最近、インタビューのお仕事を通じてさまざまな方のお話を伺う機会が増えていまして。
先日は早稲田大学様とのご縁で、起業を志している学生さん、あるいはすでに起業して活動されている学生さんにインタビューさせていただく機会がありました。
少し前に特許庁様のインタビュー企画に関わらせていただいた際にも「すごい人たちばかりだなあ…」と圧倒された話を書いたのですが、今回も例に漏れず、しっかりと打ちのめされて帰ってまいりました。
ありがとうございます。
落ち込んだというよりは、自分の現在地(極めて低い位置)を改めて考えさせられた、という感覚に近いかもしれません。
せっかくの機会だったので、そのときに感じたことを備忘録として書いておこうと思います。
そもそもすごい優秀。なんかもう搭載されているOSが違う
こう書いてしまうと身も蓋もないのですが、正直に言うと「そもそも搭載されているOSが違うね!」と感じる瞬間がたくさんありました。
20歳前後の学生さんが、ごく自然に「特許戦略」や「海外のスタートアップエコシステム」といった言葉を使いながら、自分の取り組みを説明してくれます。しかも単なる知識としてではなく、自分の事業や研究の文脈の中で語っているのが印象的でした。
実際に海外に渡航してピッチされていますし、エコシステムの中の誰にアクセスすべきかを理解した上で、自分から連絡を取りに行っている方もいます。
みなさんが20歳前後の頃、何をしていましたか?
私はというと、先輩の家で飲んでいた記憶と、アルバイトをしていた記憶と、あとはモンスターハンター2Gをやっていた記憶ぐらいしかありません。
楽しかったです。
あの頃の自分が、「社会課題に対してこういう特許戦略を描きたい。そのためにエコシステムの中のこの人に連絡して会いに行こう」と考えていたかと言われると、まったくそんなことはありませんでした。
「特許戦略」などという高尚な言葉は知らず、「飲み放題」のような単語しか理解していない人間でありました。
枯れたと比較することに意味はないと思いつつも、「自分の人生で何をしてきたのかなあ」と、シンプルに考えてしまいました。
「若い」と「幼い」は別物
今回お話を伺う中で、特に強く印象に残ったのがこの点です。
私自身、コミュニティによってはまだ年齢が若い側に入ることがあります。なんなら僕が最年少のコミュニティもあったりします。
「若いですね」「これからいくらでもできますね」と言っていただくこともあります。もちろんありがたい言葉ですし、相対的な若さというものは常に存在するのだと思います。
ただ一方で、同い年でも、あるいは年上でも、「幼い」と感じてしまう人に出会うことがあるのも事実です。思考の重みというか、課題との向き合い方というか、哲学がないとか、態度が悪いとか、利己的とか、そういう部分に幼さを感じることがあるんです。
今回お話しさせていただいた学生のみなさんは、年齢としては明らかに若いのですが、不思議なほど「幼さ」を感じませんでした。
これまでに試行錯誤してきた時間や、課題に向き合ってきた濃さが、そのまま思考や言葉に現れているように感じました。
人は年齢で成熟するわけではないのだと思います。歳をとれば勝手に立派になっていけばどれだけ楽でしょうね。
どれだけ課題に向き合ってきたか、どれだけ試行錯誤してきたか。その密度が、そのまま言葉の重みになるのかもしれません。
そう考えると、学生のみなさんと比べて、自分はまだまだ幼いなと感じてしまいました。
研究を軸に事業をつくる人たちの強さ
最近、理系のバックグラウンドを持つ方々とお話しする機会が増えているからかもしれませんが、今回インタビューさせていただいた学生のみなさんも、それぞれ明確な研究テーマを持っている方が多くいらっしゃいました。
そして印象的だったのは、その研究や技術がそのまま事業に結びついているところでした。
自分が取り組んできた研究があり、その延長線上に社会課題があり、その課題に対してどのように価値を届けるかという形で事業が成立していて、構造がとても自然に見えました。
私はこれまで「研究性」というものの重要さはずっと意識してきたつもりでしたが、振り返ってみると、自分自身が何か一つの対象に対して長い時間をかけて掘り下げ続けてきたかと言われると、全然ダメです。
もちろん、今でも研究してみたいテーマはいくつもあります。コミュニケーションの構造、言語の働き、メディアの変遷、認知の仕組みなど、関心のある領域は割とはっきりしています。
そこまでわかってるならやれよという感想はごもっともですが、全然動けていないのです。情けない。
「ただの関心」で終わらせず、もう少し長い時間軸でコツコツと向き合っていく必要があるのだろうなと強く感じました。
まずは小さな第一歩からということで、興味関心のある領域の本を読んでみることにします。
個人の熱量と制度の距離について
今回のインタビューでは強い刺激を受けると同時に、考えさせられる点もありました。
学生のみなさんとお話しする中で、日本の教育機関が「ビジネスに挑戦したい人を十分に支援できているか」という点については、まだ課題も多いのではないかと感じる場面がありました。
もちろん、熱意のある先生方には数多くお会いしましたし、実際に学生を支えようとしている取り組みも多々存在しています。
ただ、個人の努力だけで「教育機関が保有する仕組み」その全体を変えるのは簡単なことではありません。
ある学生さんがとても印象的なことを話していました。
「アメリカの学生と日本の学生では、アイデアそのものや優秀さに大きな差があるわけではない。ただし環境が大きく違う」という話です。
何かをやりたいと言ったときに、それを支援してくれる人に出会えるかどうか。アクセラレーションプログラムやVC、ステークホルダーとの接続が自然に生まれる構造があるかどうか。大学の中にその動きを後押しする仕組みがあるかどうかなどなど。
このような差が、挑戦の速度や実装のしやすさに影響しているのかもしれません。
学びや熱量を具体的な行動に変えていく力という意味では、日本はまだ伸びしろが大きい領域なのだろうなと感じました。
自分はこれから何に向き合うべきか
学生のみなさんの話を聞いた帰り道、圧倒されたはそのままにポツポツと駅まで歩いていました。
やはり自分は、もう少し「研究」というものにしっかり向き合わなくてはいけないのだと思いました。
社会の中で気になっている課題はありますし、関心のある領域もあります。ただ、それに対して十分な深さで向き合えているかと言われると、全く足りていません。
試行錯誤の量も足りていませんし、エコシステムへの関わり方も改善できる余地がたくさんあると感じています。
やれやれです。
今回出会った学生のみなさんは本当に優秀で、単純に比較すること自体あまり意味のあることではないのかもしれません。それでも、自分の現在地を見直すきっかけになったことは確かです。
自分には特別な頭脳があるわけではありません。もっとスパッと言えば彼らと比べて頭がよくありません。
僕のような凡夫は、できることを一つずつ積み重ねていくしかないのだと思います。しんどいですね。
関心のあるテーマにもう少し長い時間軸で向き合ったり、試行錯誤の回数を増やしたり、出会う人の幅を広げたり、もっと勉強したり。
愚直に、真摯に続けていくことが今の自分にできる一番現実的な選択なのだと思います。