業務の標準化・定型化、いわゆる「型化」について考えることが増えました。
一般的に「型化」と聞くと「明確な手順の確立によって業務効率が向上し、安定した品質を維持できるようにするためのもの」といったイメージを思い浮かべるのではないでしょうか。
体系化された作業プロセスは、組織全体の生産性向上に寄与し、とりわけ反復的な業務においては非常に有用であることは言うまでもありません。
しかし型化は時に思考の硬直化を招く危険性を孕んでいることもあると思うのです。マニュアルへの依存が強まるあまり、状況に応じた柔軟な判断力が失われ、「思考停止」状態に陥ってしまう。ここに恐ろしさを感じています。
「型化」は効率化の秘訣なのか、それとも創造性の阻害要因なのか。
今回はそんな「型化」について、編集、デザインを生業とする弊社はどう向き合うべきかを考えてみました。
標準化された「型」がもたらす効率化のメリット
まず、業務の型化による効率化のメリットを考えてみます。TQM(Total Quality Management)や業務改善、ナレッジマネジメントなどで標準化の重要性が繰り返し説かれてきました。
業務が標準化されると、誰が担当しても同じ手順・水準で成果物を作成できるため、製品やサービスの品質が安定します。さらに手順のばらつきから生じるミスや不良を減少させ、顧客に一貫した価値を提供することが可能になります。
マニュアルや手順書によって仕事の進め方や判断基準が統一されれば、「Aさんしかこのやり方を知らない」ということも少なくなり、誰が担当しても一定の品質で業務を遂行できるようになります。新人や異動者も標準手順に沿って学べるため、教育訓練が容易になり、組織全体の知識共有が促進されるという利点もありますね。
ナレッジマネジメントの観点からも、誰もが活用できる形に整理された知見の伝達は、業務効率の向上、属人化の解消、さらには新たな知識創出に大いに貢献するはずです。これら様々な有用性に対しては疑いの余地はありません。
実際、単一の製品やサービスを大量生産・提供する大企業では、属人性に頼らない業務標準化が効力を発揮しやすいとされています(あくまで一般論です)。
標準化された仕組みに乗せることで、サービスの質を一定水準以上に保ちながら業務をスピーディーに回せるためですね。
このように、単一の製品やサービスを大量生産・提供するサービスにおいては、型化は効率化の極めて有効な手段となります。
創造性と現場力の低下という型化の落とし穴
しかし一方、私が危惧するのは型化の弊害です。
業務をあまりに型に当てはめ過ぎると、組織が惰性に陥り、創造性や現場力が損なわれる危険性があるためです。標準化に対する典型的な批判として、「マニュアル人間を生む」「決められたことしかやらなくなる」「自主的な発想が阻害される」「創造性の敵になる」といった指摘が挙げられます。
実際、画一的なマニュアルに依存しすぎると、自ら考える機会が減少し、状況の変化に柔軟に対応する力が低下してしまいます。
とりわけ私たちが行う編集やデザインという文脈においては、「型化すべきでない点」も少なからず存在すると考えます。これは型化が不適切というわけではなく、過度な適用が思考力を奪う結果につながるためです。
私たちが取り扱うデザインや編集の世界では決まった商品は存在せず、常にお客様とのコミュニケーションを軸とした「オーダーメイド」の性質を持ちます。
「思想の型」は存在しても「手法の型」はどうしても限定的にならざるを得ません。正確には、個別具体的すぎて手法の型を作ろうとすると細分化されすぎるのです。細分化されすぎると特定ケースに対してどの手法を選択したらいいのか分からず、逆に再現性が失われてしまいます。
特定の成果物を制作する過程ではイレギュラーな要求が発生することは日常的ですし、型化された対応だけではお客様の期待を超える成果物は作れません。
不健全な型化が学習・創造を阻むことはしばしば指摘されており、カーネギー学派のジェームズ・マーチが提起した「知の探索」と「知の深化」の理論はその代表例でしょう。型化は既存知識の深化(Exploitation)を促し効率を高める反面、新しい知の探索(Exploration)を怠ると組織は知の惰性に陥ります。
全員が決められた型に従順に従うだけでは、新たな知見の探索が停滞し、学習効果も頭打ちになるのです。これは組織の惰性やコンピテンシー・トラップ(自社の得意分野に安住して新規探索を疎かにする罠)と呼ばれる現象です。
また、日本の経営学者・野中郁次郎氏の知識創造理論から考えても、暗黙知の共有と新知識の創発には一定の自由度やカオスが必要とされるようです。
組織における知識創造のプロセスでは、個人の持つ暗黙知を表出化し、それを全体で連結・内面化していくことで組織知が拡大します。しかしマニュアル至上主義で現場の裁量や対話の余地がないと、暗黙知の共有(共同化)や新知識の創造が進みにくくなってしまいます。
固定化した手順に疑問を挟まず従うだけでは、環境変化に適応した自己変革ができず、組織は徐々に活力を失ってしまうでしょう。
要するに「型化に囚われすぎると人は考えることをやめてしまう」というリスクが怖いのです。
現場で「なぜこの手順なのか?」「このままの進め方で問題ないのか?」「いつも同じことをしているけど大丈夫なのか?」など疑問を持ち工夫する姿勢がなくなれば、改善や革新の芽が摘まれてしまいます。
組織における創造性は、各個人の主体的な問題発見・提案によって支えられる側面が大きいため、マニュアル依存の風土では現場発のアイデアが生まれにくくなるのです。型そのものが問題なのではなく、「型に人をはめ込む」ような硬直した運用になることが問題なのです。
特にプロセスが未成熟な分野や創造性が求められる現場において、安易な型化は危険を伴います。
結果として、業務プロセスの改善やサービスの向上が停滞し「ただ言われたことをやるだけ」の状態、すなわち思考停止に陥ってしまう。
標準化された仕事は一見すると最も効率的な進め方に思えますが、それに依存し過ぎると業務は次第に劣化していくと考えています。
なぜなら、一度過去に最適とされたやり方も、状況の変化に伴って永遠にそれが最適であり続けることはないからです。
定型の手順に従っていったん思考を停止し「やるべきこと」を繰り返すだけでは、環境変化に対応した改善が滞り、やがて取り残されてしまいます。
創造的な分野であればあるほど、型に頼らず常に問題意識を持って試行錯誤を続ける姿勢が求められるのです。
不確実性の時代に求められる動的な組織知
市場や技術の変化が激しい環境下では、過去に有効だった型が明日も通用する保証はありません。むしろ環境変化に合わせて型を進化させていく動的な組織知が求められます。
競争優位の源泉は「モノ」や「カネ」から「知識」へと移行しており、その知識が常に最新にアップデートされているかが成否を分ける時代となっています。一度確立したやり方に安住せず、組織として学習し続けることが不可欠です。
そのためには、思考停止に陥らない仕組みを組織内に構築する必要があります。例えば、定期的な「型」の見直しは常に行うべきでしょう。標準手順やルールであっても定期的に「これで良いのか?」と問い直し、現状にそぐわなくなった部分があれば改訂する、より良い案がある場合は提案するなどの姿勢が必要です。
業務プロセスレビューや振り返り会議を実施し、現場からのフィードバックを集めて型を常に改善する。プロジェクト、要件、環境などが変化すれば新たな解決策を探索し、その知見をまた標準に組み込む。そうしたダブルループ学習的な営みを循環させられる組織を目指すべきです。
要するに、固定的な型にしがみつくのではなく、型そのものを変革していける組織力が重要だということですね。
標準化されたプロセスがあったとしても、それは決して「聖域」ではありません。変化の兆しを現場から捉え、組織知を常にアップデートし続ける会社が生き残ると考えています。
逆に、一度作ったマニュアルやプロジェクトの方向性を何年も放置し、惰性的に仕事をしてしまっている組織は、環境変化に乗り遅れ、淘汰されるという危機感を持つべきだと考えています。
むしろ求められる超俗人的なアプローチ、試行錯誤の後の「型化」
ビジネス環境が目まぐるしく変化する現代では、組織や個人にこれまで以上に自律的な思考と創意工夫が求められています。もはや誰かから言われたとおりに動いていれば良い時代ではなく、自分で考え行動できなければ通用しません。
弊社のような小さな会社が現在のフェーズで重んじるべきは「超俗人的」なアプローチだと考えます。組織の誰もが他人任せにせず、本気で考え抜き、本気で価値を創造する姿勢。それがなければ生き残れません。
そもそも「型」とは、本来は現場での試行錯誤の積み重ねから生み出されるべきものだと私は思っています。
新しい仕事を始めた当初は完成度が低く、質の向上に向けて改良を重ねる期間がどうしても必要となります。その過程を経て初めて、効率化や標準化によって誰でも実行できる手順へと落とし込む段階に移行できるのです。
言い換えれば「個々人が真剣に考えて改善を積み重ね、高い品質を実現してきた結果として最良の型が確立される」のであり、この順序は逆転させるべきではありません。
もし十分に練られていない未成熟な段階で安易に型にはめてしまえば、改善の余地が多く残されたまま思考が固定化されてしまいます。型は後から生まれるべきであり、先に型ありきではいけないのです。
これはどの分野においても共通する原則ではないでしょうか。現場で培われた知見の蓄積こそが型という財産を生み出す原点であり、その逆ではないのです。
そのために私が大切にしているのは「成果物やプロセスを改善するためにやるべきことを、工数を一旦度外視して議論する」と言うことです。可能な限りお客様と同じ目線で行うことを心がけています。
その上で現実的に難しい場合は双方相談する、代替案を模索するなどのコミュニケーションが必要です。
この質と工数と要素を同時に議論してしまうと、「これはこういう理由だからできない」「今やるには負担が大きすぎる」などと、ついつい自己都合や工数都合で考えることが増えてしまい「アウトプットをより良いものにしたい」という観点から乖離してしまうということもありますし、私自身もたくさん経験してきました。
この姿勢が過剰になるとコミュニケーションに「諦め」が生まれ、結果的に「生産性を最大化するための思考を放棄している」と判断されてしまいます。結果、プロジェクトに参加することすら叶わなくなるかもしれません。
このような姿勢では、今日の競争環境で生き残ることは困難、というか不可能です。
属人的なやり方は再現性に欠ける半面、一人ひとりが真剣に知恵を絞って生み出した成果は、その場限りではない真の競争力となるはずです。画一化された型ではなく各人の主体的な思考こそが、変化の激しい時代に求められるだと思っています。
「品質への執着なく行う定型化」こそ「思考放棄」につながる
型化と創造性は対立するように見えますが、実は順序の問題だと思っています。
すなわち、まず個人や現場の創意工夫(属人的な試行錯誤)によって新たな知見や手法を生み出し、それを型(標準)に昇華するという順序が本来あるべき姿であるのではないかと。
企業の優れた型は、多くの場合現場発の知恵から生まれているように思えます。
重要なのは、創造性と標準化を二者択一と捉えないことでしょう。むしろ両者を循環させることで組織能力は飛躍するはずです。
そのために「探索→標準化→さらに探索」というサイクルを大事にしたいと思っています。一度決めた型も、誰かが「もっと良い型」を模索し改良していく。その繰り返しができれば組織知が深まり広がっていくのではないかと。
型化・標準化を進める際には、前提として品質への執着や狂気とも言えるこだわりがなくてはなりません。
そうした執念を欠いたまま安易に業務を定型化すると、ただ過去のやり方に縛られて現状に甘んじるだけの思考放棄と同義になってしまいます。
一度定型ができあがると、それがあたかも「正解」であるかのように受け止められ、いつしか誰もその良し悪しを疑わなくなってします。こんなに恐ろしいことはありません。
品質向上への問題意識を失い、型だけを守り続ける状態はもはや仕事とは呼べません。これはただ楽な手順に流れているに過ぎず、本来あるべき創意工夫や改善努力を放棄してしまっているからです。
型化はあくまで手段であって目的ではありません。品質向上への狂おしいまでの執念を持って常に思考を止めることなく進みたいと思います。