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2025年読んでよかった本 TOP5

最近、あまり従来の「読書録コンテンツ」を投稿できていませんでした…読書そのものはずっと続けているんですが…

年の瀬ということで、読書録企画の延長線上で、「今年読んでとてもよかった本」を振り返ってみることにしました。

いざ振り返ってみると、今年の読書はかなりジャンルがバラバラでした。小難しい本があったり実務的な本があったり。

たくさん読んだ本の中から印象に残っている本トップ5を考えてみました。

弊社では珍しく、たぶん初めてのランキング形式コンテンツです。

順位をつけるのは正直かなり悩みましたが「今年の自分に影響を与えた順」という観点で並べています。

まあざっくり言えばあくまでその時の自分に刺さった順ですね。

では早速。

第五位 『取材・執筆・推敲――書く人の教科書』古賀史健 著

もしライティングや編集の領域だけでランキングを作るなら、ぶっちぎりで一位だったと思います。

それくらい、線を引く言葉が多かった本です。技術書というより姿勢の本でした。

「ライターもなにかを「つくって」いる。書くことは、その手段でしかない。」

「既知の情報だけで構成された原稿は、なんら本質的な価値を持ちえないと考えよう。読者はいつも「出会い」を求め、「発見」を求めているのだ。」

書き手は、ちゃんと仮説を立てろ。読者としての自分を鍛えろ。そんなメッセージの数々にかなり打ちのめされました。

これまで「どうすればもっと上手く書けるか」ばかり考えてきた自分に対して、「そうじゃなくて、君はそもそもいい文章を見抜く目はあるのか?」と問い返された気がしました。そして、恥ずかしながらこの問いをこれまであまり真剣に考えてこなかった気がします。

読者としてのレベルが低ければ自分の書いた文章の良し悪しを判断することもできません。

当たり前の話ですが、言われてみて初めて腹落ちしました。

この本に出会ってからというもの、文章を書くときだけでなく、本を読むときの姿勢そのものが変わったように思います。

たまに「本、全然読まないんですよね」と言う書き手に出会いますが、そのような方々はどうやって自己研鑽しているのか、正直とても不思議でなりません。

第四位 『人生の短さについて』セネカ 著

37歳になる年までなんでこの本を手に取ってこなかったのか…

自分を本当に情けなく思わせてくれる一冊でした。が、同時に、「今このタイミングで読めてよかった」とも思っています。前向きです。

「多忙な人間が何よりもなおざりにしているのが、生きるという、最も学びがたい学問です。それ以外の学問なら、教えられる人間はいくらでもいるでしょう。」

「生きることは一生をかけて学ぶもの。」

WEBのこと、経営のこと、戦略のこと、役に立つ知識、今すぐ必要なスキルなどなどを日々追いかけること自体は悪くありません。

むしろ、仕事をしていれば当然のことです。

しかしその一方で自分の人生についてはどこまで考えていたことやら…

「君さ、自分の人生にはちゃんと向き合っているの?」と叱られたような気分になった本です。

目の前の“今すぐ役に立つ勉強”ばかりしていると、人生から豊かさが抜け落ちていく。私たちは「仕事の学び」には貪欲なのに、「生き方の学び」には驚くほど無頓着です。

でも、周りを見渡すと、魅力的な大人ほど例外なく教養が深いような気がしませんか?古典や歴史が好きで、人生について考えることを楽しんでいるように私には見えるんです。

人生への造詣が深い人ほど、判断に奥行きがあり、他者に対しても寛容で、結果的に仕事もうまくいっているように思えます。

自分の人生をちゃんと学ぼうと、そう決めさせてくれた一冊でした。

第三位 『子育てのきほん』佐々木正美 著

この本は、福祉業界のお客様に勧めていただいた一冊でした。

私自身が二児の父ということもあり、子育てについて考えることは日常的にあります。が、正直、ここまで刺さるとは思っていませんでした。

児童精神科医である佐々木正美さんの言葉は、驚くほどシンプルで、優しい文体なのですが驚くほど厳しいんです。

下手な組織論や人間関係の本を読むよりこの本を読んだ方がいいです。絶対。

「喜びを分かち合う力を育てるということは、子供が喜ぶことをしてあげる、ということ」

「関わらなくて悪いことはあるが、関わりすぎて悪いことはない」

親が望む子どもに育てるのではなく、子どもが望む親になれというメッセージが至る所に登場してくるように感じました。

この本に出てくる考え方は子育てに限らず、仕事でも、組織でも、あらゆる人間関係に通じる話だと思うんですよね。

人間関係の本質は、相手を操作することではなく相手の世界に立って考え続けることなのかもしれません。

そういった意味では利他の心の重要性を改めて認識させてくれた本でもあります。

第二位 『知的生産の技術』梅棹忠夫 著

この本に出会ったのは、「編集って何なんだろう」と悩んでいた頃。

情報を集めて、組み合わせて、構造をつくって…などなどの一連が編集の仕事だということは、頭では理解していました。

でも、どこかで「それって本当に価値を生んでいるのかな」という疑問が消えなかったのも事実です。

そんなときに、千夜千冊だったか、松岡正剛さんのどこかの文章で紹介されていたのをきっかけに、半ば答えを探すような気持ちで手に取りました。

「知的生産とは、知的情報の生産であるといった。既存の、あるいは新規の、さまざまな情報をもとにして、それに、それぞれの人間の知的情報処理能力を作用させて、そこにあたらしい情報を作り出す作業なのである。 それは、単に一定の知識をもとでにしたルーティン・ワーク以上のものである。そこには、多少ともつねにあらたなる創造の要素がある。知的生産とは、かんがえることによる生産である。」

「知的生産の技術において、いちばんかんじんな点はなにかといえば、おそらくは、それについて、いろいろとかんがえてみること、そして、それを実行してみることだろう。 たえざる自己変革と自己訓練が必要なのである。」

殴られたような衝撃でした。

編集には「既存のものを組み合わせ、形を変える」という業務上の特性があることは理解していたつもりでしたが、なんだか小手先感をずっと感じていたんです。

編集という行為が、単なる加工や二次利用ではなく、れっきとした「生産」だと定義されたことで、肩の力が抜けたのを覚えています。様々な情報に対して編集的作業を加える仕事、それそのものを「知的生産」として捉えた視点に本当に救われた気がします。

だから自己研鑽が必要なんだと強く感じましたし、考え続け、試し続け、自己変革し続けること自体が仕事なんだと、自信をもらえました。

「編集は才能の問題ではなくて、日々、どれだけ思考に向き合っているかの問題だよ」と言ってもらえた気がするんです(気のせいかもしれませんが)。

考え続けることそのものが私たちの仕事であり、そこにこそ価値があるのだと、強く背中を押してくれる一冊でした。

第一位 『学問のすゝめ』福沢諭吉 著

すいませんベタな一位で…

言志四録、十七条憲法、中空構造日本の深層、風姿花伝も頭をよぎりましたが、今年の一位はやはりこの本でした。

言わずと知れた大名著ですが、正直に申し上げますと、今年までこの本をちゃんと読んだことがなかったんですよね。読書好きとしては、相当失格です。

「賢い人と愚かな人との違いは、学ぶか学ばないかによってできるものなのだ。」

「人間の見識、品格を高めるにはどうしたらいいのだろうか。その要点は、 物事のようすを比較して、上を目指し、決して自己満足しないようにすることである。」

全編、というか全文章があまりにもストレートで、私のような自堕落な人間には逃げ場が一切用意されていません。一瞬でコーナーに追い込まれてひたすら殴られ続けるような体験ができる素敵な本です。

今年の自分のテーマは「学習」だったのですが、この本はそれを真正面から肯定してくれるものの、同時に厳しく指摘もしてくれます。

仕事のための勉強、経営のための学び、いろいろなことに取り組んできましたが、この本はそれらを根本から問い直してきます。

福沢諭吉が語っている学問は、単なる知識の獲得以上に、人間としての見識や品格をどう高めるか、社会の中でどう自立して生きるか、そのための土台としての学問だと思うんです。

全然できてないんですよ自分。読んでいて普通に凹むんですよね。至らなさを、鋭利な言葉で何度も突き刺されるような感じ。「すいません…」って本当に何度か呟きました。

でも逆に「じゃあ学ぶしかないよな!」と前向きな気持ちにもなりました。

この本が書かれたのは明治初期。長い鎖国を終え、日本が世界と向き合わざるを得なくなった時代です。どんな時代だったんでしょうね。その中で、学問こそが国を支えると説いたこの熱量は、今読んでもまったく古びていません。

むしろ、現代のほうが学ぶ熱量を失っているのではないか、そんなことすら考えさせられます。

賢い人と愚かな人の違いは、学ぶか、学ばないか。

ここまで言われたら、もう学ぶしかないですよね。

今年の自分の背中を、いちばん強く押してくれた一冊でした。

番外編 『ヒュプネロートマキア・ポリフィリ(ポリフィルス狂恋夢)』 フランチェスコ・コロンナ 著

最後に番外編を。番外編も迷いました。

1984、ノートルダム・ド・パリ、美味礼讃あたりも結構衝撃的だったんですが、今年読んだ本の中で、もっとも衝撃的だった本がこれです。

ヒュプネロートマキア・ポリフィリ。通称『ポリフィルス狂恋夢』。タイトルの時点ですでに、こちらを振り落としにきていますね。訳がわからない本でした。

全800ページを超え、文章は奇怪で、過剰で、執拗。

本来はラテン語由来のイタリア語をベースに、ラテン語やギリシャ語の造語が大量に混ざり込んだ文章で書かれているとのこと。それを日本語に訳しているわけですから、そりゃあ素直に読めるはずがありません。

建築、彫刻、植物、神話、寓意。とにかく描写が細かく、一文が異様に長く、意味が掴めたと思った瞬間に、また遠ざかっていくような感じ。

「また見たこともないような中太のコリント式円柱の造形と薄彫り、またその対称性およびその重厚な装飾には正確に人体の均衡比率が採用され、巧妙に人の理拠が生かされていました。その大重量の指示には頑健な脚部の平面配置を要し、それが矮小は円柱軍で調整実現され、これに装飾として繊細なコリント式およびイオニア式に円柱群が付され、建造物の調和的要請から全ての部分の優美が構成されているのでした。」

美しいけれど、よくわからない。理解しようとすればするほど、逃げていく。

この本は「意味を読む本」ではないのかもしれません。

情報を摂取する読書ではなく、体験として浴びる読書として楽しませてもらいました。

今年は「学ぶ」「考える」「編集する」といった本を多く読みましたが、この一冊だけは明確に異質でした。

役に立つわけでも、分かりやすい示唆があるわけでもありません。

でもなんだか残るんです。「わからなさを、そのまま引き受ける」という体験は、思っている以上に贅沢なのかもしれません。

今年の読書体験の中で、いちばん奇妙で、ある意味いちばん記憶に残る一冊でした。

人生で読んだ本にランキングをつけるとしたら、番外編としてやはりこの本が出てくるでしょうね。それほどまでに、異様で、狂気的で、美しく、そして難解な一冊でした。

今年の読書を振り返って

何冊読んだかは、正直もう分かりません。ただ、今年もたくさん本を読みました。

振り返ってみると、今年手に取った本の多くは、「どう働くか」や「どう成果を出すか」よりも、「どう生きるか」「どう考えるか」に近いところにありました。

テーマは違っても、どの本も最終的には「自分の頭で考え続けているかを問う」という一点に集約されていたように思います。

会社では読書録という企画をやっているものの、最近はなかなか続けられていません。そこは反省点です(本はずっと読んでいたのですが…)。

読書は、効率のいい自己投資でもなければ、すぐに成果が見える学習でもありません。

しかし確実に人生を豊かにしてくれます。この感覚だけは、年々はっきりしてきています。

来年は、どんな本と出会えるのか、今から楽しみです、

その前に、買ったまま積まれている本たちとちゃんと向き合わなければいけませんが。

それも含めて、また本を読む一年にしたいと思います。

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Kentaro Matsuoka