2025年、笹塚中学校様の探究の授業に講師として何度かお招きいただいておりまして。
そんなご縁から、探究授業の集大成である「SASATAN FES」にて、生徒様のプレゼンテーションの審査員を務めさせていただきました。
「自分ごときが審査員でいいのか…」 という気持ちもありつつの参加でしたが、このような機会をいただけたことを大変光栄に思っています。
私自身さまざまな学校現場に講師として伺う機会があるのですが、 ここ最近つくづく感じているのは「今の若者は本当に凄いな」ということです。
今回のSASATAN FESも同様に、若者の凄さを感じるとともに、非常に心を動かされる時間でした。
その体験を、この場に感想文として書き残しておこうと思います。
自分が「教える側」ではなく、何度も「学ばせてもらう側」であることに気づきましたね。探究とはこういうことなのだと、真正面から突きつけられるような時間でした。
「中学生」という言葉では収まらない思考の深さ
今回の発表全体を通して強く感じたのは、扱われているテーマや問いの多くがもはや「中学生の探究」という枠に収まらないということでした。
大人でもなかなか考えられないんじゃないかなと思います。
社会に出て仕事をしている大人の世界でもそのまま通用するような、なんなら大人の議論よりもよほど本質を突いている発表がいくつもありました。
正直なところ、こちらの背筋が伸びる思いです。
自分が中学生だった頃に何を考えていたかを思い返すと悲しくなってきますね。一体何を考えて日々動いていたんだか…
自分と比較すること自体が意味を持たないとは理解しつつも、「レベルが違う」という言葉が率直な感想でした。
単に調べた情報をまとめているのではなく、自分自身の違和感や関心を起点に問いを立て、そこから思考を構造化していく姿勢は印象的でしたね。
彼らの探究は「正解を探す」のではなく、「自分なりに考え抜く」ことに重きが置かれており(多分)、この姿勢は大人も大いに学ぶべきでしょう。
探究とは「与えられた課題に答えることではなく、自分の言葉で問いを立てること」なのだと、中学生の皆さんから教えてもらったような時間でした。
ここから先は7人の発表の感想を綴っていきたいと思います。個人名は出せないので「Aさん」「Bさん」と記載させてください。
Aさん:半径5メートルの気づき。海洋汚染を「自分ごと」にした視点
まずトップバッターのAさんが取り上げたテーマは、海洋汚染問題でした。
SDGs的な文脈といいますか、環境問題というとどうしてもスケールが大きくなりがちで、「大事なのは分かるけれど、自分に何ができるのか分からない」という距離感が生まれやすいテーマだと思っています。
その中でAさんの発表が印象的だったのは、いきなり大きな話をするのではなくて、いわば「半径5メートル」の視点から思考を立ち上げていた点でした。
スポットを当てたのは日常生活の中で当たり前のように使っているプラスチック製品。その存在が、どのように社会や環境へ影響を与えているのかを教えてくれました。
「身近すぎるがゆえに、問いの対象になっていなかったもの」への視点が素晴らしかったです。
恥ずかしながら、プラスチックが環境へ与える影響について具体的に考えたことはありませんでした。
それら課題に対して「マイボトルを使う」という提案も素晴らしかったです。
抽象的な理想論に留まらず、誰もがすぐに実行できる具体的な行動として提示されていた点には探究の強さを感じました。
社会課題を扱うとき、「問題を語ること」と「行動につなげること」の間には大きな断絶が生まれがちだと感じます。
Aさんの発表で強く心に残ったのは、「中学生でも社会を変えられる」という言葉でした。大人である私自身が、その言葉に背中を押されるようでしたね。
年齢を重ねるにつれて、身近な課題に向き合うことを知らず知らずのうちに避けてしまうことがあります(私だけかもしれませんが)。
Aさんの発表を通じて「まず自分の周囲を丁寧に見ること」 の大切さを、改めて思い出させてもらいました。
Bさん:「なぜ戦争が起きるのか」を、コミュニケーションの問題として捉え直す
Bさんが選んだのは「なぜ戦争が起きるのか」というテーマ。
これは非常に壮大で、重く、暗い問いだと思います。
私の生まれが広島ということもあり、幼い頃から何度も考えてきたテーマでもありますが、扱い方を少し間違えるだけで聞き手との距離が一気に開いてしまう、非常に難易度の高いテーマです。
しかしBさんのプレゼンテーションは、重さを感じさせない、明るく楽しい内容でした。
全体の流れが非常に整理されており、終始「考えながら聞く」ことができたのが印象的でした。
途中で取り入れられていた「戦争クイズ」もとても効果的でしたね。「この戦争は、なぜ起きたのか」を問いかけながら会場全体を巻き込みながら進めていく形式は、Bさんが「対話」を重視している姿勢の表れだったように思います。
Bさんは常日頃から「相手とのコミュニケーション」という視点を意識されていたのではないかなと感じました。
戦争の原因を「コミュニケーションエラー」という観点から捉え直していた点も非常に印象的でした。
対立や衝突を単なる善悪や力関係で説明するのではなく「言葉がうまく届かなかった結果」として整理することで、戦争という遠い出来事が一気に身近な問題として感じられました。
その流れの中でBさんから「言葉が平和の鍵になる」という趣旨のメッセージもありました。
言葉は争いを生むこともあれば、平和をつくることもできる、とても難しいメディアであり手段です。その両義性を正面から見据えたメッセージだったと思います。
デザインや編集といった「言葉や伝達のあり方を扱う仕事」をしている立場として、この発表は非常に重く、同時に大きな希望を感じさせてくれるものでした。
Cさん:廃棄される牛乳パックを使って「椅子をつくる」
231本の牛乳パックで椅子を作るという凄まじいプレゼンでした。
とてつもない手間がかかっただろうと思います。今回の発表の中で、唯一「モノ」を軸に論を進めていた点も印象的でした。
僕は牛乳パックで椅子を作ったことはありませんが、一つひとつの工程を想像するだけで気が遠くなりそうです。よく形にするまで走り切ったなと素直に感心しました。
この探究が素晴らしかったのは、単なる工作や制作に留まっていなかった点だと思っています。
Cさんは給食に関わっているということもあり、廃棄されていく牛乳パックに目を向けたようです。そこから新しい価値を生み出そうとする視点そのものが非常にクリエイティブでした。
「課題を見つけ、考え、つくるところまでやり切る」ことは本当に難しいことです。もしかすると探究の理想的な形の一つかもしれません。
「当初は350本ほどを想定していたものを試行錯誤を重ねながら231本へと調整していった」というエピソードも驚きました。
計画通りにいかないことを前提にし、現実と向き合いながら何度も調整していく姿勢、これはものづくりに限らずあらゆるプロジェクトに求められるものだと思います。
また、「誰かに助けてもらうことが大切」という言葉にも思わずハッとさせられました。最近つい一人で抱え込みがちだった自分自身を 振り返るきっかけにもなりました。
Dさん:野球人口減少という構造問題に熱量と理論で切り込む
Dさんの発表が始まった瞬間会場の空気が一気に変わったのをはっきりと覚えています。
Dさんはとにかく明るく、堂々としていて、たくさんの生徒や大人がいる前でも臆することなく話していました。私にはとてもできません。根暗で人見知りの私には到底できません。本当にすごかったです。
しかし、決して勢い任せの発表ではありませんでした。
野球人口の減少というバーティカルなテーマに対し、感覚や印象論ではなく、しっかりと数字やデータを用いて論を進めていました。
エビデンスを示したうえで仮説を立て、そこから論を展開していく構成が実に明確で、非常に論理的でした。
特に、
- 旧態依然とした指導・教育方針
- 費用の妥当性や透明性の問題
- 参加すること自体の心理的・経済的ハードル
といった指摘もあり、これらは野球という枠を超えて多くの分野に共通する課題だと感じます。
スポーツの話をしているはずなのですが、そのまま組織運営や制度設計、人が集まらなくなる構造の話として聞くことができたのはDさんが非常に本質的な話をしていたからだと思います。
Eさん:勉強法の話から学ぶ、物事の進め方
Eさんのテーマは「テストで高得点を取るための勉強法」というタイトルを見たとき、正直なところ「中学生らしいストレートで実用的なテーマだな」と感じました。
が、プレゼンを聞き進めるうちに、内容が単なる勉強法の話ではなく、 物事の進め方そのものについての話なのだと感じました。
語られていた内容は一つひとつが非常に基本的です。
「問題を放置しないこと」
「人は一日では覚えられないこと」
「気を取られるものを周囲に置かないこと」
どれも当たり前のことばかりです。
でも、これらができているか?と聞かれて「全部できている」と回答できる大人はそう多くないのではないでしょうか。
ちなみに私は全然できていません。
特に印象に残ったのは「大きな目標を設定し、 それを実現するために小さな目標へと分解していく」という考え方でした。
さらに「〇〇点を取りたいなら、ワークは〇〇周やる」というように、目標に対して具体的な行動量まで落とし込めていた点もとても素晴らしかったです。
これ、完全にプロジェクトマネジメントの発想だと思いませんか?社会に出てから求められる思考そのものに中学生が辿り着いていることに本当に驚きました。
努力論や精神論に終始するのではなく「何を」「どれだけ」「どの順番で」やるのかを明確にすることは簡単ではありません。Eさんの発表には実行可能性があり、聞き手にとっても再現性の高い内容になっていたと思います。
この発表を通して自分自身のタスク管理や仕事の進め方を振り返ると、まだまだ感覚に頼っている部分が多いなあと率直に反省させられました。
Fさん:ゲームは本当に悪影響か?
Fさんが選んだテーマは「ゲームは本当に悪影響なのか?」というもの。
昔から議論されているテーマですよね。
このテーマは世代や立場によって意見が大きく分かれやすく、少し油断すると感情論に流れやすいような、とても難しいテーマだと思います。
その前提をしっかり踏まえた上で、Fさんは「意見が対立しやすいテーマだからこそ、どう伝えるか」を強く意識していたように感じました。
Fさんはゲームが好きなようで、親御さんにゲームをすることを認めてほしいといった思いからこの探究にしたようです。
「なぜゲームが悪影響だと言われるのか」という問いに対し課題と解決策をそれぞれ三点ずつ整理し、構造的に示してくれていました。そのために主張が非常に明確で、聞き手が迷うことなく理解できる構成でした。
もしかすると全発表者の中でもっとも構成が整理されていたかもしれません。
自分とは異なる意見を持つ人に対しても、真正面から否定せずに冷静に対話しようとする姿勢が、プレゼンテーション全体から伝わってきました。
もっともハッとさせられたのは「ゲームそのものが悪いのではなく、問題が起きた場合はプレイヤー側に責任がある」という主張でした。
仕組みやコンテンツ自体に善悪があるのではなく、それをどう使うかが問われるという視点には、とても強い納得感がありました。
そしてこの考え方はゲームに限った話ではないとも思うんですよね。
SNS、ニュースメディア、テクノロジー全般。便利で強力なものほど使い方次第です。人を助けることもできれば、どうしようもないほど傷つけることもできます。
そうした現代的な、ある種のメディア論的テーマを、一面的な善悪論に陥らずに構造として捉え直していた点が素晴らしかったです。
Gさん:次世代教育について
実はGさんとは笹塚中学校様にお伺いする中で何度かお会いしており、多少なりとも個人的な思い入れがあることは否定できません。
それを差し引いたとしても、率直に「これは中学生の思考の水準を明らかに超えているな…」と感じた発表でした。
果たして大人でもこのレベルの発表ができるかどうか…
Gさんは文部科学省のデータや数値を引用しながら話を進めていました。
日本は論理的思考力自体は高い一方で、教育の仕組みには課題が残っているという構造を定量的に、エビデンスも示しながら話してくれました。
扱っているテーマの抽象度、社会全体への視座の置き方、そして個別の事象をどう全体へ接続するかなど、どれを取っても非常に成熟しており、「次世代教育」という言葉を単なる理想論で終わらせていなかった点が特に素晴らしかったと感じています。
少し個人的な話になりますが、私は以前から日本という国を「不思議な国だなあ」と感じています。
これほど多様な文化や思想を取り込み、かつそれらを衝突させるのではなく再編集しながら新しいものを生み出してきた国は、世界的に見ても少々珍しいのではないかと思っています。
河合隼雄氏の『中空構造日本の深層』では、日本文化のある側面の特徴として「中空構造」が語られています。
私自身、これを考えるときは「何も入っていない透明で大きな球体」のようなイメージを思い浮かべます。
その中に、さまざまな思想や価値観が投げ込まれ、余白の中で混ざり合い、時間をかけて醸成され、やがて新しい形として外に現れていく感じ。いいものもたくさん生まれましたし、よくないものもたくさん生まれました。
この余白があるからこそ、異なるもの同士が排除し合うのではなく共存しながら変化していけるのだと思います。
一方で、「日本は空っぽだ」「自分たちから何かを生み出すことはできない」という指摘があるのも仕方ないことだと感じます。
あまりに多くのものを無秩序に詰め込めばアウトプットの段階で編集エラーが起きるのも無理はありません。ここの編集性を丁寧に行う必要があると思うんですね。
Gさんの発表の終盤に登場した「同僚性」という言葉は、まさにこの感覚に近いものだったように感じています。
Gさんの主張は、「生徒も教育者も双方で連携しながらより良い教育を作っていこう」という内容だと私は捉えました。
個々が異なる知識や価値観を持ちながら、それを否定せず、再編集し、より良いものへと昇華していく関係性は本当に重要だと感じます。
次世代教育を考える上で、「何を教えるか」以上に、「どう混ざり、どう育つ場をつくるか」が問われているような気がするのです(教育現場にいない私が言っても何の説得力もない点は理解しています)。
感想に変えて。探究は「答え」を出すことではなく、「問いと生きる力」
今回のSASATAN FESを通して強く感じたのは、それぞれの発表が単なる「調べ学習」や「発表の練習」にとどまっていなかったということです。
今の時代において本当に大切なことを、たくさん学ばせていただきました。
「海洋汚染について」の発表からは、半径5メートル以内の身近な場所から課題を見つけ出す姿勢を。
「なぜ戦争が起きるのか」からは、コミュニケーションの在り方そのものが社会を左右するという視点を。
「牛乳パックで椅子を作る」からは、創造性とチームワーク、そして試行錯誤を肯定する態度を。
「野球人口の減少」からは、バーティカル領域の構造的問題にデータと論理で向き合う姿勢を。
「テストで高得点を取るための勉強法」からは、目標を分解し、実行可能な行動へ落とし込むプロジェクトマネジメントの考え方を。
「ゲームは本当に悪影響か?」からは、一面的な善悪ではなく、使い手の責任まで含めて考えるメディアリテラシーを。
そして「次世代教育について」からは、日本が本来持っている特性と、その延長線上にある未来への展望を学ばせていただきました。
扱っているテーマは一人ひとり異なるにもかかわらず、
- 身の回りの違和感を、きちんと「問い」として掴もうとする姿勢
- すぐに答えを出そうとせず、自分の頭で考え続けようとする態度
- 他者や社会との関係の中に、自分の問いを置こうとする意識
などの共通のメッセージがあったように思います。
ちなみに私は学生の間に探究の授業を行ったことはありません。
その立場で言わせてもらうのは大変おこがましいのですが、探究とは何か「正解」を導き出すことではなく、問いを立て、その問いと一緒に考え続けられる力を身につけることなのだと、生徒の皆さんの姿勢から教えられた気がしました。
大人になると、どうしても「役に立つか」「成果が出るか」「意味があるか」といった尺度で、物事を判断してしまいがちだと思うんです。
今回の発表は、その一歩手前にある「なぜ気になったのか」「なぜ放っておけなかったのか」という感情や直感を、とても大切に扱っていました。
それこそが、思考の原点なのだと思うのです。
この密度で「問い」と向き合えている大人が、今どれほどいるだろうかと考えさせられてしまいました。
今回は審査員という立場で参加させていただきましたが、実感としては、評価する側というよりも、ひたすら刺激を受け学ばせていただく時間だったように思います。
生徒の皆さんの探究の姿勢に触れ、自分自身ももっと丁寧に問いを立て考え続ける人間でありたいと、改めて感じました。
このような場に立ち会えたことに心から感謝しています。