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「読書録」ノートルダム・ド・パリ – 愛と狂気の境界線

ノートルダム・ド・パリ

弊社では、2月の思考テーマおよび編集題材として「惜別」を掲げたのですが、その際にまず思い浮かんだのが、フランスを代表する文豪ヴィクトル・ユゴーの『ノートルダム・ド・パリ』でした。

ディズニー映画『ノートルダムの鐘』と似たタイトルですが、異なる作品です。ディズニー版がハッピーエンドの物語だったのに対し、原作は愛憎が渦巻き、人間の暗部を鮮烈に描いた悲劇です。

登場人物それぞれの愛は決して成就せず、むしろその想いが彼らを破滅へと導いていきます。純粋な愛が歪み、執着となり、やがて破壊的な力へと変貌していく様子、これは非常に恐ろしいものがありました。

この物語は、現代を生きる私たちに「本当に大切にすべきものは何か」、そして「何と決別すべきなのか」を力強く問いかけているように思えます。

簡単なあらすじ

まずはとてもざっくりとしたあらすじを。

パリのノートルダム大聖堂の前に、一人の醜い赤ん坊が捨てられていました。

その子は大聖堂の助祭長フロロに拾われ、カジモドという名を授かります。やがて彼は成長し、ノートルダムの鐘つきとなりました。

時が進み、美しいジプシーの踊り子エスメラルダが登場すると、フロロは彼女に心を奪われてしまいます。聖職者であるが故の信仰心と欲情の狭間で苦悩したフロロは欲望に打ち勝てず、カジモドに命じてエスメラルダを誘拐させようとします。しかし、カジモドは国王の近衛隊長フェビュスに捕らえられてしまいます。

群衆がカジモドに冷ややかな目を向ける中、喉の渇きに苦しむ彼に唯一水を与えたのがエスメラルダでした。この時、カジモドは人間の優しさを知り、彼女に深い愛情を抱くようになります。

一方、エスメラルダは自分を救ってくれた勇敢な衛兵フェビュスに恋心を抱き、フェビュスも彼女に惹かれて逢引きを約束します。しかし、フェビュスには婚約者がいることをエスメラルダは知りません。

フロロは日に日にエスメラルダへの想いを募らせ、嫉妬に狂い、人格が崩壊するほど執着し始めます。

ついには二人の逢瀬を尾行。逢引きの場に忍び込んだフロロは激情のあまりフェビュスに切りかかり、重傷を負わせてしまいます。

意識を失ったフェビュスの傍らにいたエスメラルダを見た人々は、彼女が殺害未遂を犯したと誤解します。逮捕されたエスメラルダは拷問にかけられ、虚偽の自白を強要された末に魔女裁判で有罪に。さらにフェビュス殺害未遂の罪で絞首刑を宣告されます。

牢獄を訪れたフロロは、エスメラルダに歪んだ愛を告白し「自分を受け入れるなら助ける」と迫りますが、エスメラルダは毅然とした態度で彼を拒絶します。

さて、処刑の日、ノートルダム大聖堂前の広場でエスメラルダの公開絞首が執行されようとした瞬間、カジモドが綱を伝って舞台に飛び降り、彼女を抱えて大聖堂内の聖域圏へと連れ去ります。

エスメラルダはノートルダム大聖堂に匿われます。初めはカジモドの醜さに恐怖を感じていたエスメラルダでしたが、次第に彼の献身的な優しさに心を開いていきます。

カジモドはエスメラルダを想うあまり、彼女の心が向かうフェビュスの元へ赴き、彼女のために来てくれるよう懇願します。しかしフェビュスは自身の結婚式前の宴会後だったこともあってか、カジモドの姿を冷たく一瞥し、馬を返して立ち去ってしまいます。

その後パリのジプシーや宿のない人々などが大聖堂に集結し、彼女を奪い返そうと暴動を起こします。カジモドは彼らがエスメラルダを殺しに来たと誤解して、鐘楼から石や融解した鉛を落とすなど必死の抵抗を試みます。

暴動による混乱の中、フロロはその騒ぎに紛れて密かに大聖堂からエスメラルダを連れ出します。彼は最後の望みをかけて「自分のものになるなら命を助ける」と迫りますが、エスメラルダは自分を傷つけ、フェビュスを刺した憎むべきフロロを、今一度断固として拒否します。

激昂したフロロは彼女を守衛隊に引き渡し、最終的にエスメラルダは無実であるのにも関わらず処刑されてしまいました。

ノートルダムの塔の上からその様子を見て笑うフロロ。それを目の当たりにしたカジモドは怒りのあまり養父であるフロロを掴みあげ、塔から突き落として殺害してしまいます。

父とも言える存在と、愛する女性を同時に失ったカジモド。その後、彼はノートルダムから姿を消します。

数年後、エスメラルダの白骨に寄り添うように抱きついた背骨の曲がった男の白骨が発見されます。

それはカジモドでした。

二つの白骨を引き離そうとすると、まるで最期の別れを拒むかのように、塵となって崩れ落ちてしまいます。

この悲劇的な物語は、そんな深い余韻を残して幕を閉じるのでした。

「人生において何を大切にすべきか」という問い

誰の愛も叶わない、そんな物語でした。

現代の感覚で読むとあまりにもねじ曲がった人間関係の物語だと感じます。

それにはもしかするとユゴー自身の人生と関係があるのかもしれません。ユゴーは妻アデルを友人のサント=ブーヴに奪われ、その後出会った女優ジュリエット・ドゥルーエには過度な束縛をする一方で、自身は浮気を繰り返したといいます。

物語に登場するフロロの歪んだ愛情、フェビュスの身勝手さなどは、まるでユゴー自身の欲望の権化のように描かれているようにも感じられます。

さて、人は誰しも、生涯を通して大切な何かとの別れを経験します。

それには人との別れだけでなく、誇りや希望、愛といった心の拠り所との別れも含まれると思うのです。この物語で描かれる登場人物たちは、報われることのない運命に翻弄され、他者の身勝手さによって色々な物事と別れていきます。

彼らは何を大切にしていて、何のために、何を失ってしまったのか。それは現代を生きる私たちへの深い問いかけとなっていると感じました。

読み終えた時、心に浮かんだ問いは「自分は何を大切にすべきなのだろうか」というものでした。

自己中心的な欲望や保身ではなく、本当に大切なものを守り抜くことの大切さ

登場人物たちの不幸な結末を目の当たりにして逆説的に浮かび上がってくるのは、人生で本当に守るべきもの、決して見失ってはいけないものの存在でした。

この物語は、私たちに二つのあるべき重要な態度を示してくれていると感じます。

一つは、心を狂わせるような嫉妬や独占欲、過剰な誇りといった有害な感情と決別する態度です。

それは容易いことではありませんが、時に自分を律し、道を踏み外しかけた自分自身に決別を告げることが、よりよい未来を切り開くためには不可欠だと思うのです。

フロロやフェビュスの示した自己中心的な欲望や保身は、決して追い求めてはならないものです。目の前の欲望のために他者を踏みにじる身勝手さや、責任から逃れる卑怯さは、最終的に誰も幸福にしません。もし彼らが己の欲望に打ち克ち、エスメラルダへの執着を手放すことができていれば悲劇は避けられたはずです。

もう一つは、本当に大切な人やものを守り抜く努力。すなわち悲しい別れを遠ざけるための態度です。

エスメラルダとカジモドの心にあった純粋な優しさと愛情は、どんな過酷な運命の中でも輝きを放っていました。カジモドが生涯を懸けて守ろうとしたエスメラルダへの愛情や、エスメラルダが最後まで抱き続けた純真な想い。虐げられる人間に差し伸べた思いやりや、見返りを求めずに注いだ献身的な愛。

これらは物語では報われることこそありませんでしたが、人間として尊く美しいものを感じました。

大切な人やものを守るためには、誠実で正しい姿勢こそが大切だと思うのです。

日々、何が本当に大切なのか、何が大切ではないのかを問い続けることで、私たちは後悔の少ない人生に近づけるのかもしれません。

結びに

『ノートルダム・ド・パリ』は救いのない悲劇でありながら、人間の美徳と愚行の対比が鮮烈に描かれた作品でした。

大切なものを失ったとき、人は何を思い、何を後悔するのか。他者の人生を踏みにじってまで得たいものに、果たして何の意味があるのか。

そんな深い問いが込められていたように感じられました。

他者への敬意や誠実さを胸に刻み、たとえ損をするとしても良心に恥じない選択をすること。欲望や憎悪に囚われそうになったときには自らにそれらとの決別を促し、愛や信頼が危うくなる状況に直面したときには全力でそれを守り抜くこと。表面的、短絡的なものに惑わされず、本当に大切な「人の心」や「絆」を見失わないこと。

登場人物たちの運命を見届けながら、そうした想いが胸に去来し、自分自身の価値観を見つめ直すきっかけとなりました。

ユゴーの描いた悲劇は私たちに生き方を省みる機会を与え、何気なく過ぎてゆく日常の中にある大切なものをもう一度見つめ直すよう、そっと促してくれているのかもしれません。

読後には強い喪失感とやるせなさが残りましたが、それと同時に、今この現実の中で自分が大事にすべきことが以前よりはっきりと見えてきたように感じます。私もまた、改めて自分の人生を見つめ直し、大切なものを正しく守れるように進んでいきたいと思います。

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Kentaro Matsuoka