清らかな雨粒の響き、小川のせせらぎ、湖面に映る月影、時化の海原。
静かに流れ、時に淀み、溢れ、やがて大きなうねりとなって広がっていく、そんな千変万化の「水」は、いつの時代も作曲家たちのインスピレーションの源でした。
自然の中でも「水」にまつわる音楽には、特に印象的な作品が多く残されているように思えます。はっきりとした理由は分かりません。
でも、音の水面に映っているのは、作曲家たちの生涯、感性そして内面。それぞれの作品には、作曲家たちが見つめた水の表情が、静かに映し出されているのだと思います。
フランツ・リスト「エステ荘の噴水」
イタリア、ティヴォリの丘陵に佇むエステ家別荘。
「エステ荘の噴水」は、そんなエステ家邸の庭園に並ぶ美しい噴水群を描写した作品です。
空高く舞い上がる水しぶき、そして太陽の光を反射して輝く水滴を「トレモロ」と呼ばれる細かく速い装飾音で鮮やかに表現しています。
終始牧歌的なメロディーに辟易するかと思いきや、中間部では速く激しいトレモロと打ち付けるような重音により、その表情は劇的に変化します。ピアノの魔術師とも称されたフランツ・リストらしいピアニスティックな技巧が垣間見える瞬間です。
これは私の想像ですが、複数の大噴水が一斉に吹き上がる壮大な瞬間を表現しているように思えます。
押さえ込まれていたエネルギーが一気に炸裂した後、音楽は再び穏やかな庭園の風景へと溶けていく。訪れたこともない異国の壮麗な庭園の情景に思いを馳せることができる、優雅で贅沢な一曲です。
武満 徹「雨の樹 素描」
雨上がりの庭に佇む一本の樹。
その枝を伝い落ちる雨滴を、現代音楽の手法で描き出した作品です。
時に和音が重なり、時に音が点描のように散りばめられ、その一つ一つが水滴となって静かな時間の中に溶けていきます。
この曲の真髄は、音と音の間に広がる「静寂」。音が響いている瞬間だけでなく、むしろその後に続く「余韻」「間」。これこそが「雨の樹」が描く本質的な風景なのだと思います
まるで雨上がりの庭で、一滴の雨粒が落ちた後の静寂に耳を澄ますような、そんな静かな時間がこの作品には流れています。
クロード・ドビュッシー「水の反映」
ふと水面を覗き込んだ時に映る世界。
ドビュッシーは繊細な強弱の変化と色彩豊かな和声進行によって、水面に映る光と影の戯れを鮮やかに表現しています。
風に揺らめく水面を思わせる、静かな和音の連なり。その上に浮かぶ旋律は、まるで水に映る景色が、波のたびに形を変えていくかのようです。
中間部では音楽が次第に動きを増し、水面はよりゆっくりと大きく揺れ動きます。でもそれは決して荒々しいものではなく、むしろうっとりと夢見るような、記憶の中の風景のような、どこか朧げな様相です。
この作品もまた、水面という鏡を通して、普段は見過ごしてしまう世界の美しさをそっと伝えてくれます。
モーリス・ラヴェル「海原の小舟」
どこまでも青く広がる海原の上を、静かに進んでいく一隻の小舟。
穏やかに揺れる波、潮風、遠くに広がる水平線。ラヴェルはこの情景を、左右の手で奏でられる柔らかなアルペジオの波で表現しています。
やがて海の表情は少しずつ変化を始めます。波は次第に高さを増し、大きく揺れ始める小舟。繊細な和音の重なりを徐々に変化させることで、海の移ろいゆく表情が描き出されます。そしてまた波は静けさを取り戻し、小舟は再び穏やかな航海を続けていくのです。
この曲の表題は「海原の小舟」ですが、主役は「海」そのものだと思います。
波に揺られる小舟が、刻一刻と変化する海の様子を映し出す。この曲において小舟は主役というよりも海の表情を伝える「語り部」のような存在として描かれている気がしてなりません。
結びに
同じ湖面を眺めていても、ある人はその静かな水面を、ある人は湖面に映る月影を音にするかもしれません。
その視点の違い、その差こそ、作曲家を作曲家たらしめる揺るぎない「個」なのだと思います。
もし自分が作曲家だったら、どんな水の様子を音にしただろう。
そんなことを想像するだけでも、水が持つ表現の可能性の豊かさに気付かされます。水の音楽は、揺れ動く人の心を映し出す鏡なのかもしれません。