自分は、あまり多趣味ではありませんが「落語」と出会い、たまに寄席を見に浅草に足を運ぶことがあります。
そもそも「寄席」は落語が見ることのできる場所という印象が強いですが、実際には落語だけではなく、講談・浪曲・漫才・太神楽・紙切り・マジックなど、様々な演芸を楽しむことができます。
今でも初めて行った寄席は、はっきり覚えており緊張しながら木戸(寄席の入り口)でチケットを購入したことを覚えています。
会場に足を踏み入れた時の第一印象は意外と人が多く、若い方もちらほら見受けられたことです。
勝手がわからず適当に座る椅子を選び着席。そうこうしているうちに出囃子が鳴り、噺家さんが登場します。
公演中には噺家さんの巧みな話術に「ガハハハ」と自分を含め、周囲のお客さんの大きな笑い声が会場を包み込み、次第に引き込まれていきます。
最初は1時間程度で帰ろうと決めていましたが、時間を忘れ気づけばトリを務める噺家さんが登場していました。
落語の歴史
落語は日本が世界に誇る伝統芸能の一つです。
伝統芸能と聞くと難しそうなイメージや何が面白いのかがわからない部分が多かったんですが、実際に寄席に行ってみたり調べていくうちに魅了されている自分がいました。
そもそも落語は、江戸時代に大きく花ひらいた文化です。当時、多くの落語が完成し、それらが現代まで口伝えで引き継がれてきました。
落語の起源は江戸時代初期の1623年まで遡ります。当時作られた「醒睡笑(せいすいしょう)」と呼ばれる笑い話を集めた作品集だと言われています。
作者は安楽庵策伝(あんらくあんさくでん)で落語の祖と言われる人物です。安楽庵策伝は浄土宗の僧侶で、茶道にも精通した教養人と言われています。
仏教の教えを滑稽にわかりやすく庶民に伝えるために始めたのがきっかけなんだとか。
当作品に収載されている話の最後にはオチがついており、現在でも演じられる古典落語の元になっているそうです。例えば「子ほめ」「たらちね」などが醒睡笑に由来しています。
次第に大衆文化として進化を遂げていく落語
江戸時代に作られた落語は現代まで引き継がれ、多くの方を楽しませています。
落語に触れてこなくても、日常的に使われている言葉が落語由来だったなんてことも少なくありません。
例えば、ケチやくだらないなどの意味を持つ「セコい」という言葉は、落語家同士の隠語が語源です。
「セコ」は「悪い」や「まずい」などを意味し、落語家同士の隠語では「セコ金」と使われており「うるさい客」や「反応の悪い客」を意味しているそうです。
また最後に披露する際に使用される「トリ」も、落語が語源で昔の寄席のシステムが関係しています。
以前までの寄席は、最後の出演者がその日の売上を回収し、演者にギャラを振り分けるという仕組みになっていたそうです。
そこから「ギャラの取り分を決定する人」という意味から転じて、公演の最後を締める演者のことを「トリ」と言うようになりました。
他人を傷つけない文化を体現した落語
落語には重要な特徴があります。
他者を罵ったり蔑んだりする表現を避け、殺人などの暴力的な描写も含まれません。そのため、世代を超えて楽しめる文化として親しまれています。
現代の日本には様々な「笑い」が溢れています。落語のように他者に寄り添い、共感を生む笑いがある一方で、差別をしたり相手をおとしめたりなどの品のない笑いがあることも事実です。
この状況は、デジタルコミュニケーションの世界でも同様です。技術の発展により、個人間、企業と個人、企業間など、様々な場面でコミュニケーションが容易になった一方で、その品質は低下傾向にあると感じています。
落語が大切にしてきた「相手を尊重する」という文化は、匿名性の高いデジタルコミュニケーションにおいて、より丁寧な言葉遣いと思いやりのある対話の模範となるのではないでしょうか。