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燃え尽きるように生きた、坂口安吾という人間のこと。神奈川近代文学館を訪れて

神奈川近代文学館で開催されている「没後70年 坂口安吾展」を訪れました。

正直、私はこれまで安吾について詳しく知っていたわけではありません。『堕落論』や小説『白痴』を授業で読んだ程度で、とにかく破天荒、時に不道徳な作家という印象しかなかったのです。

けれど展示を見ながら、「狂気」と呼ばれるその生き方の裏側には、時代の荒波のなかで自分を見失うまいとする彼なりの“必死さ”があったのではないかと思いました。

安吾が生きた時代、そして彼が闘った「書くこと」と「生きること」について、少し考えてみたいと思います。

荒れ狂う時代の中で、「書くこと」を選んだ人

安吾が作家として生きた時代は、まさに争いと混乱の連続でした。

第一次世界大戦、世界恐慌、太平洋戦争、そして敗戦。これまでの価値観が次々と崩れ落ち、人々の信じてきた「正しさ」が通用しなくなっていった時代です。そんな只中で、彼は「人間とは何か」「生きるとは何か」を真正面から書こうとしました。

彼の作品には、理想や秩序を求めるよりも、むしろ人間の弱さや矛盾にこそ真実があるという視線があります。その破天荒な生き様も、体制や倫理を否定したかったわけではなく、社会の外側から「人間らしさ」を見つめ直そうとした試みのように感じられます。

展示を見ていると、当時の文学界における「無頼派」という呼称も、彼らの孤立と必死の抵抗の象徴であったのかもしれません。

安吾は単に自由を求めたのではなく、時代の息苦しさに抗うために、あえて逸脱することを選んだ人だったのだと思います。

「闊病日記」と、壊れていく身体

展示の中でもとりわけ印象に残ったのが「闊病日記」でした。

「闊病日記」はその名の通り、中毒症状に苦しみながらも原稿の山に追われ、覚醒剤と睡眠薬を頼りに書き続けた記録です。

文面からは、筆を置くことができない焦燥と、身体が限界に近づいていることへの自覚の両方が滲んでいました。

作家としての使命感というよりも、書くことでしか自分を保てなかったのではないか。その狂気じみた集中は、破滅への疾走でもあり、同時に生きるための唯一の手段だったようにも思います。

「生きる」と「書く」がほとんど同義だった人。書くことが止まれば、自分も消えてしまうような感覚。そうした危うさの上に立っていたからこそ、彼の文章には異様な熱が宿っているのだと感じました。

無頼派という名の孤独

坂口安吾は、太宰治や織田作之助と並んで「無頼派」と呼ばれました。

無頼派とはその呼び名の通り、既存の価値観を壊しながら、自らの感情や弱さをさらけ出して書くことに徹した人たちです。

安吾のしたためた『堕落論』は、まさにその象徴のような作品です。

堕落を肯定するというよりも、「人は完璧ではない」という前提に立つことで、初めて真に生きられるのだと説いている。彼の文章を読み返してみると、不道徳でも挑発的でもなく、むしろどこか優しいのです。

人間の弱さを突き放すのではなく、「それでもいい」「それがむしろ人間らしさである」と受け止めようとする眼差し。

この“肯定の哲学”が、破天荒な印象の裏にある安吾の本質なのかもしれないと思いました。

狂おしいほどに向き合うこと

少しアナロジーが過ぎるかもしれませんが、展示を見ながら、デザインやものづくりの仕事にも通じる部分を感じました。

安吾のほどと形容するのはいささか烏滸がましいかもしれません。ですが私も何かに憑かれたように仕事に打ち込む瞬間があります。理屈ではなく、衝動で動いてしまうような時間です。

そしてその衝動的な没頭は、決して効率的とは言えません。それが時に自分を追い詰めることもよくあります。

しかし、そこにしか届かない熱があるのも確かです。

安吾の「狂気」は、単なる破滅ではなく、表現に対する徹底的な誠実さだったのではないかと思います。

彼のように生きることは到底できないけれど、あの熱をほんの少しでも分けてもらうような気持ちで、会場を後にしました。

30を過ぎても未だ何者にもなれない私ですが、安吾という人の生の輪郭に触れ、少しだけ、書くことやつくることの意味を改めて見直すことができたような気がします。

焦りでも虚勢でもなく、「それでも続けていこう」と思えるくらいの、熱を胸に。

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Ryota Kobayashi