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黙考と音 – 5月「揺蕩」

今月、弊社のテーマとして選んだのは「揺蕩」。

ゆらゆらと揺れ動く、そんな意味の言葉です。

この言葉からはあてもなく揺れ動く弱々しさを感じながらも、どこかへ向かおうとしている微かな意志が宿っているように感じられます。

一見すると漂流するだけの無目的な動きのようでいて、その”ゆらめき”の奥には、かすかな目的や意図が秘められているように思うのです。

2025年5月のテーマ「揺蕩」について

日本文化に目を向けると、「流動するもの」に対する独特の感性が息づいていることに気づきます。

「間」や「余白」といった概念は、その代表的な例でしょう。

輪郭をはっきりと規定せず、あえて空間や余韻を残すことで生まれる味わい—それは日本絵画や詩歌、建築や庭園においても大切にされてきた美意識です。

「揺蕩」という言葉は、まさにこうした曖昧さや流動性を「欠陥」として否定するのではなく、そこに宿る豊かさをすくい上げる視点を私たちに与えてくれるのではないでしょうか。

また、古来より和歌や俳句には「漂う心象」が多く詠まれてきました。風に吹かれて枝を離れた葉のように、あるいは川面を下る小舟のように、行き着く先を定めぬまま流れていくイメージ。

しかし、その葉も舟も、完全に目的を喪失しているわけではありません。むしろ、行き先が予測できないからこそ、思いもよらない景色と出会い、そこに新たな意味を見出すこともあるのです。

なんだか旅のようですね。

このある種の「行方不明」とも言える状態こそが、実は人間にとっての美や発見をもたらす貴重な土壌なのかもしれません。

「揺れ動く意志」、それは時に定まらなさや不安定さとして捉えられがちですが、視点を変えれば、無限の可能性を孕んだ創造的な状態とも言えるのではないか、最近はそう考えるようになりました。

しかし、人は常にゆらゆら揺れていられるほど強くはありません。

しばしば私たちは、安心や安定を得るために自分自身や思考を厳密に定義し、固定しようとします。

「私はこういう人間だ」「こうでなくてはならない」「このような手法でないといけない」。そうしたラベルを貼り、境界線を明確に引くことで思考停止し、一時的な落ち着きを求めてしまう。

ゆらゆらするのが怖いのです。

しかし「揺蕩」の視点から見れば、むしろ不確かさや揺らぎこそが私たちの生活に深みと豊かさをもたらすと思うのです。

自分を固定せずにいると、周囲との関わり方や物事の見え方が少しずつ変容していきます。ある瞬間には輪郭がはっきりしていたものが、別の瞬間にはぼんやりと滲んで見える。この「ぼんやり感」こそが、普段は見逃している多様な表情や可能性をすくい上げるきっかけとなるような気がしています。

境界が不確かだからこそ、私たちはそのあわいを自由に行き来できます。そうした越境には、ある種の冒険心や好奇心が伴います。もしすべてがはっきりと切り分けられ、決められていたのなら、私たちの心はその境界に阻まれて動けなくなってしまうでしょう。

けれど、曖昧であるがゆえに「踏み越える」「踏み出す」自由が生まれ、そこに驚きや発見が生じるのです。

現代社会は情報と選択肢であふれ、自分の在り方をいつでも問い直すことができる環境にあります。そんな時代だからこそ、あえて思考を固定せずに、揺らぎを楽しむ心構えが大きな意味を持つと考えています。

2025年5月のプレイリストを作りました

人間の営みは一瞬たりとも同じ形であり続けることはありません。生きている限り、絶えず何かに揺れ、少しずつ変化していきます。

私たちが日々、どのように揺れ動き、その先でどんな景色を見つめるのか。それを楽しみ、味わうことができるのが、人間らしさなのかもしれません。

短絡的な結果を追い求めず「揺蕩」の過程を重んじること。この姿勢が儚く弱い人生を豊かにしてくれるのではないかと、そんなことを考えながら曲を選んでみました。

ぜひゆらゆらしてみてください。

このプレイリストの収録曲

  1. Don Quixote – Egberto Gismonti, Naná Vasconcelos
  2. The Plateaux of Mirror – Harold Budd, Brian Eno
  3. Parce Mihi Domine – Jan Garbarek, Cristóbal de Morales, The Hilliard Ensemble
  4. Quatuor pour la fin du Temps: I. Liturgie de cristal – Olivier Messiaen, Martin Fröst, Lucas Debargue, Torleif Thedéen, Janine Jansen
  5. Late – Henning Schmiedt
  6. Gotham Lullaby – Meredith Monk, Tom Bogdan, Harry Huff
  7. A Life (1895–1915)– Mark Hollis
  8. The Room of Ancillary Dreams – Harold Budd
  9. Rue des trois frères – Fabrizio Paterlini
  10. Through the Blue (St. Swithin’s) – Roger Eno
  11. Pauvre Simon – Sylvain Chauveau
  12. Portrait of Tracy – Jaco Pastorius

1. Don Quixote – Egberto Gismonti, Naná Vasconcelos

エグベルト・ジスモンチが、詩人・作詞家のジェラルド・カルネイロと共に制作した作品。

その名のとおり、スペインの古典小説『ドン・キホーテ』(セルバンテス著)に着想を得ており、理想と現実の境界を揺れ動く主人公の内面を音楽で描いたもの。

打楽器やディルルバ、声といった要素が幾重にも折り重なり、即興性に富んだ音からは、つかみどころのない美しい世界が垣間見えます。

2. The Plateaux of Mirror – Harold Budd & Brian Eno

静寂と音の「間」に身を沈めるような作品。

ピアノの音は澄んでいながら輪郭を持たず、ブライアン・イーノによる環境音的な処理が、音と音のあいだに霞のような余白を生み出しています。

ハロルド・バッドはこのアルバム制作時、自らのピアノを「空間に触れるための道具」と語っており、その言葉どおり、響きは時間と空間をゆっくりと漂います。

3. Parce Mihi Domine – Jan Garbarek & The Hilliard Ensemble

ノルウェーのサックス奏者ヤン・ガルバレクと、古楽声楽の名手ヒリヤード・アンサンブルによる異色の共演は、当初「成立するはずがない」とも言われていたようです。

ひとつは16世紀スペインの宗教音楽(モラレス作曲)、もうひとつは北欧ジャズ。

異なる時代、文脈、演奏法をもつふたつの系譜が、即興という構造のなかで交錯します。ガルバレクのサックスは楽譜に記されておらず、録音時も「どこで入るかは決めないまま臨んだ」と語られています。

声と管、祈りと呼吸が交わる地点は、固定された形式を持たず、まさに「揺れる」ように響きます。

4. Quatuor pour la fin du Temps: I. Liturgie de cristal – Olivier Messiaen, Martin Fröst, Lucas Debargue, Torleif Thedéen, Janine Jansen

『時の終わりのための四重奏曲』(1941)より。

第二次世界大戦の闇の中、フランスの作曲家オリヴィエ・メシアンがナチスの捕虜収容所スタラグ VIII-Aで紡ぎ出した不朽の名作。廃棄寸前の楽器と凍てつく寒さの中、極限状況下で初演されたこの四重奏曲。

緊迫した不協和音と静謐な瞑想性が交錯する独特の音世界からは、収容所という絶望的な環境にもかかわらず、あるいはその環境だからこそ生まれた、類まれな美しさを感じます。生と死、絶望と希望の境界線で紡がれたこの作品は、芸術の持つ救済的な力を私たちに強く訴えかけるのかもしれません。

5. Late – Henning Schmiedt

旧東ドイツのクラシック界で活動を始め、映画や舞台音楽の作曲も手がけたシュミート。

彼はやがて政治的枠組みや音楽的形式の束縛から自らを解き放つように、静謐なソロ作品を制作するようになります。

Lateは、まるで誰にも聞かせるつもりなく、密やかに自室で弾かれたような、そんな曲です。

6. Gotham Lullaby – Meredith Monk

「言葉以前の音声」にこだわり、声の可能性を追い求めた前衛アーティスト、メレディス・モンクの代表作。

歌詞を持たない即興的な発声は、言語と音楽、呼吸と旋律の境界を溶かすようです。

「Gotham(ニューヨーク)」の名を冠しつつ、子守唄でありながら、不穏さを含むかのようなこの曲は、都市に潜む孤独と母性、眠りと警告が微かに揺れ合うような印象。

発される音が誰に届くのか定まらない、その宙吊りの感覚が美しい、そんな一曲です。

7. A Life (1895–1915) – Mark Hollis

トーク・トークのフロントマンとして80年代に活躍したマーク・ホリスが、晩年に紡ぎ出した静寂。それはほとんど音にならない音楽、あるいは音が消え去る直前の瞬間を永遠に引き延ばしたような作品でした。

実在した第一次世界大戦期の若者の人生を題材に、わずかなピアノとクラリネット、そして息遣いともつかない微細な気配だけが、広大な空白の中に点々と浮かび上がります。その空白は沈黙ではなく、むしろ強い存在感を持った「意図された不在」のよう。旋律は断片化され、もはや曲というより「音がそこにいた記憶」のような儚さを纏っています。

8. The Room of Ancillary Dreams – Harold Budd

ハロルド・バッドは「空間のための音楽」を追求したピアニストです。彼の演奏は、音を発することよりも、音が響く空間そのものを創造する行為に近いのかもしれません。

『The Room』では、明確な旋律や和声進行を意図的に避け、余韻と間だけで紡がれたピアノの断片が漂います。音は固定された輪郭を持たず、実際に弾かれたのか、それとも聴き手の記憶に残ったものなのか判然としないまま、静かに滲んでいきます。

「夢の補助部屋」と名づけられたこの音響空間では、現実と眠りの境界、意識と無意識の区分が徐々にぼやけていきます。

9. Rue des Trois Frères – Fabrizio Paterlini

「日常に潜む詩情」を表現するイタリアのピアニスト、ファブリツィオ・パテルリーニ。

『Rue des Trois Frères』は、パリ・モンマルトルの静かな通りに捧げられた小品。

親密で親しみやすいメロディが穏やかに流れる中に、しかし言い知れぬ寂寥感が影のように寄り添っています。

それは、誰かを待ち続ける孤独なのか、過ぎ去った時間への郷愁なのか、あるいは見知らぬ街角での一瞬の啓示なのか。

判然としないまま、感情の揺らぎとして音に宿っています。

何かがどこかへ遠ざかっていくような、そんな一曲。

10. Through the Blue (St. Swithin’s) – Roger Eno

ロジャー・イーノは、兄ブライアン・イーノと共に空間と音の関係性を探求してきました。

聖スウィズンの日の名を冠したこの楽曲には、イギリスに伝わる「この日に雨が降れば四十日雨が続く」という天候の言い伝えにも似た、定まらない感情の揺れのような響きを感じます。

旋律はそこにあるようでいて確かな形を持たず、たしかに存在するもののすぐに消えていく。そんな儚さを纏った音の連なりが、心の奥底に静かな波紋を広げていきます。

11. Pauvre Simon – Sylvain Chauveau

フランスの作曲家シルヴァン・ショヴォーは、音を削ぎ落とすことを大切にしていました。「存在するもの」よりも「不在のもの」が雄弁に語りかける、静謐な詩学のような音楽です。

「Pauvre Simon」では、旋律と呼ぶにはあまりに断片的な音の連なりが、ふと現れては消えていきます。

名もなき「サイモン」に捧げられたこの静かな祈りのような響きは、実在した記憶なのか、創作された物語なのか、あるいは夢の中の出会いなのか判別できません。

音そのものではなく、音と音の間にある空間、あるいは音が消えた後の静寂。そのわずかな間に寂しさにも似た感情を覚えます。

12. Portrait of Tracy – Jaco Pastorius

プレイリストの最後は、エレクトリック・ベースの革命児ジャコ・パストリアスが恋人トレイシーに捧げた『Portrait of Tracy』を。

楽器の可能性を根本から覆した名曲です。彼の指先から生み出される音色は、重低音の楽器というイメージからは程遠い繊細さ。

旋律は確かに存在しながらも、どこか手の届かない距離で揺れ続け、聴く者の内側に憧憬を呼び起こすかのようです。

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Kentaro Matsuoka