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「実力の差は、努力の差」——働く姿勢の本質

「実力の差は、努力の差。」

この言葉は、戦国時代の武将・武田信玄が残した「正範語録」にある言葉として知られています。

この一節には、次のような続きがあります。

実力の差は努力の差、実績の差は責任感の差、人格の差は苦労の差、判断力の差は情報の差、
真剣だと知恵が出る、中途半端だと愚痴が出る、いい加減だと言い訳ばかり。
本気でするから大抵のことはできる、本気でするから何でも面白い、
そして本気でしているから誰かが助けてくれる。

この言葉を読むたびに、私の中で背筋が伸びるような感覚があります。自分に嘘をつかず、仕事に向き合うための道標として大切にしている言葉です。

努力とは、姿勢そのもの

仕事をしていると結果や才能の差に目が向きがちですが、努力の本質は目に見えない部分にあります。

努力とは、ただ長く働くことでも、たくさんの仕事をこなすことでもありません。努力とは、同じ経験をどれだけ真剣に、目的をもって積み重ねられるかという姿勢そのものです。

経験というものは、その瞬間だけを見ると“点”のように感じられます。けれども、あとから振り返ると、その点が少しずつ重なり合い、やがて自分の血肉となっていることに気づきます。

そして、同じような課題にもう一度出会ったときに、「あのときはこうしたな」と自然に判断できます。それが、努力を重ねてきた証であり、実力として現れる瞬間です。

知識は持つもの、実力は使うもの

努力を重ねることで、少しずつ「知っていること」が「できること」に変わっていきます。この「知っている」は知識を、「できる」は実力を意味します。

知識とは、物事を理解し、再現する力のことです。一方で実力とは、状況を見極め、最も適した判断を行い、結果へとつなげる力を意味します。

言い換えれば、知識はインプットであり、実力はアウトプットです。そして、そのアウトプットの質を決めるのは、どれだけ現場で試し、失敗し、修正を重ねてきたかという努力の深さです。

だからこそ、実力のある人ほど、同じことを何度も経験しています。ただし、その「何度も」の中には、単なる繰り返しではなく、毎回の「気づき」があります。

失敗を消費せず、吸収し積み重ねることが、知識を実力へと変えていく唯一の道なのだと思います。

意識の差が、実力の差をつくる

年数を重ねることだけが実力を育てるわけではありません。

10年働いても“同じ1年を10回繰り返している人”もいれば、1年で“10年分の学び”を得る人もいます。

その違いを生むのは、「どれだけ意識的に努力できているか」という点です。

失敗したときに原因を分析し、次にどう行動するかを考える。日々の業務をこなすのではなく、観察する姿勢を持つこと。このほんの少しの意識の差が、やがて実力の差としてあらわれるのだと思います。

疲れていたり、忙しいときほど、努力の方向を見誤りがちです。

だからこそ闇雲に頑張るのではなく、どの努力が自分を前に進めているのかを見極める意識を持ち続けることが大切です。

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Kazuya Nakagawa