがSLIP-ONを着用し、北米圏以外でもその知名度を伸ばします。
着実に人気を獲得していたものの、急速な事業拡大で1,200万ドルにまで膨らんだ負債により1984年には経営破綻。法律に基づき、ポール・ヴァン・ドーレンは経営から退くことを余儀なくされましたが、再建計画が認められ社長に復帰しました。
当時の従業員たちにプロダクトの品質は維持しつつ、3年間は昇給が保証できないことに加え、あらゆる面でコストカットを実施することを伝えました。いかなる状況でも良いものを作ることにこだわる、VANSのものづくりへの姿勢が伺えます。そして1987年、品質を損なわないこの施策により、経営破綻からわずか3年で1,200万ドルの完済に成功。
1988年にはカリフォルニアを拠点とする投資会社にVANSを売却。ポール・ヴァン・ドーレンは会長としてとどまり、社名を「Vans. Inc」に改めます。
1990年には業績を好調に伸ばし、7000万ドルの売り上げを達成。1992年には伝説的スケーター「スティーブ・キャバレロ」のシグネチャーモデルとしてHALF CABをリリースしました。
2004年には「Supreme」、「The North Face」、「Timberland」を有する「VF Corporation」に3億9千6百万ドルで買収され、同社のグループブランドとして現在まで存続しています。
多様なカルチャーを支えてきたVANS。ブレないプロダクトを一貫して生み出すその姿勢
VANSは設立当初、スケーターからの支持を集めたことで認知を急速に広げたと言っても過言ではありません。当時スケーターからVANSが選ばれたのは、70〜80年代はスケーティングに耐え得るスニーカーが少なかったことも影響しているのではないでしょうか。
80〜90年代にもなるとスケーターにとどまらず一般層にも浸透し、定番のスニーカーとして幅広いユーザーの支持を獲得します。
その人気を支えた一つの要素として、プロダクトの価格が挙げられます。VANSのスニーカーは、当時から現在に至るまで競合メーカーと比較すると、安価に提供されてきました。
カリフォルニア州を中心に事業を行うスニーカーメーカーが地元を中心に人気を獲得するには、さまざまな人が購入できる価格かつ、丈夫で長く履けることが大前提です。VANSが本社を置くカリフォルニア州は、ハリウッドなど華やかな側面が注目される一方で、貧困層も多く、人種問題をはじめとしたさまざまな問題を抱えています。
そのように、さまざまな層が生活するカリフォルニア州で多数の支持を獲得するとなると、誰もが購入できる金額で販売することが条件となるのは想像に難くありません。
そして、これまでさまざまなアーティスト、カルチャーをサポートしてきた事実も、VANSが支持を集める要因の一つ。VANSは近年ではオリンピック種目にも入ったスケートボードや、ロックやヒップホップ、チカーノにルーツを持つアートなど、今では当たり前となったカウンターカルチャーにも当時から隔てなく寄り添い、デザインに取り入れてきました。
近年では多方面で多様性が取り沙汰されるようになりましたが、VANSは当時から一貫して尊重してきたメーカーと言えるでしょう。