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【第一回】まつおか精進録 – ゆっくり考える時間をどう確保するか

最近、自分の行動を振り返る時間が増えてきたこともあり、私、松岡がひとりで勝手に「まつおか精進録」なる新シリーズを始めることにしました。

第一回のテーマは「ゆっくり考える時間をどう確保するか」です。

…と言っても、これはもう何度も繰り返してきた反省です。おそらく1万回くらいは言ってきたんじゃないかと思います。それなのに、少し気を抜くとまた考える時間がなくなってしまう。どうしてなのでしょう。

有難いことではあるのですが、新規のご相談やプロジェクトの立ち上げが立て続けに舞い込んでき他こともあり、インプットする余裕が失われてしまっている日があります。

その結果として、アウトプットの質が薄まってしまっては本末転倒です。見るべき対象は多いのに、それぞれにちゃんと触れていない。触れないことに焦りを感じ、焦りが行動の質をさらに下げる。

そんな悪循環にはまらないためにどうすればいいだろう。お客様により良いアウトプットをお出しするためにはもっと考える時間を作らなくては。でも自分はできていると言えるだろうか…このままではいけないと、そんなことを考え、精進録なるものを書くに至りました。

私自身のレベルの低さゆえに発生してしまう情けない吐露ばかりですが、頑張って書き進めてみます。

そもそも、なんでそんなことになってしまうのか

自分で自分を詰めているようで早速辛くなってきました。でも頑張ります。

さて、「考える時間がほしいな…」と思いながらもその機会に向き合えていないのはなぜなのでしょう。

時間がないからでしょうか。忙しいからでしょうか。

確かにそれも一因かもしれません。でも、私よりも忙しい方々であってもしっかり考える時間を設けているように感じます。

私の場合は「考えることより、動いているほうが安心する」という性質を持っているような気がします。

よくないですね…。

考えるという行為は、静かで、成果が見えづらくて、誰にも評価されないものです。だからこそ、つい手を動かしたくなるのでしょう。メールを返し、ミーティングに入り、成果物を作り、資料をまとめていく。そうして目に見える「進行」を積み上げることで、自分を保っているようなところがあると感じます。

で、そのうちふと気づくのです。

「あれ、私は何を考えていたんだっけ?」と。

書いていて悲しくなってきました。

問いに立ち戻るには、一度立ち止まらなければいけません。考えることを避け続けた先に、私達が本当に望むものはきっとありません。

失ってしまいがちなこの時間を失わないようにするにはどうすればいいのか。まずは、この「逃げたくなる性質」に気づくことから始めようと思います。

意識したいこと:イシューに立ち返るという習慣を作る

今、本当に向き合うべき課題は何なのか?

そう問い直すことを、私はつい忘れてしまいがちです。

目の前のToDoを片付けることに意識を奪われ、枝葉の議論ばかりに時間を使ってしまう。けれど、そうしているうちは事業は本質的には前に進みません。

「いま何をすべきか?」という問いは一見至極正しいように見えますが、それだけに留まってしまうと本当にすべきこと、すなわちイシューから遠ざかってしまいます。

イシューを押さえるとは単に「大事なことを考える」というような抽象論ではなく、事業やチームの方向性そのものに関わる構造的な問いと向き合うことです。

その問いを曖昧にしたまま、次々と降ってくるタスクに応じて動いていると、やがて自分がどこに向かっているのかすら見失ってしまう。

だからこそ、意識してイシューに立ち返る時間を持ち続けなければならないと思うのです。

意識したいこと:緊急の波に飲まれない

突発的なタスクが差し込まれると、私はすぐに軸を見失ってしまう傾向があります。

びっくりする。焦る。テンパる。思考が浅くなる。そして、気づけばイシューを見失っている。

イシューを大事にしようと思っていたとしても、この焦りの中ではその考えはどこかへ吹き飛んでしまいます。緊急対応の連続で考える余裕が失われてしまう。そのこと自体がまた、次の焦りを生むという悪循環を生み出します。

しかし本当にすべきことは、緊急なこととイコールではないことも多いものです。差し込みがあったとしても、それが「どのレベルで緊急なのか」「自分が動くべきことなのか」「タスクの重さはどれぐらいか」など、一度立ち止まって見極めなくてはなりません。むしろ、その一瞬の冷静さこそが、軸を保ち続ける鍵になるはずです。

目の前の波にただ飲まれるのではなく、波の高さと向きを見極める時間を自分自身に、そしてチームに許すこと。思考するには、まずその余白が必要なのだと改めて感じています。

意識したいこと:考えるためには「時間」と「場」を

予定を詰め込みすぎてしまうのは昔からの私の癖です。

やるべきことが多いと、ついついタスクでカレンダーを埋めてしまう。予定を埋めれば「やってる感」が出るとでも思っているのでしょうか。自身の浅はかさに眩暈がします。

それでは、考える時間など残りません。

最近は、早朝や深夜の時間を使って思考の時間を捻出しようとしています。が、いざPCに向かってみると、なぜか作業が始まってしまうんです。メールを返し、資料を直し、Slackを眺めている。

何をやっているんだ。

ここで気づいたのは、私にとって「考える時間」以上に必要なのは「考える環境」だということでした。

そのため最近は、近所のカフェにノートとペンだけ持って出かけることにしています。PCは置いていく(どうしても必要な時以外)。スマホもできれば触らない。ただ歩くだけというのも私には向いていました。

考えるための時間もそうですが、考えるための空間をつくること。このことはちゃんと意識していきたいと思います。

考えることに戻る

色々と書いてきましたが、しかしまあなんと情けないことでしょう…。

気がつけば、私はずっとどこかに向けて走り続けていたようです。その走りに意味があったのかなかったのか…。そう問われるとちょっと自信がありませんが。

立ち止まって考える時間をつくろうとしながら、またすぐに予定を埋め、タスクに追われ、焦りのなかで「本当にすべきこと」を見失ってしまう。そのくり返しの中にいると、自分がどこを目指しているのかさえ、わからなくなってしまう瞬間があります。

だからこそ、意識的に考える時間を「取り戻す」必要があるのだと思います。それは、時間を空けるということ以上に「場所をつくること」「問いに戻ること」が重要で、私に取っては「思考の軸を取り戻すこと」がより重要になるような気がしています。

たった一時間でもいいんです。ノートとペンを持ち、静かな場所で、自分自身と向き合ってみる。その時間のなかでこそ言葉が見つかり、判断が深まり、結果として行動が意味を取り戻していく気がします。

まずはそこから始めてみようと思います。

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Kentaro Matsuoka