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妻不在の期間、家族と過ごして感じたことなどなど

我が家には4歳の長男と、1歳になったばかりの次男がいます(あと猫が3匹います)。

夏前だったか、妻が著名なアーティストの全国ツアーにバックコーラスとして参加することが決まり、ここ数ヶ月間、家を数日空けることが多くなりました。

その間、私は仕事をしながら子どもたちの世話や家のことを一人でこなす日がチラホラとありました。至らない点が多かったものの、妻の母や私の母にもたくさん助けてもらいながら、どうにか日々を送ることができました。

そして10月20日の朝。

妻がツアーを終えて久しぶりに帰ってきました。家の中に、いつもの空気が戻ってきたような安心感がありました。

振り返ってみると、慌ただしくも温かい、不思議な数ヶ月でした。大変だった部分もありますが、今思えばとても貴重な時間だったように思います。

この期間で気づいたことをつらつらと書いてみようと思います。

支えられていた日々に気づく

いわゆるワンオペのような日々を経験したことは幾度となくありました。

でもそれはほんの一時的なことです。妻はいつもたくさんの時間を、家のことや子どもたちの世話に費やしてくれていたのだと、改めて気づかされました。

妻はフルタイムの会社員ではありません。ライブやリハーサル、レコーディング、CM撮影、そして歌の先生としての仕事など、活動の幅は広く、スケジュールも不規則です。

しかし仕事がない日は家にいることも多く、そのぶん家のことを自然に担ってくれていました。私もその状態に、いつの間にか甘えてしまっていたのだと思います。

今回、自分が仕事をしながら家を回す日々を過ごしてみて、「これを何年も続けてくれていたんだな…」と思うと、本当に頭が下がる思いでした。

忙しい中でも、家が穏やかに回っていたのは妻のおかげだったんだと、心から感謝しています。

妻の仕事を支えられる存在になりたいという気持ち

妻は10代の頃からシンガーとして活動してきたようです。順風満帆というよりは、試行錯誤と挑戦の連続だったんだと思います。

それでも歌うことを手放さず、地道に積み重ねてきた結果、30歳と余年、ようやく大きなチャンスが巡ってきたように私は感じました。

だからこそ、今回の全国ツアーは妻にとっても特別なステージだったはずです。

ツアーの話を聞いたとき、私は迷わず「行っておいで」と言ったものの、内心では「この日数、家事と育児と仕事をこなせるか…?」「決算の時期とも被るしなかなか大変かもしれないぞ…?」「打ち合わせはどうすればいいんだ…?」という不安も正直ありました。

ですが「夫が家のことをできないから」と夢を諦めてほしくありません。「家のことは大丈夫だから思いきり行っておいで」と言えるような存在になりたいものです。

妻が安心して自分の道を歩めるように、私もちゃんと成長しなければと思いました。

今回の経験は「ただサポートする」というよりも、お互いの人生を支え合うことの意味を、あらためて感じるきっかけになりました。

子どもたちと過ごす時間の豊かさに

仕事柄(役職柄?)、朝早く出て夜遅く帰ることも多く、気づけば子どもたちとゆっくり向き合う時間は限られていました。

土日や祝日も、朝も夜も関係なく働く日々の中で、「家族と過ごす時間」は少々後回しになっていた気がします。

大反省です。

でもこの数ヶ月、妻の留守をきっかけに、子どもたちと過ごす時間がぐんと増えました。

一緒に本を読んだり、散歩したり、サッカーをしたり、宿題を見たり、簡単なご飯を作ったり。

どれも特別なことではないのですが、一つひとつが心に残る時間でした。

いつの間にか、子どもたちと過ごす時間の中に余白のようなものが生まれていて、それがとても心地よく感じられました。

今までは「父親として頑張らなきゃ」とどこか力んでいましたが、最近はただ一緒に笑っているだけで満たされるようになりました。

これまでも仲良く過ごしてはきましたが、これまで以上に父と子の距離が近づいていくのを感じた期間でもありました。あの慌ただしい日々の中で、家族の時間の豊かさというものを実感できたように思います。

これからの人生を見つめ直す時間にも

今4歳の長男が20歳になる頃、私は53歳になります。

そう考えたとき「その頃、自分はどんな生き方をしているだろう」と、ふと立ち止まるようになりました。

今までの私は、どちらかといえばその場を生きるタイプでした。

恥ずかしながら、やりたいことややるべきこと夢中で、将来の備えについてはあまり深く考えていませんでした。

でもこの数ヶ月、子どもたちと向き合う中で「もしもの時、家族を守れる存在でいなくてはならない」と強く思うようになりました。

教育費のこと、老後のこと、家族の暮らしのこと。もし自分に万が一のことがあった時のこと。

考えれば考えるほど、自分が知らないことばかりです。そのため、この期間でお金や投資、税金、保険といった仕組みを少しずつ学び始めました。

不思議なもので、それが仕事にもつながる気づきにもなり、この経験が思わぬ形で自分の成長にもつながっているように感じています。

何よりも、子どもたちには安心して自分の道を歩んでほしいのです。そのためにも、親としてできる準備を少しずつ整えていきたいなと思っています。

自分の市場価値について

先ほどの話とやや重複するのですが、「このままの自分で、本当に家族を守っていけるのだろうか…」と思うことも多々。

今はどうにか回っているけれど、長い目で見たときに、今の自分の力で家族を支え続けられるだろうか…?と、そんな問いが頭をよぎりました。

知識も実力も、まだまだ足りません。経営の知識、企業や市場を読み解く力、戦略を描く力などなど、学ばなければならないことは山ほどあります。

優秀な経営者や業界で最前線を走るプレイヤーの方々に日々出会う自分は、いつも「至らなさ」にもがいていたような気もします。その圧倒的な「至らなさ」に改めて向き合えたことが少し嬉しくもありました。

では何をいつまでにどのような形で学習すべきか。どのタイミングでいくらかけて何を学ぶのか。そしてそれが自分にとってどのようなプラスになるのか。

などなど自分に本当に必要な「投資」とは何かをしっかり考えられたことは、仕事に大きなプラスになったのではないかと思います。

家族を守るために自分自身の価値を高めていくこと、そのためには焦らずに、一歩ずつでも前に進むことの大切さを噛み締めた時間でもありました。

自分という人生の終わり

「自分という人生の終わり」というと少し大げさに聞こえるかもしれませんが「自分の人生はもう自分だけのものではないんだな」と強く認識するきっかけにもなりました。

結婚をした時、子どもが生まれた時、社員を迎えた時。そのたびに、少しずつ「自分の人生」は「誰かの人生の一部」へと形を変えていったように思います。

昔の自分なら、「今やりたいこと」を最優先にしていたかもしれません。でも今は「家族や仲間の人生を守ること」が自分の役割です。

そのために自分の実力をしっかりと磨き上げ、より良い環境を作らなくてはなりません。

誰かのために生きることは豊かで幸せなことだと信じたいものです。

これからは「自分が何を成し遂げるか」よりも「自分が誰に、どんな価値を残せるか」を大切にしていきたいと強く感じるきっかけにもなりました。

家族とともに成長していけるように

これまでばーっと書いてきましたが、この数ヶ月を通して、自分自身大きく変わりました。

私は幼い頃から毎日「昨日の自分より、今日の自分は成長しているか?」と考えるようにしています。

そうしてふと振り返ってみると、三ヶ月前の自分とはまるで別人のようです。家のことも、子どもとの時間も、心の持ち方も、人生に対する知識も、少しずつ変わっていきました。

以前は、仕事の成果や目に見える成長ばかりを追いかけていた気がします。しかし今は、家族と過ごす時間の中にこそ「人としての成長」があるように思うのです。

知識や経験を積むことはもちろん大切ですが、同じくらい大切なのは、家族と一緒に「今をちゃんと生きる」ことなのだと感じています。

これからは、精神的にも経済的にも、今まで以上に家族を支えられる人間でありたいものです。

そして、日々の暮らしの中で、少しずつでも優しさや余裕を増やしていけたら、きっといい人生になるのかもしれません。

そんなふうに思いつつ、この文を締めくくろうと思います。

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Kentaro Matsuoka