情報が飽和した今の時代、価値ある言葉を見つけるのはかつてないほど難しくなっています。
誰もが自由に発信できるようになった一方、「何を信じればいいのか」「どの声に耳を傾けるべきか」といった判断はどんどん複雑になっています。
多くの企業もまた、その渦中にいます。
製品やサービスの魅力を伝えようと努力しているものの、SEOやバズを意識するあまり、テンプレートのような情報ばかりが量産されてしまう。「想い」や「背景」といった企業ならではの文脈は、目先の数値指標に埋もれ、誰の記憶にも残らないまま消えていく。そんな場面に、私たちは何度も立ち会ってきました。
例えばよく見かける「◯◯とは?」「おすすめ◯選」といったまとめ記事。時として便利ではありますが、そこに企業独自の哲学や価値観が映し出されていることはそう多くありません。
情報としては有用でも、関係性としては一過性。いわば「消費される言葉」です。
では、どうすれば「長く残る言葉」にできるのか。企業にとっての言葉を、文化や資産として育てていくにはどうしたらいいのか。
私たちが考えるのは「編集」という視点の必要性です。
自分たちの活動を見つめ直し、何を大切にしているのかを言語化すること。そしてそれを、誰かに届く形で組み立てること。企業の哲学と社会の共感をつなぐ橋をかけること。それが、企業における編集の役割ではないかと思うのです。
私たちは「伴走型社外編集部」的な立場から、こうした問いに向き合いながら企業の言葉に向き合ってきました。
その経験の中で感じたことを言葉にしてみたいと思います。
「哲学」と「共感」をつなぐ技術としての「企業における編集」
かつて「編集」は出版社やメディアに属する専門職的なものでした。しかし現代では、その役割が徐々に、しかし確実に拡張しています。
企業活動が情報の発信を迫られる時代において、単なる広報や宣伝では伝えきれない「何か」を捉えなくてはなりません。
その「何か」とは、おそらく企業が世界とどう向き合うかという「姿勢」、すなわち「哲学」だと思うのです。
何を信じ、何を大切にし、どんな未来を描き、どのような価値を社会と共有しようとしているのか。こうした企業の内的な軸を、他者の共感へとつなげるには、その表現の仕方、すなわち「どう語るか」が大切です。
ここで必要とされるのが「編集」という技術です。
企業における編集とは、記事をただ作ることでも、情報を並べ直すことでもありません。
むしろ、企業の内側に沈殿している思考や感性、たとえば創業の背景、ものづくりに込めた想い、判断の背後にある価値観、あるいは声にならなかった葛藤といった、まだ言葉になっていない断片に光を当て、それらを意味のある形へと丁寧に組み直していくことです。
誰にどう思われたいかを考える前に、まず「自分たちは何者なのか」を問い直す。そうして深めた自己理解を、他者と対話可能な言葉へと翻訳し、外部にひらいていく。それは編集の役割でもあり、共感の土壌を耕すための準備でもあります。
商品やサービスの魅力を一方的に伝えるのではなく、その根底にある思想や美意識までを含めて発信すること。
それは、単なるプロモーションではなく、「語ることによって存在を問い直す」ということです。編集は、企業の輪郭を内側から掘り出し、その言葉に呼応する社会との接点をつくり出そうとします。
そうした編集を通じてはじめて、企業の言葉は「広告」から「対話」へと変わるのだと思うのです。
目先の話題や流行に追従するのではなく、長期的な信頼と関係性を築いていくために、自分たちの言葉を持つ。その言葉を構築するための技術こそが、「企業における編集」だと考えています。
なぜ今、企業に「編集者」が必要なのか
「なんだか、うちの会社の良さがうまく伝わっていない気がする」
「こんなにいい商品なのに、どうして誰にも響かないのか」
「記事制作は外注しているけれど、どうしても“まとめ記事”みたいになってしまう」
私たちはこれまで、本当に多くの企業から、こうした声を聞いてきました。
「企業が伝えたいこと」と「相手に伝わること」。この二つが微妙に、しかし決定的にずれているとどれほど丁寧に発信しても、言葉は届きません。結果として、伝えたかったはずの本質が不確かになり、発信は徒労に終わってしまいます。
そうなれば、時間も費用も、つまりは経営資源が無駄になってしまいます。
企業が大切にしてきた哲学や歴史、込められた想いが、誰の心にも届かないまま埋もれていく。そして時には、せっかく世に送り出した商品やサービスが、誰にも知られることなく消えていく。
それはとても悲しいことです。
この「伝えたかったはずのもの」と「伝わっている現実」との非対称性を、丁寧に整えていく役割に編集者は立ちます。
企業の内側にいると、当然のように共有されている想いや文脈があります。
そこには、その企業ならではの正しさや情熱が確かに息づいているものです。でも、その言葉が社会の中でどう受け取られているのか、そもそも通じる言語で語られているのかなど、そんな疑問は案外見落とされがちです。
これは、とてももったいないことです。
だからこそ必要なのが、編集者という第三者の視点なのだと思うのです。
この編集者像は、企業の想いや活動を単に「言葉」にするだけではありません。
それだけではただのインタビューコンテンツ、活動報告レポートになってしまいます。
そうではなく、企業の内側と社会のあいだに立ち「伝えたいこと」と「知りたいこと」、「語りたい背景」と「求められている意味」など、様々な両輪を接続するための「構造の翻訳者」としての編集者でありたいものです。
編集は記事を書く仕事ではない
「編集って、記事を書く仕事でしょ?」と聞かれることが、今でもよくあります。たしかに一部はその通りです。私たちも記事をたくさん書きますし、実際に「文章」としてアウトプットされる場面も非常に多いです。
けれど、編集の本質はそこにはありません。
私たちは「情報をつくる」という目的のために記事を書くのであって「記事を書くこと自体」が編集なのではないと考えています。
情報を生み出すためには、まず「深い対話」が、もしくは「深い思考」が必要です。誰かの内側にある、まだ形になっていない思考や感情と向き合い、それを言葉にしていくプロセスが求められます。
その意味では、編集とは半分は対話であり、もう半分が制作であるという感覚に近いかもしれません。
つまり「企業における編集」とは、記事を書くことそのものではなく、対話の準備をし、言葉を引き出す場を設け、そのやりとりを通じて本質を見極め、最終的に社会に伝わる構造へと整えていく仕事です。
それは単なるリサーチや文字起こし、テンプレートに沿った記事執筆とは異なります。それらは今やAIでもある程度こなせるようになってきましたね。
けれど、人と人との対話の中でしか立ち上がらない言葉があると思うんです。
ゆらぎながら出てくる本音、刺さるひとこと、ためらいとともに漏れ出る真実など、そうした「生の言葉」には、他に代えがたい価値があります。
そんなまだ不完全でいびつなその言葉たちに寄り添い、意味を整理し、語順を整え、届くかたちへと磨いていくこと。それが、編集の仕事のひとつです。
編集とは、人の内側から立ち上がる言葉に耳を澄ませ、それを丁寧に「社会とつながる情報」に変えていく行為でもあります。そのような仕事を、私たちは日々続けています。
「外部にいる編集者」からこそできること
「社内に編集部があれば済む話じゃないの?」
そんな声をいただくことがあります。たしかにその通りです。
編集的な視点を持ち、社内の言葉を丁寧にすくい上げることができるメンバーが社内にいれば、それがいちばん健全な形かもしれません。
けれど実際には、それがなかなか難しい。
まず、組織の中に編集という視点を持った人材が常駐している企業は、まだそれほど多くありません。そして仮に広報や企画部門がその役割を担おうとしても、言葉を見つけ、構造化し、外に伝わるかたちへと仕立てるには、相応の技術と経験が必要です。
語りたいことは山ほどあるのに、それをどう整理し、どこから語り始めればいいのかが見えない。そんな声をよく聞きます。
さらに言えば、大企業であればあるほど、経営者や事業責任者との距離は遠くなりがちです。その距離のせいで、現場が本当に語るべきことに触れられなかったり、言葉の熱量が失われたりしてしまうのです。
そして、社内で言葉を編集しようとすると、どうしても「虚栄」が混じってしまうことがあります。見栄やポジショントークが知らず知らずのうちに入り込み、実態とかけ離れたメッセージが発信されてしまうことも珍しくありません。そうなると、かえって組織内で反発が生まれたり、採用面でもミスマッチが起きてしまうのです。
「記事では大きなこと言ってるけど、うちの会社全然そんなことないんだけど」「記事を見て入社したけど、内容と実態がまったく違った」としてモチベーションが低下してり、早期離職につながるケースも実際に何度も目にしました。
それだけではありません。
「社長にこう書けと言われた」「数字を良く見せるよう指示された」そんな話を聞いたこともあります。
このような話を聞くと、社内だからこその限界を感じます。
早い話が、編集部を内製化することが、かえって企業の透明性や信頼性を損ねるリスクになることもあるのです。
だからこそ、私たちのような「外部にいる」編集者の視点が必要なのだと思います。
私たちのような社外の人間だからこそ「社内のこと」に一歩踏み込めますし、「社外の人たちだから」話せることもあります。
一緒に悩み、考え、言葉にならなかった想いを掘り出していく。そしてそれを、無理に美化することなく、等身大の文脈に落とし込みながら、社会に届くかたちに整えていくことができます。
実はここにも、社外編集者の価値があると思うのです。
社外の人間だからこそ、利害関係にとらわれず、縦横の関係を超えて現場の声を拾うことができる。企業の中であたりまえになりすぎていた魅力を再発見し、その企業らしさを客観的な視点から言葉にすることができる。私たちはそう感じています。
企業が編集という存在を迎え入れることは、広報やマーケティングの延長線ではなく「自分たちは何者で、何を大切にしているのか」を見つめ直すための文化的装置を持つということなのだと考えています。
編集とは「思想の記録係」であると同時に、「組織の対話装置」でもあるのだと思うのです。
思考のパートナーとしての「伴走型社外編集部」の在り方
先に述べたように、「外部にいるからこそ」聞ける声、見える景色があります。
私たちは自らを単なる記事制作の「請負人」ではなく、企業や個人の思想と社会とをつなぐ「伴走者の社外編集部」として位置づけています。
単なる制作代行とは一線を画す関わり方でありたいと考えているためです。
外部の立場にいながら、クライアントの内部に深く入り込む。その企業が何を信じ、どのような価値観を大切にしてきたのか。長く語られてこなかった歴史や姿勢を掘り起こし、それを言葉として構造化し、社会に届ける。そんな編集のあり方を、私たちは目指しています。
それはつまり、「思考のパートナー」として企業の内面とともに考えることでもあります。
言葉を整えることは、思考を整えることでもあります。
対話を重ね、輪郭のぼやけた言葉を磨き直し、ときにその背景にある「世界の見方」そのものに目を向けることが重要だと思うのです。編集とは、言葉だけを扱う作業ではなく、思考の再編集でもあると、私たちは考えています。
私たちはお客様やその業界に関連する書籍を読み込み、その企業が社会のなかでどのような文脈に置かれているのか、どんな思想的立ち位置にあるのかを丁寧に探ります。そして、「なぜこの言葉を使っているのか」「誰が語ると最もリアリティがあるのか」といった質問を交わすなかで、徐々に言葉の本来の輪郭を浮かび上がらせていきます。
そのような編集性は、一時的な制作プロジェクトではなく、企業の思考を支える長期的なパートナーシップとしてこそ成立するものです。
ブランドの語り口、立てるべき問いの質、社会に向けた眼差し。そうした根幹に関わる部分まで一緒に設計できたとき、はじめて「ただの情報」ではなく、「残る言葉」が生まれていくという実感があります。
そうした言葉を社会へと編み出していくこと。それが、私たち「伴走型社外編集部」の役割だと考えています。
企業の正しい発信力のために、正しく情報を作る力を
情報が過剰にあふれ真偽の見分けがつきにくくなった現代において、企業の発信は二重の責任を伴います。
ひとつは「社会に対して誠実であること」。もうひとつは「自らを誤解なく伝えること」。この二つを支えるのが、「正しく情報を作る力」だと思います。
ここで言う「正しさ」とは、単なる事実の羅列ではありません。
それは、情報の背後にある価値判断や文脈を含めた「意味の設計」に近いものです。誰に向けて、どのような前提のもとで、何をどう伝えるべきか。その判断を自律的に行う力が、情報の「質」を決定づけます。
多くの企業が発信に課題を感じるのは、発信手段を整える前に「そもそも何を語るべきか」が言語化されていないからです。SNSやウェブサイト、プレスリリースといった手段が整っていても、そこで語られる内容が薄ければ、それはただの「テキスト情報の拡散」でしかありません。
正しい発信力とは、企業が自らの輪郭を内側から掘り出し、それを他者の理解に耐えうるかたちで共有する力です。言い換えれば、「わかってもらうために、まず自分たちが何者かをわかっておく」という自己認識の深度が、すべての情報設計の起点になります。
そのためには、単なるコピーライティングやマーケティングでは届かない、言葉の編集が必要です。事実をどう扱うか、語り口にどのような倫理性を帯びさせるか。無意識の語弊や過剰な演出を避けながらも、企業の本質を率直に伝える文体を選び取る。これはまさに「正しくつくる」ための技術であり、慎重さと創造性を要する仕事です。
「誤解されないために、飾らない。しかし、伝わらないままでいることもまた不誠実である。」そんな微妙な均衡を保ちつつ、企業と社会を結ぶ情報の「かたち」をつくる。それが、今求められている編集的力だと私たちは考えています
結びに:「企業における編集」の役割とは「未来に言葉を残す」こと
企業における編集とは、単に記事を書くことではありません。それは、企業の思想にかたちを与え、社会とのあいだに橋をかける、文化的な技術だと私たちは考えています。
今や情報を「書く」こと自体は、誰にでもできる時代になりました。
検索すればある程度の情報は手に入り、AIを使えばそれらしく整った文章もすぐに出力できます。
しかし「残る言葉」を紡げる企業は、そう多くありません。
この時代に必要なのは、企業の言葉を未来へ手渡すという視点です。そして、その想いに伴走する編集者には「書く技術」だけでなく、「言葉に哲学を宿す覚悟」が求められるのだと思います。
記事は読まれるためだけに存在するものではありません。
「誰が、なぜ、どんなまなざしで語ったか」が刻まれていてこそ、言葉に血が通います。そのような文脈のある言葉は、読み手にとっての信頼の根拠となり、企業の「語り口」として定着していく。そしてそれが、やがて企業やブランドの文化そのものへと育っていくのです。
私たちが目指すのは、一時的に消費されて終わる記事ではありません。
何度も読み返され、会議の場で引用され、ときに企業の価値観を確認し直すための「指針」となるような「使える言葉」「残る言葉」が生きた記事です。
問いながら書き、書きながら考え、考えながら未来へと手渡していく。そのプロセスのなかで生まれる言葉だけが、人の心を静かに揺らし、「この会社と仕事がしたい」「この考え方に共鳴する」といった新たな出会いを生んでいくのだと、私たちは信じています。
そのような言葉を、企業とともに編んでいきたいと考えています。
企業における編集とは、組織が自らの思想を育て、関係を深め、文化を築いていくための営みに他なりません。その営みに、私たちは誠実に伴走しつづけたいと願っています。