第五回、フォントホリック企画は「貂明朝」。
2018年にフォントワークスがリリースした比較的新しい明朝体です。
明朝体といえば、端正で流麗な佇まいを思い浮かべる方が多いかもしれませんが、貂明朝は少し違います。ちょっとだけ野暮ったく、でも愛おしい。
洗練されすぎないその雰囲気には、不思議な温かみがあります。
まず「貂」が読めない
30代独身男性の哀愁をもっさりとした可愛さを纏って伝えてくる貂明朝
そもそもこの文字、読めますか?私は初見では読めませんでした。「テン」と読みます。
テンは日本に生息する小動物で、すばしこくも愛らしい姿をしています。書体の名にこの生き物をあてたのは、もしかすると、その性格のようなものをフォントに重ねたからかもしれません。
開発を手掛けたのは、活字や写植時代の文字に造詣の深い、書体デザイナーの玉屋庄兵衛氏。
近年の和文フォントは、モダンで整理されたものが多い傾向にあります。そんな中で貂明朝は、昔の活字を思わせるクラシカルな気配をまとい、ひと目で違いがわかる存在感を放つフォントです。
流麗ではない、でも愛らしい「もっさり感」
曲線部分が人間らしい丸みを帯びていて可愛い
貂明朝をよく見ると、線の抑揚がゆったりとしていることに気づきます。はらいや曲線の処理には手書きのニュアンスが残り、ほんの少し不器用さを感じさせる。
たとえば「あ」や「永」といった字を拡大するとよくわかります。ヒラギノ明朝や游明朝のようにシャープで整った印象とは異なり、輪郭が柔らかく、少し丸みを帯びています。
この“もっさり感”が、貂明朝の魅力だと思います。
古風で重厚にも見えるのに、どこかユーモラスで可愛らしい。
このフォントを使うとデザイン全体がほんのりとストーリー性を帯びるように感じます。
派手な演出をしなくても、文字そのものが情緒を運んでくれる。だからこそ、情感を大切にしたいデザインでつい手に取ってしまうのです。
実用性を高める欧文グリフ
いつも尋常じゃないほどお世話になっております
デザインで使いやすい理由は、表情だけではありません。
貂明朝には欧文グリフがしっかり揃っており、英字や数字を別フォントと合成する必要がないのです。
和欧混植の際の手間が減るのは、現場のデザイナーにとってはありがたい限り。
さらに、長文用に最適化された「貂明朝テキスト」も用意されています。独特の味わいはそのままに、小さなサイズでも視認性を確保。見出しから本文まで一貫して使える懐の深さがあります。
言葉に「温度」を添える
私は、バナー制作やキャンペーンビジュアルを手がけるときによく貂明朝を使います。特に、やわらかい写真の上に添える短い言葉やキャッチコピーとの相性はこの上ありません。
華やかさよりも、温もりを大切にしたいとき。貂明朝は主張しすぎず、けれど確かな存在感を持って寄り添ってくれます。
モダンなサンセリフ体やゴシック体と組み合わせると、お互いの個性が際立つのも面白いところです。使うたびに、もっさりとした輪郭や手書きの余韻がますます愛おしく思えてきます。
文字は情報を運ぶだけの記号ではなく、温度感や空気をつくるもの。貂明朝は、そのことを静かに思い出させてくれるフォントです。