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  • Kentaro Matsuoka

ウェブにおける「編集」の在り方、役割について

書籍、雑誌、新聞、音声、動画など、色々なシーンで編集という仕事が求められますが、私たちが生業としているデジタルの世界では編集者の役割は特にぼんやりしているように感じられます。

ウェブにおける「編集」とは一体何なのか。

この根源的な問いは、私の職能の核心に関わる永遠のテーマです。日々の実務の中で、常にこの問いと向き合いながら歩みを続けています。

ウェブサイトやオウンドメディア、時には雑誌の記事制作に携わる立場から、この職務領域における「編集という行為」について、日々の実務を通じた私の雑感を綴っていきたいと思います。

ウェブにおける編集者、その存在について

編集者とは何か。

この問いに対する答えは、人それぞれの経験や視座によって実に多様です。絶対的な解は存在しないのかもしれません。

しかし、私が考える編集者像に関して語弊を恐れず表現するならば「メディアの特性を深く理解し、真に価値ある情報の在り方を模索し、その実現に向けた具体的な手段を構築していく存在」です。

ただ記事を書く人、添削をする人、企画をする人、広報をする人というわけではなく、そのメディアにとって真に価値ある情報を創造するための全工程に携わる人。つまり、端的に言えば「特定のユーザーに対して価値ある情報群を構築するためのプロジェクトマネージャー」という立ち位置かなと。

昨今のウェブの世界において、編集という仕事が文章の添削役のような文脈で用いられることを頻繁に目にします。確かに、文章の可読性向上や、句読点の適切な配置、文末表現の統一性確保といった技術的側面も編集業務の極めて重要な一部です。しかし、これらの手法論のみに閉じてしまうことは編集という仕事の本質を矮小化してしまうような気がするのです。

それ以上に重要なのは、人々の歩みや成果、そこから得られる示唆を効果的に伝えるための「作品」を作り上げていくことなのではないかと。この「ものづくり」に対する誠実な姿勢なくして、編集という営みの本質に迫ることはできないというのが私の考えです。

プロジェクトマネージャーとしての編集者

編集とは「ある人、ある物事の歴史」を扱い、それを新たな文脈の中で再構築していく創造的な営みであると思うんです。

多種多様な要素を有機的に結びつけ、一つの価値ある物語として紡ぎ出していく。この重要な役割を担うからこそ、プロジェクトマネージャー的編集者には幅広い技術が求められます。

より深い興味をいかに喚起できるか。誰に取材し、何を参照すれば質の高い情報が得られるか。希少価値ある情報をどう盛り込むか。情報構造としての強度をどう担保するか。

などなど様々な問いに丁寧に、時に苛烈に向き合い、解を見出していく力が編集者に求められる技術であり、それはものづくりの精神そのものと言えます。

さらにその職務は実に広範な領域に及びます。

ごく一部だけ記載するならば、企画の立案、ライターとのすり合わせや伴走、関連資料の収集や整理、時には執筆や撮影など現場での実務を担うこともあります。また、読者としての率直なフィードバックの提供、デザイナーとの視覚表現の検討、営業、プロモーション戦略の構築、予算管理、数値分析まで、その責務は極めて多岐にわたります。

そして、プロジェクトを真にリードする編集者であり続けるために欠かせないのは、企画や作品を生み出し続けるに足る「疑問」と「問い」を持ち続けることであり、それらに対して常に能動的に学習する姿勢でしょう。

新しい発見への探究心を絶やさず、学び続けることができるか否か。それは編集者の最も重要な資質の一つだと考えています。

編集性のないメディアや記事の蔓延に対抗するために

私が軸足を置くウェブの世界では、本質的な意味での編集者との出会いはごく稀です。

ウェブサイトやメディア運営に関わる方の多くは「ウェブディレクター」「コンテンツディレクター」と呼ばれる実務者であり、特定業務の進行、データ分析、ルールハックには長けていても、編集性への本質的な向き合いは希薄なことが多い印象です。

彼らの仕事、スキルや経験、考え方を否定するつもりは全くありません。ただ、ウェブ業界は編集という行為をあまり求めていなかったように思います。

この編集性の軽視は、アクセス数至上主義のコンテンツや、安価な量産のみを是とするメディアの氾濫を招き、ウェブ上の情報は質的な退廃への一途を辿っています。

かつての私も、そんな「量」を重視する仕事に従事していました。盲目的にアクセス指標を追い求めていたことも、安価なキュレーション的記事を書いていたこともあります。

SEO戦略のための上位表示記事の模倣や、更新頻度維持のための量産記事制作を戦略的に選択すること、その心情は痛いほど理解できます。

しかし今では、真に価値ある情報の創出には編集という態度が不可欠だと思っています。

現代社会では、経済的価値が絶対的な指標となり、コンテンツまでもが往々にして販促ツールとして捉えられています。

日々変化するデジタル環境への迅速な対応、まるでそれのみが経済的成功の鍵とされるような、そんな空気が作り出したシステムがそうさせるのかもしれません。このシステムは不安定な基盤の上に更なる不安定さを重ねるように、脆弱性を抱えたまま今も進み続けています。その結果多くのメディアは大量の「編集なきコンテンツ」を生み出しました。

近視眼的、表層的なマーケティング文脈でばかり情報が消費され、時には検索順位の向上という命題までも課せられる。そのような状況下で生み出されるコンテンツの多くは編集なき態度を纏い、結果、情報たちは疲弊の一途を辿っているように見えます。

確かに、媒体によって求められる編集性は異なり、必ずしもすべてのコンテンツに編集的所作が求められているわけではありません。

しかし、読み手の心に響く、手触りのある情報を生み出すために丁寧に編集されたコンテンツには深い魅力があると感じます。必要最低限の情報を単に羅列しただけでは、記事としての重みは生まれず、知を繋ぐことはできないのだとも。

言葉の質感が軽視されがちな現代だからこそ、編集という態度は極めて重要だと思うんです。

「編集とは何か」という根源的な問いを追求し続けることは、デジタル時代における私たちの重要な責務なのかもしれません。

ある雑誌編集長のこと

極めて専門性の高い雑誌の編集長として大手出版社で長年活躍されている、そんな方とお仕事をご一緒した際の出来事です。

その方から学んだことは計り知れません。

毎月発行される多くの専門雑誌の膨大なページを埋める深遠な企画力、複数のウェブメディアを管理する細やかな進行管理力、必要なリソースの調達力、デザインの統括力、多様なライターの文章をメディアの文脈に翻訳する力、深い考察に満ちた文章力、チームメンバーへの謙虚な姿勢など、そこには、まさにプロジェクトマネジメントの真髄があったような気がします。

私の凡庸な思考では到底及ばないような、高度な編集業務を毎月遂行されているその編集長と会食をさせていただく機会がありました。その時に編集論をお伺いした際の言葉は、私の価値観を大きく揺さぶるものでした。

「編集者は何もできないからなるものだ。特定の何かに秀でたプロフェッショナルたちを取りまとめる指揮者のようなもの。指揮者は演奏者ではない。」

その方が編集者になりたての頃に上司から受け取ったというこの言葉は、私に深い衝撃を与えました。

私の目には、一流のリサーチャーであり、卓越したライターであり、深い知見を持つ知識人として映っていた、まさに「一流の演奏者」であるはずのその方が「自分は何もできない」と語る。

この謙虚さこそが、あらゆる情報を敬意を持って受容し、より良い形に昇華させることを可能にしている源泉なのかもしれないと感じたものです。

さらに特筆すべきは、業界で誰も挑戦しないような狂気的な施策を次々と実現する姿でした。

特に特集号における実に破天荒な企画は文字通り狂気と呼ぶにふさわしいもので、お手伝いさせていただいた際はその大変さに本当に頭が壊れるかと思うほどでした。

その狂気性について伺った際、「狂気こそ美しい」という言葉が返ってきました。

私自身、狂気の美学を大切にしているためその言葉に共感こそできましたが、その方の追求する狂気の次元の高さに自身の浅薄さを痛感させられたものです。

当時ウェブのみに生きてきた私たちの編集性が、いかに拙く及ばないものであったかを突きつけられたことを覚えています。

なお、ご紹介させていただいた内容はその方の編集論のほんのごく一部に過ぎません。編集という営みについて、その方はより深い洞察、哲学をお持ちでした。ここでお伝えできたのは私が感銘を受けた極めて断片的な一部分であり、その方の全容を語るものではないことを付け加えさせていただきます。

編集とは「人とは何か」に向き合う仕事なのかもしれない

編集という営みとその責任範囲は、メディアやコンテンツに携わる者として常に自覚的であるべきです。

編集者に課せられた本質的な責任とは「メディアの特性を深く理解した上で、より価値あるコンテンツを創造すること」であり、そのために「あらゆる知見と技能を駆使して情報を有機的に取りまとめ、メディアを通して知を繋ぎ、社会に新たな価値を生み出すこと」にあると考えています。

私は多くのメディアには「歴史を記録し、伝える」という重要な使命があると思っています。

だからこそ生半可な覚悟で編集という仕事に向き合いたくはありません。「伝える」という行為は、本来極めて重い責任を伴うものです。特定のメディアに言葉を刻むということは、文化や歴史を刻むことであると同時に、人の、そして人の心に向き合うことと同義だと捉えています。

「編集」とは単なる情報の整理や編纂を超えて、人や事象の本質的な価値を掘り起こす仕事なのかもしれません。

それは究極的には「人とは何か」を問い続けるような、そんな深い営みなのだと思っています。

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Kentaro Matsuoka