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編曲版のクラシック音楽に惹かれて。

クラシック音楽を聴いていると、ときどき「原曲ではない版」に出会います。

誰かの手によって書き換えられた、いわゆる「編曲」と呼ばれる作品です。

正直に言えば、恥ずかしながら私は、原曲より先に編曲版を知ってしまった曲がいくつもあります。あとから原曲を聴いて、「なるほど、ここがこうなっていたのか」と理解することも少なくありません。

けれど今では、その順番も悪くなかったと思っています。編曲版には、原曲とは違う角度から音楽の核心に触れられる瞬間が、確かにあるからです。

編曲は「裏切り」ではなく、もう一つの解釈

編曲という言葉には、ときどき「原曲から離れてしまうもの」という印象がつきまといます。

けれど実際に名編曲と呼ばれる作品に触れると、その考えはすぐに揺らぎます。

主題はきちんと尊重されているけれど、音の配置や強調のされ方が変わることで、原曲では聴こえてこなかった輪郭が浮かび上がる。どちらかというと変奏曲(Variations)を聴いている感覚に近いかもしれません。

「この主題は、こんな姿にもなれるのか」という驚きが、編曲版にはあります。

ブゾーニ編曲 無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番 BWV1004

ブゾーニ編曲のシャコンヌを初めて聴いたとき、正直なところこれは「編曲」という枠組みでは収まりきらないものだと感じました。

ヴァイオリン一本で書かれた音楽を、ピアノという巨大な楽器で再構築しながら、構造そのものは一切揺るがない。

音が増えたことで、和声の重みや対位法の骨格がむしろ明確になり、非常に重厚感のある建築物を眺めているような感覚になります。技巧は圧倒的ですが、それ以上に、バッハの主題がどれほど強靭かを思い知らされる一曲です。

リスト編曲 前奏曲とフーガ イ短調 BWV543

オルガン作品としての壮大さを、そのままピアノ一台に封じ込めようとするリストの欲張りさが、良い意味で全面に出ている編曲です。

低音のうねり、フーガの重層感、どれも削ぎ落とすことなく再提示され、ピアノでここまでやるのかと驚かされます。

ただ派手なだけではなく、原曲の構造を深く理解していなければ成立しない書法で、バッハへの敬意とリスト自身の野心が同時に感じられる作品です。原曲と聴き比べることで、両者の輪郭がより鮮明になります。

ホロヴィッツ編曲 ハンガリー狂詩曲 第2番

ホロヴィッツ編曲版は、もはや「やりすぎ」の領域にありますが、それがこの曲の魅力でもあります。

リストの原曲が持つ民族的な熱狂やユーモアを、さらに誇張し、観客を煽る方向へ振り切っている。

音楽的に正しいかどうかより、「今この瞬間をどう燃やすか」に全力を注いだ編曲で、ピアニスト自身の存在感が前面に出ます。

とんでもなくぴあにスティックな技巧が盛り込まれているため、果たして人間が弾ける代物なのか…と疑問に思ってしまうほどです。原曲の品格とは別の次元で、演奏という行為そのものの楽しさを突きつけてくる一曲だと思います。

フランツ・リスト編曲 アヴェ・マリア

リスト編曲のアヴェ・マリアは、彼の技巧的なイメージとは少し異なる、静かな側面が印象に残ります。

旋律を必要以上に装飾せず、呼吸を整えるように音が配置されており、聴いていて不思議と落ち着きます。

技巧はあくまで裏方に回り、旋律の美しさが自然に立ち上がってくる。技巧的な曲の多いリストにしては意外なくらい内省的

派手さはありませんが、その分、音の重心が低く、何度も何度も聴いていたくなる編曲です。ただ超絶的な技巧で飾り立てるだけではなく、リストの「引き算」の上手さがよく分かる一曲だと思います。

ゴドフスキー編曲 ショパンの練習曲による53の練習曲

ゴドフスキーの編曲の中でも「ショパンの練習曲による53の練習曲」は、「練習曲」と呼ぶにはあまりに壮大です。

ショパンのエチュードをベースにしながらも、左手のみで両手並みの演奏効果を目指す極めて至難な試みや、複数のエチュードを一つにまとめてさらに難易度を上げた作品など、もはや実験的試みとも言える編曲です

ただし、技巧に振り切った機械のような冷たさはなく、特に静かな曲では、原曲の詩情が別の角度から立ち上がってきます。

一見すると過度な技巧的を追求した曲集のようにも聞こえますが、これらは全て、彼自身が音楽の可能性を探るための編曲だったのだと思います。そして何より、原曲への深い理解と執着、そして敬意がなければ生まれない作品です。

まずはエチュードの原曲を通しで聴いた後、ゴドフスキー版を聴いてみると「op10-1と〇〇を掛け合わせた曲かも!」といった発見があり、とても面白いと思います。

クラシックを、クラシックのまま更新すること

クラシックをジャズ風に、ポップスと融合させる試みも数多くあります。もちろんそれも非常に魅力的ですが、私が特に惹かれるのは、クラシックをクラシックの文法のまま再解釈する編曲です。

原曲がオーケストラ作品であっても、それをピアノ独奏へ落とし込む。音を減らしながら、構造を浮かび上がらせる。

もちろん、原曲のほうが良いと感じることもあります。それでも、編曲版を通して聴いたからこそ、原曲の強さや魅力に気づけた場面も確かにありました。

編曲は、原曲を裏切るものではありません。むしろ、その音楽が別の姿でも成立することを示す、一つの敬意の形なのだと思います。

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Ryota Kobayashi