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説明書を読んでいた自分が、若い世代を見て思うこと

よく〇〇世代って例えられたりしますよね。

その時代に生まれ育った人たちを表す言葉で、ゆとり世代、Z世代、デジタルネイティブ世代などがあります。

もちろん、同じ年代でも考え方は人それぞれなので、世代だけで一括りにすることはできません。

それでも、最近さまざまな世代の方とお話しするなかで、「育ってきた時代によって、物事の捉え方は少しずつ違うのかもしれない」と感じることがあるんです。

特に若い世代の方と話していると、シンプルに頭がいいなって感じることが多くあります。

ただ、それは単純に知識が多いという意味ではありません。考え方がやわらかいというか、地頭がいいというか、正解がひとつではない状況でも、自分なりに考えて動ける人が多いように感じるのです。

では、その違いはどこからきているのかを考えてみたんですが、最近、ひとつの仮説を立ててみました。

それが、「説明書世代」かどうかというものです。もちろん、これは特定の世代を否定するものではありません。

あくまでも個人的な仮説ですので、それを前提に読んでいただければと思います。

説明書が当たり前にあった時代

自分は1985年生まれなんですが、学生だったころは、ゲームや電子機器には説明書が同封されているのが当たり前でした。

何か新しいものを買ったら、まず箱を開け、本体や付属品を確認し説明書を開きます。そこには、使い方、注意点、禁止事項、困ったときの対応方法などが書かれていました。

もちろん、すべてを最初から最後まで熟読していたわけではありません。ただ、わからなければ説明書を見ればいいという前提がありました。

言い換えれば、新しいものを使う際にはルールがあり、そのルールを確認してから使う感覚が、自然と身についていたように思います。

ところが、ある時期から説明書はどんどん薄くなっていきました。

最初は、分厚い冊子だった説明書が、簡単なスタートガイドに。そのうち、詳しい使い方はWebで確認する形に変化していき、スマートフォンのアプリやWebサービスでは、そもそも説明書を読むという行為自体がほとんどなくなっていきました。

現在でも、説明書が完全に無くなったわけではありませんが、少しずつ「説明書を読んでから使う時代」から「触りながら覚える時代」へ移っていったように感じます。

説明書は、どのタイミングから減少していったのか

では、紙の説明書はどのタイミングから少なくなっていったのでしょうか。

明確に「この年からなくなった」と言い切れるものではありませんが、大きな転換点として見るなら、2000年代後半から2010年代にかけてです。

その代表的な例として、2007年にiPhoneが登場したあたりから、徐々に空気が変わっていきました。

iPhoneは、マルチタッチ画面を指で直接操作するという体験を広げました。説明書を読み込んでから使うというより、画面上の表示や操作したときの反応から、自然に使い方を理解していく流れが、スマートフォンの普及とともに広がっていったように感じます。

初代iPhoneが日本で発売されたのは2008年です。この頃から、詳しい使い方は紙の説明書だけで確認するものではなく、必要に応じてWeb上で確認するものへと変わっていきました。

ゲームの世界でも、2010年代に入ると紙の説明書は少しずつ減っていきます。

かつてのゲームソフトには、操作方法やキャラクター紹介、アイテムの説明などが書かれた紙の説明書が入っていました。スーパーファミコンやゲームボーイ、初代プレイステーションなどに触れてきた世代にとっては、説明書もゲーム体験の一部だったのではないでしょうか。

自分自身、小学生の頃にスーパーファミコンのソフトを買ってもらい、家に帰るまでの途中で我慢できず、説明書を見ながらワクワクしていたことを覚えています。

2017年に登場したNintendo Switchでは、操作方法を紙の説明書で確認するのではなく、ゲーム内の表示やチュートリアルで確認する形を採用しています。

この流れを見ると、紙の説明書は2000年代後半から少しずつ存在感が薄くなり、2010年代に入ってから電子説明書やWebマニュアル、ゲーム内チュートリアルへ移行していったと考えられます。

また、家電やPC周辺機器については、安全上の注意などもあるため、完全に説明書がなくなったわけではありません。ただ、こちらも紙の分厚い説明書から、簡単なスタートガイドやWebマニュアルへと移行しています。

ルールを読む時代から、触りながら覚える時代へ

説明書には操作方法はもちろん、やってはいけないこと、困ったときに確認する場所なども記載されています。つまり、最初からある程度のルールが用意されている状態です。

一方で、説明書を読まずに使い始めることが当たり前になった今は、最初から正解が明確に示されているわけではありません。

画面に表示された情報を読み取り、操作したときの反応を見ながら、「次はこうすればよさそうだ」と考えたり、うまくいかなければ検索したり、他の人の使い方を参考にしたりしながら、自分なりに進め方を組み立てていきます。

つまり、説明書を読まなくても使えるように設計されたものが増えたことで、使う側にも、最初から正解を待つのではなく、その場の情報をもとに考えながら進める感覚が求められるようになったのかもしれません。

その場で得られる情報から仮説を立て、試し、必要に応じて修正していく。今の若い世代は、こうした環境にかなり自然に適応しているように感じます。

そうした小さな試行錯誤の積み重ねが、考え方のやわらかさにつながっているのかもしれません。

だからこそ、正解がひとつではない状況でも、必要以上に困らないし、ルールが明確でなくても、とりあえず動きながら理解していく姿勢が、自然と身についているように感じます。

説明書を読んで育った自分に残る感覚

子どものころは、説明書がついているのが当たり前でしたが、大人になるにつれて、説明書を読まずに使い始めるサービスや仕組みが増えていきました。

自分もそうした環境のなかで、「とりあえずやってみる」という姿勢を身につけてきたつもりです。ただ、どこかでまだ「本当は正しいやり方があるはずだ」と思ってしまうところがあります。

ルールがあるのであれば先に知っておきたいですし、正解があるなら間違えずに進みたいと思う性格です。そのため、何をしていいかわからない状態だと、少し立ち止まってしまいます。

もちろん、これは自分の世代や上の世代の方に限った話ではありません。若い世代にも、慎重に進めたい人はいると思います。

ただ自分に置き換えたときに、この感覚は、説明書を読んでから動くことに慣れていた影響なのかもしれないと感じたのです。

説明書を読んできた自分が、若い世代に感じる考え方のやわらかさ

もちろん、説明書を読んでから動くことが悪いわけではありません。

ルールを理解してから動く力や、手順を守ることは今でも大切です。仕事や社会のなかでは、決められたルールを正しく理解し、間違いなく進めることが求められる場面も多くあります。

むしろ、説明書を読んできた世代には、ひとつの情報を順番に読み解き、全体像を理解しながら深く考える力があるように思います。

一方で、説明書を前提としない環境で育ってきた世代は、知りたい情報に素早くたどり着いたり、必要な情報をピンポイントで調べたりする感覚に長けているように感じます。

どちらが優れているという話ではなく、育ってきた環境によって、情報への向き合い方や得意な考え方が少し違うのではないでしょうか。

自分が若い世代と話していて「頭がやわらかい」と感じるのは、知識量の差ではなく、正解が見えない状況への慣れ方の違いなのかもしれません。

少し強引な仮説ではありますが、若い世代と話していて感じる頭のやわらかさは、説明書を前提としない環境で育ってきたこととも関係しているように思います。

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Kazuya Nakagawa