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「AIと共に働く」って何だろう。

昨今、AIの進化が本当に止まるところを知りません…。

その性能は日々向上し、今や文章作成も設計も分析も、一定水準以上のアウトプットを瞬時に提示してくれます。

弊社でも機密性の高い内容を除き、メンバー全員が積極的にAIを活用しています。上申さえすれば、上位プランの契約も検討されるくらいには、社内の理解も進んでいることは確かです。

私自身もChatGPTやClaudeを日常的に使い、その恩恵を強く感じます。正直に言えば、自分が行っている基本的な「作業」の多くは、既に代替可能なものばかりです。

本当に便利な時代になったな…と思う反面、少しだけ怖さもあります。

ここでいう怖さというのは、AIに代替されてしまい職を失うことで「根無草・小林時代に回帰する恐怖」ではありません。「AIを使う自分の姿勢」そのものが、自分自身の思考を痩せさせ、共存ではなく依存関係になってしまいかねない、という恐怖です。

強力なツールであるからこそ、今後仕事を進める上でAIと私はどのように向き合っていくべきなのか。自戒を込めて、もう一度考えてみようと思います。

理解していない領域への態度

自分の既知の領域や専門領域であれば、AIに対してフィードバックをする形で向き合うことができると思います。

「ここは違う」「もう少しこうした方がいい」、といった具合にAIの出力をそのまま受け取るのではなく、修正し、補正し、精度を上げていくことができます。自分の専門領域をさらにブラッシュアップする上で、AIは壁打ち相手として非常に優秀です。

一方で、自分の知らない領域では状況が全く変わります。

良し悪しや正誤を判断する物差しが自分の中にない場合、AIの回答に対して「なんだか正しそうなことを言っている気がする」と感じてしまうことがあります。

自分の中に基礎的な知識や経験則が存在しない段階でAIを頼ると、提示された回答以外に道標がない状態に陥りかねません。

右も左も分からない分野で、最もらしいことを言われ、それを盲信してしまいそうになる怖さがあります。

ひょっとすると、平均的な能力値の人間が自力で調査・分析した結果よりも、AIの方が精度が高いというケースもあるかもしれません。でもそれは結果論です。提示された情報が本当に正しいのか、価値があるのかどうかは、最終的に自分で精査しなければなりません。

お客様に提供するものであればなおさら、「多分大丈夫」という状態でお出しすることはできませんよね。

改めて痛感した、「基礎」の大切さ

AIとうまく対話しながら業務を遂行することは、今後必須になっていくと思います。AIを使えない人の方が少数派になる未来も、そう遠くないかもしれません。

実際、当初は一部のイノベーター気質の人が使っていたChatGPTも、今やITと無縁だった業界の方々やご高齢の方まで幅広い層の間で利用されている話をよく耳にします。

一方で、「日常で使える」という話と、「業務で使える」という話はまったく別だと感じています。

業務において、成果物に対する責任は常に私たち人間にあります。

AIが示した回答が間違っていなかったとしても、それが個別ケースにおいて「最適」とは限りません。その場合、改めて条件を整理し、最適解を模索し、判断し、決定するのは私たちです。

プロとしてAIを使うのであれば、単なる内容の正誤だけでなく、「それが最適かどうか」まで判断する責任があると考えています。正誤はともかく「最適かどうか」を判断する上での審美眼や経験則は、一朝一夕で身につくものではありません。

「知らないことは全部AIに聞けばいい」という姿勢ではなく、既知の領域をAIと壁打ちし、さらに精度を高めていくこと。そのために必要な基礎知識を丁寧に磨いておくこと。それこそ、プロに求められるAI活用なのではないかと思うのです。

結局、AIとの「共存」って何だろう

AIに代替されるのではなく、共存することが大切だとよく言われます。IT系のメディアに掲載されている記事でもよく目にするキーワードですね。では、仕事におけるAIとの共存とは一体何なのでしょうか。(※主観が多く申し訳ありません)

未知の領域のアウトラインを確認する

まず一つ目は、未知の領域のアウトラインや手触りを確認することだと思います。

どのAIの回答結果末尾にも「正確性は保証されません」と記載されています。その前提に立った上で、未知の領域をざっくり俯瞰し、見通しを良くする。あくまで外観を掴むための道具として使うわけです。

「ああ、こういう構造なんだな」と全体像を理解したうえで、そこから自分の力で掘り下げる、といった使い方は非常に有効だと感じています。

既知の領域の精度をさらに高める

二つ目は、既知の領域の精度をさらに高めること。自分が深く知っていることをAIにぶつけ、今まで考えもしなかった新しい手段や視点を教えてもらう、という使い方です。

そして、それを自分で検証し、取り入れられるものは取り入れる。この往復によって、アウトプットの質は確実に上がります。

ただしいずれも、使い方を誤ると共存ではなく「依存」になってしまう場合もあります。

特に開発や実装の現場では、自分の知らないロジックが、理由は分からないけれど不思議な力が働いて正常に動いているように見えるという状態に、底知れぬ恐怖を感じる方も多いのではないでしょうか。

さらにエラーを貼り付けて解決策をもらい、理解できない修正版コードをそのままデプロイする。少なくとも、長期運用を前提とするなら、それは得策ではありません。

理解せず、検証もしない。その責任 = 負債は、いつか誰かが支払うことになると思います。

思考が痩せていかないように

AIは非常に強力な道具です。しかし道具は、使い手の姿勢次第で武器にもなれば負債にもなり得ます。

便利だから使う、速いから任せる、正しそうだから採用する。この積み重ねが、自分の思考を少しずつ痩せさせていないかは、常に意識する必要があると思うのです。

AIは答えを提示してくれますが、理解そのものを与えてくれるわけではありません。出力を読んで「なるほど」と感じることと、自分の言葉で説明できることの間には明確な差があります。その差を埋めないまま業務に組み込めば、判断の根拠が曖昧なものが積み上がっていきます。

効率化とは、少なくとも既知の領域において行われるべきだと私は思います。理解せず、検証せず、説明もできないけどうまくいっているものは、長期的には負債になってしまう可能性が高いからです。

AI時代に問われているのは、「どれだけ使えるか」ではなく、「どれだけ自分の思考を保てるか」かもしれないと最近思うようになりました。AIを活用すること自体に価値があるのではなく、活用した結果として自分の理解が深まり、判断の精度が上がっているかどうかが重要なのではないか、と。

借り物の知識を増やすのではなく、自分の中で再構成された知識を積み重ねること。その繰り返しによって、知識は負債ではなく資産になります。

AIを使うたびに、自分の思考が薄くなるのではなく、厚みを増している状態を保てるかどうかが、これからの分かれ目になると感じています。

さて、超特大ブーメランを投げてしまいました。戻ってくると致命傷を負ってしまいそうなので、そそくさと帰宅したいと思います。

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Ryota Kobayashi