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より良く思考するために。「思考の種」をどう見つけ、育てるか

正月休みが終わって、気づけば一週間ほどが経ちましたね。

休みの余韻に浸る間もなく急に日常へ引き戻されたような感覚で、なかなか負荷の高い一週間だったなあと思います。

そんな中で、改めて強く感じたのが「思考を整理すること」だったり「言葉を整理すること」だったりの重要性でした。

良い思考ってどうすれば生まれるのかなーとかねてより思っておりましてですね。

これからの時代は、どんな問いを立てられるか、どれだけ深く考えられるか、そして情報と情報をどう接続できるかなどなどの力のほうが、ますます重要になっていくんじゃないかなと感じています。

僕は全然できていないので毎日反省しっぱなしですが。

なので「思考することってなんだっけ」「今どう思考してるのかな」「自分ってどう思考すべきなのかな」などなどを考えてみました。

自分自身の整理を兼ねて書いてみようと思います。

より良い思考のために、まず「思考の種の総量」を意識

以前読んだ『思考の整理学』の中で、「考えはむしろ一度寝かせたほうが育つ」的な考え方に出会いました。

時には、思いついたことをすぐに結論へ持っていこうとしなくていいのかもしれません。

一旦そのままにしておくことで、自分の中にある別の情報や経験と混じり合い、時間をかけて思考が育っていくような、そんな姿勢がとても腑に落ちたのを覚えています。

そこでまず意識したのが、「思考の種の総量」を増やすことでした。

良い思考をしたいならいきなり完成形を目指すのではなく、まずは未完成な問いや違和感、引っかかりをたくさん持つことだと思ったんです。

ただし、思いついただけで終わらせてしまうとその考えは芽を出す前に消えてしまいます。それらを忘れずに自分の中に残しておくことを大事にしようと思いました。

僕の中では、

  • とりあえず思ったこと
  • 違和感
  • 気づき
  • モヤっとした感覚

などなどのこうしたものをすべて「思考の種」と呼ぶようにしています。

答えが出ていなくても、言語化しきれていなくてもいいんです。まずは、その「種になりそうなこと」をたくさん持つことを意識してみようと思いまして。

「思考の種」はどう増やす?

日々ぼーっと過ごしているだけでは、思考の種はほとんど、というか全く増えません。

で、ここで意識しているのは「観察すること」「種にすること」の二つです。

「観察する」は、別に特別なことではなくてですね、目の前にあるものを少しだけ違う角度で眺めたり考えたりしてみよう!という感覚に近いです。

たとえば、今この文章を書いている机の上には愛用しているカメラ「Leica Q2」がございます。僕の写真活動には欠かせない相棒です。

例えばですね、

「なんでカメラというものが生まれたのかなー」

「写真を撮るって本質的には何なんだろうなー」

「視覚性というメディアは人の理解や感情にどんな影響を与えるのかなー」

みたいな問いが浮かんできたとしましょう。この「第一次的問い」を生み出すためのプロセスを「観察すること」と呼んでいます。

この時点ではもう「思考の種」としてもいいんですけど、もう一歩踏み込んで考えることができればもっといい種ができるかもしれません。

「撮るという行為は対象との対話なのかもしれないぞ?」みたいな考えが生まれたとしましょう。これは「第二次的問い」。

さらにそこから、

「コミュニケーションデザインにおいて視覚性はどこまで重要なのか」という考え問いに発展したとしましょうか。

「第三次的問い」です。

ここまでくるとなんかいい感じの「思考の種」になったなという感覚になります。実務にも効きそう。

アナロジーを考えることも大事にしていますね。

そしてこの種をそのままにしてはいけません。

忘れないように、必ずメモを取ります。

完成度はどうでもいいんです。別に「第一次的問い」でもいいんです。粗いままでもいいからまず言葉にして残しておくんです。

これを「種にする」と呼んでいます。

この流れをとにかくたくさん行うんです。

歩いているとき、映画を見ているとき、本を読んでいるとき、誰かと話しているときなどなどいつだっていいんです。

どんな場面でも「これは問いになりそうだな」と感じたものは、すべて種として残しておく。もはやメモ魔と言い換えてもいいかもしれません。

昔からこの癖はあったんですが、今はより意識的にたくさん思考の種を集めること、そしてメモとして残すことを日々意識しています。

思考の種を「然るべきところ」に埋めるためのツール整理

思考の種はただたくさん集めただけでは意味がありません。種はなかなか勝手に育ちません。

どの種をどこに埋めるのかだったり、どの種同士を近くに置くのかなどを考えないと意味がなさそうです。

結果としてただメモは増えただけで思考は広がらないし深くもなりません。

そこでまず行ったのがツールの見直しでした。これまではこんなツールで思考を整理していました。

  • Drafts:思いついたことを即座に書き留める用
  • Notion:学んだことや考えたことを整理する用
  • Apple純正メモ:日記や心がけ用

Drafts、あんまり使っている人見ないんですよね。いきなりメモ画面が立ち上がるという即時性が強くてずっと使ってます。iPhoneもiPadもmacbookもすぐ同期できるのも良きです。

話を戻しまして、各ツール単体では便利なのですが、互いにほとんど連携していなかったんですよね。

結果として、「思いつく→メモする→それっきり」というやばい流れが量産されていました。

種はあるのに、畑に移されない状態です。そこで整理の仕方を変えまして。こんな感じにしました。

Drafts

思考の種の保管庫。とにかく速さ重視。

「育てる場所」ではなく、「種を保管する場所」と割り切っています。無駄な機能がないためとにかく爆速でメモができます。最高。大好き。

Obsidian

思考の種を育てる場所。

Draftsで拾った種を言語化したり、他の種とくっつけたり、膨らませるために重宝しています。

色々なプラグインや外部ツールと連携させているのでとっても便利。

Kindleのハイライトも連携させているので、読書由来の種たちも自然に集まってきます。Obsidianがないともう何もかもが無理かもしれません。ありがとうObsidian。

ちなみに記事の下書きもすべてここで行っています。

Notion

Notionは思考を育てる場所ではなく「チームで仕事を進める場所」にしました。

プロジェクト管理や、チームで共有すべき知見を置くための場所です。個人的な思考の整理や種育てはここではあまり行っていません。

ここでなんらかの気づきがあれば一旦Draftsにメモされ、Obsidianで育っていきます。ありがとうObsidian。

Appleメモ

主に日記用になりました。

移行も考えましたが、あまりにも量が膨大なので一旦はそのままにしています。

日記で気になるポイントがあればやはりDraftsにメモされ「種化」します。ありがとうDrafts。そしてありがとうObsidian。

 

と、まあこんな感じ。

これを勝手に「思考の種育成セット」と読んでいます。

こうして役割を分けてみると「今これは、種なのかな?」「もう育てる段階なのかな?」などを自然に意識できるようになりました。

思考の段階をどう分けるかという仕組みが大事なのかもなあと感じています。

僕の「思考の種育成セット」は随時アップデートしていきます。

「思いつく」と「考える」の両軸体制を持つ

これまでの自分を振り返ると「思いついて終わり」か、「なんとなく考えて終わり」このどちらかに偏っていたなと思います。

ダメすね。

思いつきはたくさんあるものの、それを育てるところまでいかない。あるいは、テーマを決めずに考え始めて途中で霧散してしまったり。

どちらも、深い思考にはなっていませんでしたね。

ダメすね。

そこで意識するようになったのが「思いつく」と「考える」を分けて扱ったらどうなのかということでした。

「思いつく」って行為(行為なのか?)はとても軽くていいものです。むしろ軽くないとダメなような気もします。

違和感、問い、連想、比喩などなど、完成度は一切気にせずとにかく拾っていく、そんなクイックなもの。たくさん持てるようなもの。

一方で「考える」はなかなか重たい行為ですね。

腰を据えて言葉にし、筋道を立て何度も書き直したりします。時間も集中力も使いますね。きついです。

この二つを同時にやろうとするとどちらも中途半端になってしまいます。

「思いついて→そこから考える」という超普通なことをこの歳で意識できるようになりました。情けない。

だから今は「Draftsに種をたくさんためる→Obsidianで考えて(言語化して)いく」という役割分担をはっきりさせています。

このプロセスを経てようやく思いつきが「思考」に変わる感覚があります。

強い思考をつくるためには仕組みのほうが重要なのかもしれませんね。

自分の中に「思いつく回路」と「考える回路」の両方を意識的に用意してあげるというのは今までしていませんでした。

今はこの両軸体制が、自分にとっていちばんしっくりきています。

思考における編集性。知の関係構築

思考を整理しようと考えたとき、実は一番大事にしたかったのが「編集性」でした。

ひとつの思いつきを深掘りして「A」が「A′」になるだけではダメだと思ったんです。なんか浅いなと。これだけなら誰でもできますし。

「A」を考えることそれ自体は大事なんですけど、本当に面白い思考は思いつき同士が関係を結び始めたときに出来上がると思うんですよ。

「A」という思考の種がありながらも「B」とか「C」とか「D」とか「E」とか「G3」とか「AC99」とか、まあ名前はなんでもいいですがたくさんの種たちが別タイミングで生まれていたりします。

「A×B」にしてみたり、あるいはA−Cの形で考えてみたり。B(A+E)というような変な結び方をしてみたり。

遊んでみるんです。

そうすると「自分でも予想していなかった問い」が出てくることがあります。

そして「A×B」という新しい種を、また寝かせたりすることもあります。時間を置くと、そこに「E′」が混ざり込んできたりするんです。

自分の学びが増え、経験が増え、関心が変わることで、思考同士の結びつき方も変わっていくんですよね。種が独自性のある状態で育っていってくれるんです。

種に独自性を付与することは、これからの時代において特に大きいことです。

自分が学べば学ぶほどたくさん種が育っていく感覚、楽しいです。

時間や経験と共に環境や条件や意識は変化していきます。それらとの「新しい関係性」を「新しい思考」として随時くっつけていくような感じ。ここにきっと「考えること」の醍醐味があると思うんですよね。

まだ慣れていないのでしょっちゅう頭がこんがらがりますし、認知不可も多いから大変です。

「A」ってそもそもなんなんだっけ?とか、「AB′ ver2」っていつ生まれたんだっけ…とか。スペックの低い僕の頭ではすんなり処理できません。

でも、だからこそメモするんですよね。とにかく言語化して、一度外に出して関係を見直す感じ。

思考における編集もまた、関係をつくり直すことなのかもしれません。

知識や気づきを孤立させず、つねに別の知と結び直してみると種たちは結構育ってくれます。

この編集性の中で強い思考は育つのかなあと、最近は感じています。

「種を増やすため」「種を育てるため」の時間を用意する

時間を作る。

結局のところ、ここに尽きるんですよね。思考が育たない理由は、とてもシンプルなんです。

「時間がない」

「実力がない」

「やる気がない」

この「3つのない」が大体思考を妨害してきます。

今は忙しいから、この本やトピックは難しいから、これを学ぶにはお金がかかるからなどなど「成長しないための言い訳」はいくらでも思いつくんですよ僕は。挙げろと言われれば100個ぐらい余裕で挙げられます。

正直考えるのはめんどくさいです。つらいです。ボケーっとショート動画とか見ていた方がだれだけ楽か。

でもこれでは僕は前に進めません。

ちゃんと思考しなくては僕は人を幸せにできません。

そのためにまず「思考の種を増やす」こと。そのためにはまずインプットの時間が必要です。

読書、映画、音楽、美術館、散歩、食事、会話などなど、本当に何でもいいんです。学ぼうとする意思さえあれば人は何からでも学べます。

そして、種を育てるにはそれについて考える時間も必要です。考えるための時間の優先順位をもっと上げる必要がありそうです。

これからの時代、情報そのものの価値はどんどん下がっていくと思っています。AIすごいし。誰でも「考えてるっぽいこと」ができてしまいますし。

その中で差がつくのは、どれだけ本当に考えられるか、どれだけ能動的に問いを立てられるか、どれだけ情報と情報を接続できるかだと思うんですよ。

自分自身の頭でちゃんと思考することからすべてが始まる気がしていまして。これは多分才能ではなく習慣の問題です(才能にかけるのでそうだと信じたいです)。

お客様により良い価値を提供するために、会社をより良くしていくために、自分自身が納得できる人生を送るために思考したいんですよね僕は。

ということで、これからは「考えるための時間」をもっと意識的に確保していこうと思います。

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Kentaro Matsuoka