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秋を味わう落語の世界

夏の暑さが和らぎ、澄んだ空気とともに訪れる秋。

紅葉に染まる山々や澄んだ夜空、実り豊かな収穫物が街や食卓を彩り、五感で楽しめる季節です。「食欲の秋」「読書の秋」「スポーツの秋」といった言葉に象徴されるように、古くから日本人は秋を多様に味わってきました。

落語の世界もまた、四季折々の風情を映し出してきました。そして秋を題材にした噺が数多く残されています。そこには庶民の暮らしぶりとともに、人間の滑稽さや愛らしさがにじみ出ています。

今回は、秋の情緒を感じられる古典落語をいくつかお届けします。

目黒のさんま:秋の味覚と庶民文化

「目黒のさんま」は、秋の味覚をテーマにした古典落語の代表作です。

物語の舞台は江戸時代。ある殿様が家臣を従えて目黒へ狩りに出かけた際、狩りの後にお腹をすかせた殿様が「何か食べ物はないか」と命じます。そこで家臣が用意したのは、庶民に人気の魚「さんま」でした。

香ばしい煙を上げて焼かれたさんまを口にした殿様は、その美味しさに感動し「こんなに旨いものがあったのか!」と感銘を受けます。

しかし城に戻ると、医者から「脂が強くて身体に悪い」としてさんまを禁じられてしまいます。殿様は不満を募らせつつも、どうしてももう一度食べたいと願います。そこで家臣は、目黒から取り寄せたさんまを、最高の贅を尽くして骨も脂も丁寧に取り除いて献上します。

けれども、その調理法では庶民が食べていたあの香ばしい旨味が失われており、殿様は落胆。思わず「いや、さんまは目黒に限る」とつぶやくのです。

この噺は、秋の味覚の代表であるさんまの美味しさと、素朴な庶民文化への憧れをコミカルに描いており、秋の落語を代表する演目として今も広く親しまれています。

野ざらし:秋の夜、風情とユーモアの交錯

「野ざらし」は古典落語の代表的な演目のひとつで、上方では「骨釣り」とも呼ばれます。その起源は中国明代の笑話集「笑府」にまで遡り、江戸では二代目林家正蔵が取り入れ、のちに三遊亭圓遊が滑稽噺として改作したといわれています。

始まりは長屋住まいの八五郎が、隣人の浪人・尾形清十郎の部屋から女の声を耳にすることから始まります。

女嫌いで知られる清十郎がなぜ女を連れ込んでいるのかと不思議に思い、翌朝問いただすと、清十郎はこう語ります。「向島で釣りをした帰り、野ざらしの白骨を見つけた。哀れに思って酒を供え、句を詠んだら、その幽霊が礼に現れたのだ」と。

八五郎は面白がり、自分も酒を持って出かけますが、現地では釣り人の群れを幽霊と見間違えるなど、妄想と現実が入り混じる滑稽な場面が繰り広げられる展開です。

この噺は、多くの場合サゲ(オチ)まで語らず、途中で切る演じ方が一般的です。そのため、聴き手に余韻や妄想を委ねる構成となり、幽霊噺でありながら滑稽さと風情を併せ持ちます。

碁泥:秋の夜長を彩る知恵比べ

「碁泥(ごでい)」は、囲碁を題材にした古典落語で、上方では「碁打盗人(ごうちぬすと)」とも呼ばれます。

物語は、囲碁好きな二人の男から始まります。ある日、いつものように碁を打とうと片方の家を訪ねると、「もう家では囲碁はできない」と告げられます。

その理由は二人が碁を打ちながら煙草を吸い、畳に焼け焦げをいくつも作ったため、妻が火事を恐れて囲碁を禁じたのです。

それでも碁が打ちたい二人は、「煙草は別室で吸う」と約束して対局を再開。ところが二人は、熱中するあまりまた煙草に手を出してしまい、妻を呼びつけて小言を言われる始末。

そこへ一人の泥棒が忍び込みます。盗んだ品を風呂敷に包んで帰ろうとしますが、碁石を打つ音に惹かれて近づき、我慢できずに口を出してしまいます。二人は不審に思いながらも、碁に夢中で会話を続けます。

やがて三人で掛け合いを繰り広げるうちに、碁盤も勝負も泥仕合に。

まさに「碁泥」という題名通りのオチへとつながります。

芋俵:秋の実りと人情が織りなす噺

秋の落語には、実りや食べ物を題材にした噺が数多く残されています。「芋俵」もそのひとつで、秋の収穫物である芋俵をテーマに、盗賊の企みと与太郎のとぼけた振る舞いを描いた滑稽噺です。

物語は、二人の盗賊が有名なお店に忍び込む相談をする場面から始まります。芋俵に人を入れて店に預け、夜になったら中から出て閂(かんぬき)を外し、盗みに入る計画を立てます。俵に入る役として選ばれたのは、間の抜けた与太郎でした。

計画どおり店に俵は運ばれますが、運悪く小僧が俵を逆さまに置いてしまいます。中の与太郎は身動きできず、「逆さまで出られねえ」と困り果てたまま夜を迎えます。

やがて小僧と下女がやってきて、腹を満たそうと俵の中に手を突っ込みます。「生温かいな」「柔らかいぞ」と探るうちに、与太郎はくすぐったさに思わず声を上げ、最後には放屁してしまいます。その場は「気の早い芋だ」と片づけられ、噺は幕を下ろします。

この噺の面白さは与太郎のとぼけた受け答えと、言葉遊びのようなオチで古典落語らしい軽妙さを伝えてくれます。

結び

ここまで紹介した「目黒のさんま」「野ざらし」「碁泥」「芋俵」は、いずれも秋の情緒を映し出す落語です。旬の味覚を楽しむ喜び、月夜の風情、収穫に感謝する心、そして夜長を彩る遊びや人情。それらは日本人が古くから大切にしてきた秋の文化と感覚そのものです。

落語の魅力は、同じ演目でも噺家によって解釈や表現が大きく異なる点にあります。しっとりと秋の情緒を描く人もいれば、庶民の滑稽さを強調する人もいます。その違いを聴き比べるのも、落語ならではの楽しみです。

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Kazuya Nakagawa