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方言について調べてみたら、奥深い言葉の歴史の一部が見えてきた

自分は福井県敦賀市の出身で、現在は神奈川県に住んでいます。

上京してから、早いもので20年ほどが経ちました。今でこそあまり意識することはありませんが、上京したばかりの頃は、自分の方言に少し引け目を感じていたことを覚えています。

地元の敦賀では、「しんどい」や「つらい」という意味で「えらい」という言葉を使うんですが、当然ながら伝わらないんです。

たとえば、「今日は体がえらい」「昨日、呑みすぎてえらい」といった言い方です。自分にとっては自然な表現でしたが、地元を離れてみて、これが方言なのだと気づかされました。

現在では使うことは少なくなりましたが、地元の友人と話していると、ふと出てくることがあります。

そもそも方言とは、どのように生まれ、どのように地域に残ってきたのでしょうか。

そんな疑問がふと湧いたので、方言について調べてみました。

方言を分解してみると、見えてきたこと

そもそも方言とは何かを調べてみると、特定の地域や集団の中で自然に使われてきた言葉のことだそうです。

たとえば、標準語では「疲れた」と言うところを、地域によっては「えらい」「しんどい」「こわい」「きつい」などと言うことがあります。

方言というと、地域ごとの単語の違いを思い浮かべる場合が多いかもしれませんが、方言の特徴は語彙だけではありません。そのほかに発音、アクセント、文法、意味やニュアンスの違いにも表れます。

同じ意味でも、地域によって言い方が変わる語彙の違い

同じ意味や物事でも地域によって違う言葉で表すことがあります。

たとえば、次のような例です。

意味 方言例
捨てる ほかす、うっちゃる
疲れた しんどい、こわい、えらい、きつい
とても ばり、でら、めっちゃ、なまら
ありがとう おおきに、だんだん

今回取り上げる「えらい」も、この語彙の違いとして見ることができます。標準語では「疲れた」と言う場面で、地域によっては「体がえらい」と表現することがあります。

同じ言葉でも、音の響きが変わる発音の違い

次に、発音の違いです。

方言では、同じ言葉でも、地域によって音の出し方が変わることがあります。

たとえば、同じ「すし」という言葉でも、地域によっては「すす」に近く聞こえたり、「し」と「す」の音が標準語とは少し違って聞こえたりすることがあります。

また、東北地方の方言では、音が濁って聞こえることがあります。標準語でははっきり分けて発音する音が、地域によっては近い音として発音されることもあります。

このように、書けば同じ言葉でも実際に話してみると、音の響きや聞こえ方が変わるのは非常に面白いですね。

地域によって音の高低のつけ方が変わるアクセントの違い

アクセントの違いも方言の特徴です。

日本語のアクセントは、英語のように「強く読む・弱く読む」というものではなく、音の高さが「高いか・低いか」で変わります。これを高低アクセントというそうです。

たとえば、「はし(橋・箸・端)」という言葉も文字で書くと同じ「はし」ですが、地域によって音の高低のつけ方が変わります。

日本語のアクセントは、「東京式アクセント」「京阪式アクセント」「無アクセント」3つに分類されるようで、東京式アクセントは、関東地方などで使われるアクセントです。現在の標準語に近いアクセントで、単語の途中で音が下がることが特徴。

京阪式アクセントは、京都や大阪など、近畿地方を中心に使われるアクセントで、東京式とは音の高低のつき方が違い、同じ単語でも関東と関西ではかなり違って聞こえることがあります。

無アクセントは、単語ごとの音の高低の差があまりはっきりしないアクセントです。東北地方の一部や北関東、九州の一部などに見られます。一本調子に聞こえることもあり、標準語とは違った印象になります。

このように、方言の違いは言葉そのものだけではなく、同じ言葉を使っていても音の高低のつけ方が違うだけで、その地域らしい話し方になります。

文法にも、その土地らしさが出る

方言には、文法の違いもあります。

たとえば、「〜しない」「〜している」「〜した」「〜だろう」といった表現は、地域によって言い方が変わることがあります。

意味 標準語 方言例
否定 行かない 行かん、行かへん、行がね
進行 雨が降っている 雨が降りよる
完了 もう食べた もう食べとる
推量 行くだろう 行くやろ、行くべ

たとえば、西日本の一部では「降りよる」と「降っとる」を使い分ける地域があります。

「降りよる」は、今まさに雨が降っている状態で、「降っとる」は雨が降った結果、地面が濡れているような状態を表すそうです。

このように、言葉の形で細かく状況を言い分けられる点も面白い点です。

同じ言葉でも、受け取られ方が変わる意味やニュアンスの違い

方言では、同じ言葉であっても、地域によって意味やニュアンスが変わることがあります。

「えらい」は、その代表的な例です。

標準語では「えらい」と聞くと、多くの人は「偉い」「立派だ」「すごい」という意味を思い浮かべますが、地域によっては「えらい」を「疲れた」「しんどい」「大変だ」という意味で使います。

方言のおもしろさは、単に言葉が違うだけではありません。同じ言葉であっても、地域によって受け取られ方が変わるところにあります。

方言と標準語・共通語・中央語の違い

徐々に方言とは何かが理解できてきましたが、奥が深いですね。

さらに調べていくと、標準語・共通語・中央語という言葉が出てきます。この違いはなんなのでしょうか。

標準語・共有語は聞き馴染みがあり、「広く使われる言葉」というイメージがありますが、中央語という言葉は初めて知りました。

これらの意味は少しずつ違うようで、簡単に整理すると次のようになります。

用語 意味 主な使われ方
方言 特定の地域や集団で使われる言葉 日常会話、地域の暮らしの中で使われる
標準語 社会の基準として整えられた言葉 教育、放送、公的文書、試験などで使われる
共通語 地域を越えて通じやすい言葉 仕事、学校、テレビ、日常会話などで広く使われる
中央語 その時代の政治・文化の中心地で使われた言葉 歴史的な言葉の広がりを考えるときに使われる

方言は「地域に根ざした言葉」、標準語は「基準として整えられた言葉」、共通語は「実際に広く通じる言葉」、中央語は「その時代の中心地で力を持っていた言葉」ということがわかります。

標準語:学校やニュースで使われる、整えられた言葉

標準語について、もう少し深掘りしてみましょう。

標準語は、国や社会の中で「基準」として使えるように整えられた言葉です。全国の人に同じ内容を正確に伝えやすくするために、ある程度ルールが整えられていることが特徴です。

そのため、標準語は学校教育や教科書、新聞、ニュース、役所の文書、試験などで使われます。
地域によって受け取り方が変わりにくく、多くの人に同じ意味で伝わりやすいからです。

ただし、標準語は「正しい日本語」という意味ではありません。

標準語は、公的な場面や、広い地域の人に向けて伝えるときに使いやすい言葉です。一方で、方言にも、その地域の中で自然に使われてきたルールや表現があります。

そのため、標準語と方言の関係は「正しい・間違い」ではなく、使う場面や相手によって使い分ける言葉と考えるとわかりやすいです。

共通語:日常会話で自然に通じる言葉

共通語とは、地域を越えて多くの人に通じやすい言葉のことです。

標準語と似ていますが、少し意味合いが違います。標準語は「基準として整えられた言葉」という意味が強いのに対し、共通語は「実際に多くの人に通じる言葉」という意味が強い言葉です。

標準語は、ニュースのアナウンサーの話し方を想像するとわかりやすいかもしれません。発音や言葉づかいが整っていて、全国の人に同じように伝わりやすい話し方です。

ただ、私たちが日常会話で使う「全国的に通じる日本語」は、必ずしも教科書どおりの表現ばかりではありません。

少しくだけた言い方や、もともとは特定の地域で使われていた言葉が、広く使われるようになったものもあります。

たとえば、「めっちゃ」や「やらかす」のような言葉は、標準語としてきれいに整えられた表現ではないかもしれませんが、多くの人に意味が伝わります。

たとえば、「昨日、仕事で失敗しました」が標準語で、「昨日、仕事でやらかしちゃったんだよね」は共通語という感じでしょうか。(例えが間違っていたらすいません)

このように、標準語が「整えられた基準」だとすれば、共通語は「実際の会話や仕事の場面で、広く通じる言葉」と考えるとわかりやすいです。

中央語:時代ごとの中心地から広がった言葉

中央語とは、その時代の政治や文化の中心地で使われ、ほかの地域にも影響を与えた言葉のことです。

標準語や共通語が、現在のコミュニケーションを考えるときに使われる言葉だとすれば、中央語は、日本語の歴史を考えるときに使われる言葉だといえます。

ここで、中央語の変化を簡単に振り返ってみましょう。

日本では、時代によって政治や文化の中心地が変わってきました。

平安時代から中世にかけては、京都が政治や文化の中心でした。そのため、この時代の文学作品や言葉の広がりを考えるときには、京都の貴族社会で使われていた言葉が重要になります。これが、その時代の中央語にあたります。

その後、江戸時代になると、徳川家康が江戸幕府を開き、政治の中心は江戸へ移ります。そのため、武家社会や政治・行政の場では、江戸の言葉の影響が強くなっていきました。

ただし、江戸時代になってすぐに「江戸の言葉だけ」が中央語になったわけではありません。文化、商業、芸能、文学の面では、京都や大阪を中心とする上方の影響も強く残っていたのです。

つまり江戸時代は、政治の面では江戸、文化や商業の面では上方が、それぞれ大きな影響力を持っていた時代だといえます。その後、江戸の人口が増え、政治・経済・出版・娯楽の中心として江戸の存在感が大きくなるにつれて、江戸の言葉の影響力も強まっていきました。

そして明治以降は、教育、行政、新聞、放送などが整えられていく中で、東京の言葉をもとに標準語・共通語が形成されていきます。

現在では、「中央語」という言い方はあまり聞き馴染みがありませんが、現代で中央語に近いものを考えるなら、政治、経済、メディア、教育の中心である東京の言葉が近いといえるでしょう。

このように、社会の中心地で使われていた言葉は、ほかの地域の言葉にも影響を与えてきました。

現代では少し想像しにくいですが、かつては時代によって政治や文化の中心地が変わっていました。中心地が変われば、人の移動や文化の流れも変わります。そして、それに合わせるように、影響力を持つ言葉も変化していったのです。

その時代にどの地域が力を持っていたのか、どこに人や文化が集まっていたのか。そうした社会の動きとも深く関わっていることがわかりました。

方言は、人の行き来の中で生まれてきた

ここまで、方言とは何か、標準語・共通語・中央語の違いについて見てきました。

では、そもそも方言はなぜ生まれるのでしょうか。

方言が生まれる理由は、大きく分けると地域ごとの生活圏の違い、言葉そのものの変化、中心地からの言葉の広がり、ほかの言葉との競合が関係しているそうです。

まず大きいのは、地域ごとの生活圏が、長い間分かれていたことです。

昔は、現代のようにテレビやインターネットで全国の言葉に触れる機会は当然ながらありませんでした。人の移動も今ほど自由ではなく、山を越えたり、川を渡ったり、遠くの町まで移動したりすることは、今よりもずっと大変でした。

そのため、地域ごとに人の行き来が限られ、言葉もそれぞれの地域の中で少しずつ変化していき、同じ日本語であっても、長い時間をかけて地域ごとの違いが生まれていったのです。

ここで大切なのは、方言は現代の行政区分どおりに分かれるわけではないということです。

現代では、「大阪弁」「広島弁」「会津弁」のように、都道府県名や地域名で方言を考えることが多いですが、方言は昔の人々の生活圏や、人の行き来のしやすさに合わせて広がってきたものです。

そのため、同じ県内でも地域によって言葉が違うことがありますし、県をまたいで似たような言葉が使われることもあります。

たとえば、山や川が地域を隔てることもあれば、街道や港町が遠くの地域を結びつけることもありました。海は地域を分けるものに見えるかもしれませんが、船で移動していた時代には、むしろ人や物、言葉が行き交う大切な道でもありました。

戦国時代の領地や江戸時代の藩、商業のつながりなども、言葉の広がりに影響していたんでしょうね。

方言周圏論という、言葉の広がり方

方言について調べていると、「方言周圏論」という考え方がよく出てきます。

少し難しい言葉ですが、簡単にいうと、文化の中心地で使われていた言葉が、時間をかけて周辺地域へ広がっていくという考え方なんだそうです。

中心地では次々に新しい言葉が生まれます。すると、以前使われていた言葉は中心地では使われにくくなりますが、周辺地域にはそのまま残ることがあります。

この考え方を示した人物として知られているのが、柳田國男です。彼は、カタツムリの呼び名が地域によって違うことに注目し、『蝸牛考』の中で、言葉が中心地から周辺へ広がっていくという見方を示しました。

自分が日常的に使っていた「えらい」も、その当時の中心地で誕生し、それが周辺地域へと伝染していったのでしょう。

時代によって政治の中心は奈良、京都、鎌倉、江戸へと移り変わりましたが、ここでは京都として考えてみます。

ただ、その後に京都や大阪では「しんどい」という新しい言葉が生まれ中心地で広まりますが、自分の地元である福井県敦賀市には伝わらず、現代まで「えらい」という言葉が残り続けたという流れです。

水面に石を落としたときの波紋をイメージすると、わかりやすいかもしれませんね。

すべての方言がこの考え方だけで説明できるわけではありません。前述したように言葉の広がりには、交通路、人の移動、地域同士の交流なども関係するためです。

そのため現在では、方言周圏論だけですべての方言分布を説明するのは難しいとも考えられています。それでも、方言周圏論は「なぜ離れた地域に似た言葉が残っているのか」を考えるうえで、とてもわかりやすい視点を与えてくれました。

自分が日常的に使っていた「えらい」という言葉も、この考え方を通して見ることで、ただの地元の言葉ではなく、地域の歴史や言葉の広がりとつながっているように感じました。

結びに

方言について調べてみると、言葉は単なる伝達手段ではなく、その土地の歴史や暮らし、人の移動を反映してきたものだと感じます。

「えらい」という言葉も、どの地域で使われ、なぜ残ってきたのかをたどることで、その土地の位置づけや、言葉の広がり方が少し見えてきます。

方言は、標準語とは違う「間違った言葉」ではなく、地域の中で自然に育ってきた言葉です。普段何気なく使っている一言にも、歴史が詰まっているんだなと感じました。

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Kazuya Nakagawa