わたしたちデザイナーやエンジニアの日常には、必ずと言っていいほどフィードバックが伴います。
お客様からのコメント、リーダーからの指摘、同僚からの提案。制作物が世に出るまでには、幾度となく他者の視点が入り込み、時に心に刺さるような言葉とともに変更を求められることもあります。
そんなとき、よく耳にするアドバイスがあります。
「フィードバックとは、あなた自身への否定ではなく、成果物に対するものなのだから、客観的に受け止めるべきだ」
その通りなのは百も承知です。でも感情の側面から見ると、それほど単純な話ではありません。
フィードバックには痛みが伴う
昼夜問わず画面と向き合い、何度も調整を重ねたデザイン。眠る時間を削って完成させたコード。そんな自分の血と汗の結晶に対して「うーん…なんか違うかも」と言われたとき、胸に小さな痛みが走ります。
どれだけ経験を積んでも、自信を持って提案したものに指摘が入ると、心がざわつくものです。
心理学的に見ても、人間が創造したものには自己の一部が投影されます(心理的所有感といいます)。特に専門分野であればあるほど、この感覚は強まります。自分の技術、センス、問題解決能力といった「プロとしての自己」が成果物に詰まっているのです。
だからこそ、その成果物が批判されると、単なる対象への批評ではなく、自分自身の価値を否定されたように感じてしまいます。
「このデザインはイマイチだ」という言葉が、無意識のうちに「あなたはイマイチなデザイナーだ」というメッセージに変換されるのです。
とはいえ自己の価値を守ろうとする反射的な心の動きは、誰しもが持っているものだと思います。
完全な分離は可能なのか?
「成果物と自己を分離できてこそプロフェッショナル」とよく言われますが、果たして完全な分離は本当に可能でしょうか。
個人的には「完全な分離」は難しいと考えています。
もし成果物と自己が完全に分離されているとしたら、仕事への情熱や誇りの一部が薄れていってしまうように思えます。
あらゆる成果物において、自分の感性や思考が反映されることは避けられないものです。そして自身の感性や思考が対象に独自の価値を与えることもあります。
自分らしさが全く投影されないデザインやコードは、時に魂の抜けた単なる作業になりかねません。
適度な自己投影と、フィードバックを受けたときの客観性は両立しうるものだと思います。
自分の成果物に誇りを持ちながらも、それを「自分自身」と完全に同一視しないという「成果物との適度な距離感」が重要なのかもしれません。
フィードバックを受容する際の「歪み」と向き合う
「この部分はもう少し調整が必要です」という言葉を聞いたとき、無意識のうちに心の中でこんな翻訳をしてしまうこと、意外と多いと思います。
- 「あなたの能力が足りない」
- 「もっと頑張るべきだった」
- 「センスがない」
実際に文字に起こしてみるとわかるのですが、列挙したような内容は一言も触れられていません。ネガティブな自動思考によってフィードバックは歪められ、「自己価値への攻撃」に変換されてしまっているのです。
フィードバックの多くは、単に「より良いものにするための提案」です。
例えば「この色調はもう少し暗くした方が良い」という指摘は、単に「この色調はもう少し暗くした方が良い」という意味で、それ以上でもそれ以下でもないのです。
もちろん、字面上の意味のみを捉える方が良い、ということではありません。特にお客様との関係では、フィードバックの背後にある意図や文脈を理解することも非常に大切だと思います。
私はよく一度深呼吸をして「なぜそのフィードバックが出てきたのか」を自分なり分析し、箇条書きにして頭の整理をすることがよくあります。
ともするとアラートをあげそうな自己防衛本能を和らげ、なぜこのような指摘を受けたのか、そして何をすべきなのか、ゆっくりと咀嚼してから次のアクションを考える癖をつけることで、少しだけ気持ちが楽になることも多いからです。
フィードバック受容と自己保護のバランス
成長するためには、フィードバックを素直に受け止める必要があります。
時に自分がこれまで固執してきた考えや手法、そしてプライドを捨てることも必要です。しかし、毎回大火傷を負い続けていては仕事になりません。
息の長いデザイナーを目指すのであれば、手は止めず、質には妥協せず、そしてフィードバックに対する自分なりの受け止める技術を育てることが大切だと思います。
ありきたりかもしれませんが、私は「フィードバックを肯定的に翻訳する技術」をとても大事にしています。
辛辣な指摘を、なるべく具体的な課題に置き換える翻訳作業を頭の中で意識的に行うわけです。一瞬だけ息が詰まる感覚があるかもしれませんが、その感覚を認めた上で「よし、これも大事な視点だ」と気持ちを切り替える早さを少しずつ身につけることが大切だと考えています。
また、少しだけ不誠実に聞こえるかもしれませんが、必ずしもすべてのフィードバックを等価値で受け止める必要はありません。送り手の専門性や意図、コンテキストを総合的に考慮して、取り入れるべき意見と、参考程度に留めておく意見を区別することも時には大切です。
もしどうしても耐え難いフィードバックを受け取った時には、自分の中で一時的に保留してみるのも手だと思います。もちろん、意固地になったり、指摘を拒絶するのでは決してありません。
まずは冷静な自分を取り戻してから、建設的な受容と判断を行うことが大切なのです。もちろんそんな余裕もないほど逼迫していることもありますが、ほんの数分でも良いので一拍置いてみると意外と難なく受容できることもあります。
フィードバック対象である成果物の向こう側にいる人のことを考える
良質なフィードバックの成立には、与える側と受け取る側の信頼関係が欠かせません。
「批評の対象は常に成果物であって、人格ではない」
言うは易し行うは難し。この空気を組織内で本当に定着させるのは想像以上に大変です。
「これはあなたの成果物に対する意見で、あなた自身を否定しているわけではないからね」とあらかじめ伝えたところで、実際の場面では複雑な感情が交錯します。
チームのコミュニケーション歴史、メンバーの過去の経験、役職上のパワーバランスなどが複雑に絡み合うと、単なる声掛けでは済まないことも多いと思います。信頼関係の構築には時間がかかります。決して一朝一夕ではなく、日々の小さな積み重ねによってようやく紡がれるものです。
フィードバックを与える側も、それが単なる批判ではなく、成果物の向こう側にいる人間のことも尊重した上での建設的な提案であることを心がける必要があると思います。
一方で受け取る側も、防衛本能が働くことを自然な反応として認めつつ、徐々にその反応を和らげていく意識を持たなければなりません。
成果物と自己の境界線は常に曖昧で、完全に分離することは難しい。それを認めた上で、どうフィードバックと向き合うかを考えることが現実的なアプローチだと思います。
そして何より、フィードバックをする側も受ける側も、最終的にその成果物は誰のためのものなのかを忘れないことです。(いうまでもなく、お客様のためですよね。)
デザインも提案資料もコードも、成果物には少なからず作り手の自己が混在しています。それを理解した上で、失敗してもいい、間違ってもいいと安心して挑戦できる空気をみんなで作ることが、創造性と成長を促す組織文化の基盤になると信じています。
弊社は設立3年目の若い会社です。まだまだ試行錯誤の連続ですが、一デザイナーとしてこうした「心の安全」と「挑戦」が両立する組織文化を、みんなと一緒に育んでいきたいと思っています。