ショパンやリストの名前が語られるとき、シャルル=ヴァランタン・アルカン(1813-1888)の名前はしばしば忘れられています。
19世紀フランスが生んだこの天才ピアニスト兼作曲家は、同時代の巨匠たちに匹敵する非凡な才能を持ちながら、なぜか音楽史の影に隠れたままです。
個人的な意見ですが、知名度の差こそあれ、アルカンは紛れもない大作曲家だと確信しています。
忘れられたヴィルトゥオーソ
ショパンとリストが音楽史の巨匠として広く称えられている今日でも、アルカンの名前は音楽辞典の片隅に小さく記されるだけです。
他の大作曲家たちに引けを取らないくらい素晴らしい作品を世に残しているにも関わらず、長らく彼の名は音楽史の影にひっそりと身を潜めていました。
まず、アルカンは極度の内向的な性格で、公の場での演奏をほとんど行いませんでした。25歳の頃にはすでに表舞台から姿を消し、その後は隠遁生活を送っていたと言われています。
リストが華やかな演奏旅行で喝采を浴び、ショパンがサロンの寵児として注目を集めていた頃、アルカンは自らの音楽と対話する静かな日々を選んだのです。
加えて、彼の作品に宿る途方もない技術的難度も、認知を妨げる壁となりました。
演奏家たちにとって過度に高度な技術を要求したため、演奏される機会が限られていたのです。聴衆の前で演奏される機会が少なければ、その譜面に写された美しい音色が人々の耳に届くこともありません。
それでもなお、名声よりも音楽そのものとの対話を優先するその姿勢には、どこか心惹かれるものがあります。時に、最も深い芸術は、最も静かで孤独な場所から生まれるものなのかもしれません。
驚異的な超絶技巧の向こうに映る情景
アルカンの作品の最大の特徴は、その驚異的な技術的要求です。
特に有名な『短調による12の練習曲』は、ピアノの魔術師とも呼ばれたリストの超絶技巧をも凌ぐと言われています。私自身も、一台のピアノから放たれているとは到底思えないほどのその重厚感、音圧に圧倒されたことを覚えています。
一つお伝えしたいのは、アルカンの音楽は単なる技巧の誇示ではないということ。数多く残されたその難曲の中には、隠遁生活を送ってきた彼だからこそ紡ぐことのできた深い詩情と、彼にしか出せない美学が確かに宿っています。
例えば、彼の練習曲の一つである『鉄道 0p.27』は、当時の新しい交通手段である鉄道を音楽で表現した意欲作です。
繰り返される左手の同音連打で蒸気機関車の動きを模倣し、アクセントの工夫で車輪の音や列車の接近・遠ざかる様子を表現しています。単に技巧的に難しいだけでなく、音による具体的な情景描写にも挑戦した作品といえるでしょう。
一方、『全長短調による25の前奏曲』や『48のモチーフ集 エスキス』といった小品では、ショパンとは異なる、精緻な音楽的表現を感じます。技巧の華やかさよりも、彼自身の気質にも似た内省的な雰囲気が際立っており、前述した『鉄道』とは大きく異なる面持ちです。
交響曲のようなダイナミックなスケールで動く大作から精緻で細やかな小曲まで、アルカンの持つ表現の幅には驚かされます。
謎に包まれた生涯
アルカンの生涯は多くの謎と虚実が複雑に絡み合っています。
彼の死に関する逸話です。長らく、アルカンは自宅の書斎で巨大なタルムード(ユダヤ教の経典)を取ろうとしたところ、書棚が倒れてきて押しつぶされて亡くなったと伝えられてきました。
彼の最期は、ある人々にとっては敬虔なユダヤ教徒の運命的な死として語られ、また別の人々からは学問の探求が招いた不吉な終焉として囁かれてきたのです。
しかし、このあまりに文学的な最期の物語は、実は後世の創作だったことが明らかになっています。実際は孤独のうちに自宅で亡くなり、発見されるまでに時間がかかった、という説が最も有力のようです。
幼少期から音楽の天才として注目され、パリ音楽院では優秀な成績を収めるも、期待されたようなキャリアを自ら放棄し、音楽と静かに対話する道を選んだアルカン。
ヴィルトゥオーソらしからぬ内省的なその生き方には、世俗的な成功よりも自身の考える音楽の在り方を直向きに追求する姿勢が表れているように思えます。
彼が本来いるべき場所への回帰
近年、マルク=アンドレ・アムランやジャック・ギボンズ、日本人では森下唯などの極めて高い技巧を有する現代のピアニストたちが、彼の作品を積極的に取り上げています。
演奏機会の少なさが知名度の低さに直結していただけに、近年の超絶技巧を誇るピアニストたちの台頭は、長い沈黙を破り、彼の音楽がついに本来の輝きを放つ時代が訪れたような気がしてなりません。
アルカンの作品は、19世紀ロマン派音楽の探求においてなくてはならない存在です。
革新的な書法と独創的なアイデアは、ショパンやリストにも引けを取らない芸術的価値を有しています。
彼の音楽の美しさを理解する人々が増えるにつれ、アルカンはいずれ彼が本来属するべき場所、すなわち19世紀の偉大な作曲家たちの一人として名を連ねる日はそう遠くはないと思います。
少しでも多くの方が彼の紡いだ音に触れ、称賛や批評を通じてアルカンの音楽が現代においても生き続けることを願ってやみません。