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GAWAのちょっとそこまで。仁太郎の想いに耽る。

新潟県長岡市に位置する摂田屋地区。

醸造文化が栄えた土地で、現在も「味噌」「醤油」「日本酒」の醸造があちこちで行われています。

街を歩けば、ほのかに醤油の香りが漂い、古くから残る建造物が出迎えてくれます。

摂田屋地区には様々なスポットがありますが、訪れたのは機那サフラン酒製造本舗。そこには地元住民の方々の想いや、歴史のあたたかさを感じることができました。

登録有形文化財が多く残る新潟県長岡市摂田屋地区

まずは、新潟県長岡市の摂田屋地区についてのお話です。

長岡の市街地は、太平洋戦争で市街地のほとんどが焼失しましたが、摂田屋地区は危うく難を逃れました。

被害を受けずに済んだ摂田屋地区では、醸造関係を中心に明治・大正の建物が残り、あちこちにどこか懐かしさを感じられる景観が現代へと引き継がれました。

そもそも「摂田屋」とは「接待屋」が由来と言われており、中世の武士や僧侶の簡易宿泊所が軒を連ね、賑わいをみせた地域だそうです。

また味噌や醤油、酒の蔵元が集積している場所でもあり、現在でも5つの蔵元が製造を続けています。

今回、訪れたのは「機那サフラン酒製造本舗」。

ここは、登録有形文化財でもあり、明治から昭和にかけて「養命酒」と勢力を二分した薬用酒「サフラン酒」で財を成した長岡の吉澤仁太郎の屋敷と蔵です。

旧機那サフラン酒製造本舗には、米蔵など10棟の建造物、庭園、石垣があり醸造のまち摂田屋のシンボルになっています。

現在でも、その歴史や建造物の魅力を後世に伝えようと、ボランティアで地元の方々がチームを結成し歴史的背景のガイドや庭園などの清掃に取り組んでいます。

仁太郎の想いが随所に詰まった機那サフラン酒製造本舗

吉澤仁太郎の屋敷と蔵が存在する敷地は、とても広大で「主屋」「鏝絵の蔵」「衣装蔵」「離れ屋敷」など複数の屋敷で構成されています。

ガイドの方に説明していただきながら、それぞれの特徴をお聞きしました。

威風堂々とした造りで、歴史の深さが伝わる主屋

敷地の真ん中に位置する主屋は明治27年に建設を開始し、大正2年に増築され現在に至ります。太い柱と上部の荷重を支える梁としての役割を果たす差鴨居で固められ、雪国の民家に象徴される造りが採用されています。

威風堂々とした建物で、歴史の深さが伝わります。

看板下の玄関をくぐれば帳場があり、建物の前面は店舗となっており、後方部分が住居空間となっていたそうです。

現在の前面部分は受付になっており、後方部分の住居空間には、様々なものが所狭しと歴史を感じるものが展示されていました。

国の登録有形文化財に指定され現代に受け継がれてきた鏝絵の蔵(こてえのくら)

国の登録有形文化財にも指定される鏝絵の蔵。

建設されたのは大正15年。

平成16年10月23日には、マグニチュード6.8の地震が新潟県中越地方にて発生しました。その被害は甚大ではありましたが、鏝絵の蔵も影響を受けたものの、倒壊などの被害には至らず平成20年に修復されています。

日本一の呼び声も高い蔵ですが、その所以は多数の窓が配置され、開口部全てに東洋のフレスコ画とも呼ばれている漆喰装飾の鏝絵が施されていることです。

東面に施されているのは龍・鳳凰・麒麟・玄武、南面には恵比寿・大黒と鶴亀が施されています。

北面には十二支が施されており、その迫力は圧巻です。なまこ壁の白黒に極彩色の鏝絵のコントラストが絶妙で、見る人を楽しませてくれます。

仁太郎の感性そのままに、独自の世界観を演出している造りになっています。古い歴史を持つ建物ですが、細やかな技巧を駆使しながら造り上げられた蔵は、どこか近代的な印象を受けました。

このような造りは珍しく、仁太郎がその財力を魅せつけるためにこのような造りにしたとも言われているようです。

大判小判が眠っていた衣装蔵

次に紹介してくれたのが衣装蔵。

主屋を向かいに左手に衣装蔵、右手に鏝絵の蔵が建設されています。

衣装蔵は大正5年に建築されたもので、鏝絵の蔵よりも先に鏝絵が採用された蔵です。構造は堅牢で周囲の壁は波鉄板で覆われています。建設された当時の波鉄板はとても高価な輸入品でした。

衣装蔵として紹介されていますが、収納されていたのは仁太郎が収集した大判小判などだったようです。表向きには衣装蔵として建設し、実際のところは金庫のような役割を果たしていました。

土台部の通風孔には、とある仕掛けが。サフラン酒のビンが彫られており、仁太郎の小粋さが伺えます。

細部にまで仁太郎のこだわりが散りばめられた離れ座敷

大正6年に建築された離れ屋敷。

むくり屋根天辺の大棟両端には龍と鯉が舞う鬼瓦と鯱鉾があります。訪れた際は外されており、残念ながら目にすることはできませんでした。

むくり屋根は、屋根の傾斜面が上方に凸状に湾曲したものです。日本独自の建築様式で、商家や公家屋敷、数寄屋建築などに多く見られる手法です。

低姿勢、丁寧さを表現するものですが、仁太郎は高額な龍と鯉が舞う鬼瓦と鯱鉾を設置することで、相反する造りに仕上げています。

離れ座敷の上棟式には、小判が撒かれたことが語り草になっていることでも有名です。

6つの床間で構成された屋敷内は、屋久杉などの銘木が使用されています。1階廊下天井を支える桁は長さ18mの杉丸太。1階、階段、2階廊下は全てケヤキで天井は桐を採用しています。

また細やかな加工が施されており、彩光や照明にもこだわりが感じられました。廊下の窓ガラスには猪の目模様の杉板の押さえが付き、その外には幻想的な庭園が広がります。

離れ屋敷は仁太郎の住居空間ではなく、客人をもてなすためのものだったようです。

和と洋を融合させたような造りは、価値を知らなくともその優雅さに圧倒されるほどの印象を受けました。恐らく、招かれた方はその優雅さに驚きを隠せなかったのではないでしょうか。

仁太郎のアーティストとしての一面が垣間見える庭園

敷地内には広大な庭園が広がります。

そこには大きな池があり、周囲には独特な造形が目に飛び込みます。

池の東に巨大な溶岩の築山を連ね、北縁には大きな赤玉・ 黄玉石が配置されています。東縁には溶岩の台座の上に不動明王像が庭園や離れ座敷を見守るように鎮座するなど、仁太郎のこだわりが感じられる造りです。

庭園内には名石、灯篭、銅像、石像の数々が置かれ、これらの一部は仁太郎が制作したものらしく驚きを隠せません。

仁太郎が最も情熱を注ぎ込んだ場所とも言われており、独自性が詰まった庭園は仁太郎ワールドの真骨頂とも言えます。独自で収集した名石や、自ら制作した石像などが立ち並び、アーティストとしての一面も垣間見えました。

仁太郎の想いに耽ながら楽しむクラフトビール

機那サフラン酒製造本舗をあとにし、近くのお酒を楽しめる「醸蔵」に。

ここは、大正時代に建設された築約100年となる倉庫「常倉(じょうぐら)」を改装した施設。国の登録有形文化財にも指定されており、かつては酒の瓶詰作業が行われていたようです。

施設内には売店や、映像やデジタル技術を用いて酒造りや歴史について紹介する展示スペースが用意されていました。

「SAKEバー」と呼ばれる、日本酒やクラフトビールを楽しむことができるスペースも提供されていたので、クラフトビールを楽しむことに。

立ち飲みスタイルとなっており、券売機でペールエールを注文。麦芽のコクと爽やかでキリッとした苦味が喉を潤します。

そのほかにも、IPAやヴァイツェンなどのクラフトビールも提供されており、日本酒も楽しむことができます。

移りゆく時代の中で先人の想いを後世に伝える

詳しい歴史背景を知らず摂田屋地区に訪れましたが、そこには長年の月日をかけ魅力を後世に伝えようとする地元住民の想いが感じられました。

一見すると何の変哲もない建造物も、その歴史的背景を知ることで先人の想いなどの魅力に気付かされます。

上手く伝えることは難しいですが、仁太郎が創り上げた建造物は、優雅さや洗練さ、おもてなしの精神といった部分が印象的です。

また長い年月を経て劣化した部分は儚く、どこか哀愁さが漂い感情を揺さぶります。

仁太郎がどのような想いで創り上げてきたのか推し量ることはできませんが、先人が紡いだ想いが地元住民の手にによって伝わることができたように感じました。

建造物の価値や歴史的背景を後世に繋いでいくことは非常に大切なことですが、一方でその難しさも垣間見えます。

個人的には具体的なサポートは難しいかもしれませんが、当コンテンツを通してその魅力が少しでも伝われば幸いです。

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Kazuya Nakagawa