これまで、ほとんど小説を読んでこなかった私がなんとなく気になって手に取った一冊、『天空遊園地まほろば』。
亡くなった人に一時間だけ会えるという、この世ならざる遊園地が舞台で、もし故人と再開している最中に涙を流すと、その人との思い出が消えてしまう。年齢を重ねるうちに涙腺が弱くなってきた今日のこの頃ですが、読書中に涙を堪えることができませんでした。
全5編で語り手はそれぞれ異なりますが、同じ条件のもとで自分の最愛の人との短い時間を「どう過ごすか」を考える点は共通しています。
内容はぜひ本編でお楽しみいただきたいので、私からは、率直な感想を。
涙をこらえる約束は、何を変えるか
「泣いたら思い出が失われる」という条件は、読みながら胸に強く刺さりました。
正直、私は守り切れる自信がありません。会いたくてたまらなかったその人に再び会えたのに、涙を流すなと言われても困ります。
それでも「守ろう」と努めるだけで一時間の使い方は変わるはずだと思いました。
話題を選び、相手の表情をよく見て、伝えたいことを短くまとめる。勢いで言葉を重ねるのではなく、残したいことを優先に並べ替える。その意識があるだけで、限られた時間の質は少し良くなるかもしれない。
最後にこらえ切れないかもしれませんが、涙が落ちる前に何を渡せるかを考えることはできるはずです。
自分に順番が来たら、何を話すか
本編では、インターネット上の予約フォームから会いたい人と日時を決めます。フォームを使うあたりがなんだか現代的ですね。
何より、「誰に会うか」はとても決めにくい問題です。一人を選ぶことは、別の誰かを選ばないことでもあります。
そして、もし会えたとしたら一体何を話すか。再会に許された時間は、たったの一時間。胸から溢れ出そうなほど話したいことがたくさんあることでしょう。
でもあえて、私なら大げさな別れの挨拶より、いつもの生活の延長にある話を持って行きたい、そんなふうに思いました。最近の小さな出来事、覚えた料理の話、短い感謝や謝罪。相手が少し笑ってくれたら、それで十分かもしれません。沈黙すらかけがえのないひとときです。
こうやって想像すると、今の生活で後回しにしていることが見えてきます。返していない連絡、曖昧な約束、言いそびれている一言。順番がいつ来るか分からない以上、先に片づけられるものは片づけておきたいものですね。
できれば、過去をやり直すより「今」として会いたい
本編では、亡くなった人との思い出の一部を切り取って追体験するような形で再会します。
本音を言いましょう。会えるなら、私は過去の名場面を再現するより、互いの現在地を共有した上で会わせてください…。そんなふうに願うのは私のわがままでしょうか。
相手がもうこの世にいないことも、私が今を生きていることも、その前提をはっきりさせたうえで話したい。無理に明るく取り繕わず、仕事や生活の近況を等身大で伝え、聞きたかったことを一つだけ聞く。持ち帰るのは、きれいに整った記憶より、短くても実感のある言葉のほうがいい。
そういう言葉は、時間が経っても自分の行動を支えてくれるからです。フィクションなのに、いちいち自分に置き換えて考えてしまいます。すみません。
ちなみに私は祖母を思い浮かべなら筆を進めていました。
いまできる行動に置き換える
物語は現実を直接には変えませんが、今日の優先順位を少し変える力はあります。読み終えて、私がすぐに実行しようと思ったことをメモしておきます。
- 返事を次の日に回さないようにする。
- 写真を撮る前に、まず相手の顔をよく見る。
- 用件だけで切らず、名前を呼んでから話し始める。
- 年に一度の予定(挨拶や食事)を先にカレンダーへ入れる。
- 体調や仕事の近況を短く共有する。
- 頼まれごとを放置せず、期限を決めて取り掛かる。
いよいよ仕事術の様相を呈してきましたが、どうか気にしないでください。
延ばしにしていた連絡を一本入れ、次の約束を一つだけ決める。大きな変化ではありませんが、こうした小さな更新が大切なのかもしれません。
別れに備えるためではなく、今日をまっすぐ過ごすために。『天空遊園地まほろば』は、そんな日常の段取りを見直す機会を与えてくれたように思えます。
目頭が熱くなってきてしまったので、今回はこの辺りで。