前回の鎌倉散歩前編から引き続き、後編では鎌倉駅から長谷駅周辺までの散歩を振り返ります。
銭洗弁財天でお金を洗った後、そこから徒歩5分ほどの源氏山公園へと向かいました。
源氏山公園は、鎌倉大仏や鶴岡八幡宮の知名度に埋もれがちではあるものの、日本遺産の化粧坂や、国指定文化財の日野俊基墓などを有する鎌倉きっての観光名所。
鎌倉の大仏まで抜けるハイキングコースもあり、四季折々の自然を楽しむことができます。
そんな源氏山公園は、鎌倉幕府を築いた源氏と、討幕の功労者の相反する2つが共存する場所でもあります。
源氏山公園はその名の通り、鎌倉幕府を築いた源氏にゆかりのある場所。京都の石清水八幡宮を勧請し、鶴岡八幡宮の誕生に深く関わった源頼義や、源頼朝の父、義朝の屋敷があった寿福寺周辺の山が整備された公園です。
そこに後醍醐天皇が企てた正中の変と元弘の乱にて鎌倉幕府の討幕に関わっていたとされ、後に功労者として評価された日野俊基の墓が建てられています。
鎌倉時代の始まりと終わりが併存する稀有な場所と言えるでしょう。

源氏山公園にある源頼朝像
ひとしきり公園内を散策し、源頼朝像を堪能した後、鎌倉駅へと戻ります。

鎌倉駅の前にある時計
鎌倉駅から長谷駅方面へ
源氏山公園を後にし、鎌倉駅へと歩いていると、パラパラと雨が降り出しました。
ところが、あいにくの天気にも関わらず、駅周辺は人で溢れかえっていました。
長谷駅に行こうと江ノ電に乗り込むと、車内は満員。乗降もままならぬ人の多さです。
なんとか長谷駅で降車に成功し、長谷寺へと向かいます。

長谷寺の入り口
長谷寺に到着すると、発券機の前には人の列。支払いが現金のみの窓口が空いていたため、そちらから拝観券を購入して、境内へと入ります。
長谷寺は正式には「海光山慈照院長谷寺」という名称と言うようです。
開創は奈良時代、736年と言われており、鶴岡八幡宮よりさらに古い歴史を持ちます。
入り口付近の混み具合とは違い、境内は落ち着いた雰囲気。静かに見て回ることができました。

長谷寺の境内にある池

境内にはいくつかの小さい池があります

境内の鳥居
アジサイの有名な長谷寺ですが、1月と言うこともあり境内の色は控えめ。池泉庭園のどこか寂しげある趣が感じられました。
山を上り見晴台へ
庭園を見てまわった後は、階段を登り、いよいよ本堂へと向かいます。
本堂の左側にある見晴台からは鎌倉の海が一望できます。

長谷寺の見晴台からの景色
本堂には、長谷寺の本尊「十一面観世音菩薩像」が祀られています。
本尊の仏像は像高9.18mあり、木造としては日本最大級の木彫仏とされ、室町時代頃に作られたようです。

長谷寺本堂
鎌倉の大仏
長谷寺を散策した後は、徒歩で10分程度のところにある鎌倉大仏で有名な高徳院に向かいます。
高徳院は正式には「大異山高徳院清浄泉寺」と言い、重要文化財で鎌倉の仏像として唯一の国宝とされる本尊の鎌倉大仏は「銅造阿弥陀如来坐像」と呼ばれているようです。
左右それぞれに仁王像が並ぶ仁王門をくぐると、すぐ中央に鎌倉大仏が目に入ります。
券売所で拝観料を納め中へ入ると、像高およそ11.39mの大仏の大きさがより近くで感じられます。

鎌倉大仏

近くから見た鎌倉大仏
この大仏は鎌倉幕府に資金や、僧侶浄光の勧進により民間から集められた資金によって建てられたそう。
かつては周囲に残っている礎石の大きさから40mを超えると推測される大仏殿があり、その中に鎌倉大仏が建てられたとされています。
実はこの大仏、1243年に建てられた当初は木造だったそうです。現在のように金銅素材になったのは、建設から約10年後の1252年のこと。
はじめに木造で建てた理由は原型を形作るためという説と、嵐により木造が倒壊してしまった説などがありますが、10年で作り直された詳しい理由に関しては謎に包まれています。
また、完成した正確な年や、製作者に関しても明らかにはなっていないようです。
このように多くの不明点を抱え謎に包まれているのも、鎌倉大仏が持つ魅力の1つなのではないでしょうか。神秘的な何かを感じざを得ません。
帰り道に
鎌倉近隣の散策を終えた帰り道、生しらすののぼりがあるお店に入りました。
生しらす丼を期待していたものの、時期がしらす漁の禁漁期間だったため、かわりに釜揚げしらす丼をいただきました。
鎌倉ビールも一緒に注文して飲んだところ、一気に朝から散策していた疲れが出たためか、強烈な睡魔に襲われたことを覚えています。

弊社チームリーダーの中川さんと鎌倉ビール
なんとか駅まで辿り着き、電車に乗って最寄り駅まで帰ることに成功。
今回は一日を通してあいにくの天気となりましたが、帰り道に意外と充実した週末だったなと思いました。